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  • アッシリア
    聖書に対する洞察,第1巻
    • この地の名称は,セムの子アシュルから取られました。(創 10:22)ですから,大洪水後まもなく,まずセム人がこの地に住んだようです。ところが,この地は早くから外敵の侵入を受けました。というのは,ハムの孫ニムロデがアッシリアに入り,『ニネベ,レホボト・イル,カラハ,そしてニネベとカラハとの間のレセンを建てた。これが大きな都市である』と記されているからです。(創 10:11,12。ミカ 5:6と比較。)創世記のこの10章の中で,様々な「国語」のことがすでに指摘されていますが(創 10:5,20,31),それらの都市の建設がバベルの塔の建造とそれに伴って生じた言語の混乱の後のことかどうかは記されていません。(創 11:1-9)それでも,アッシリアの首都ニネベがバビロンから発達したことは確かで,一般の歴史もこの点で一致しています。後代になって,アブラハムの子イシュマエルの子孫の部族が遊牧民として移動しながらアッシリアにまで達したことが述べられています。―創 25:18。

  • カラハ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • カラハ

      (Calah)

      ニムロデがアッシリアに創建した都市で,当初はニネベ,カラハ,レセン,およびレホボト・イルで構成された「大きな都市」の一部でした。これら後者の三つの場所はニネベの郊外だったようです。(創 10:9-12)カラハはアッシリアの楔形文字文書にカルフという呼び方で出ており,この都市はアッシリア帝国の時代中にニネベやアシュルと共に,その領土の中の三つの主要都市の一つとなりました。カラハはニネベの南南東約35㌔の所にある,チグリス川と大ザブ川の合流地点の北東の角に位置していました。その場所は現在ニムルードと呼ばれており,その都市の古代の創建者の名をとどめています。

  • 都市
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 都市を最初に建設したのはカインです。カインはその都市を自分の息子エノクの名で呼びました。(創 4:17)大洪水以前にほかにも都市があったとしても,それらの名は西暦前2370年の大洪水でその都市と共に消え去りました。洪水後,シナルの地では,バベル,エレク,アッカド,カルネなどの都市が,ニムロデの王国の初期の中核を成しました。彼はその後,北方のメソポタミア渓谷に,ニネベ,レホボト・イル,カラハ,レセン(これらは集合的に「大きな都市」と呼ばれている)を建設して,その王国を拡大しました。(創 10:10-12)他方,族長であったアブラハム,イサク,ヤコブは都市を建設せず,カナンやエジプトの町や村を訪問することはあっても,自らは天幕で外人居留者として生活しました。(ヘブ 11:9)しかし,その後かなりたってからカナンに入った斥候たちは,その地に強固な防備の施された都市が幾つもあることを報告しています。―民 13:28; 申 9:1。

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