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エベル聖書に対する洞察,第1巻
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創世記 10章21節は,「エベルのすべての子らの父祖[「すべてのヘブライ人の先祖」,聖ア,モファット]であり,一番年長のヤペテの兄弟であるセム」に言及しています。ここで,エベルのことがセムとの密接な関連をもって記載されているのは,エベルの子孫,特にアブラハム以後の子孫が聖書的に重要視されているためのようです。したがって,続く幾つかの節が明らかにしているように,この句ではセムの子孫がヘブライ人だけに限定されているわけではありません。ヨクタンから出たエベルの子孫はアラビアに定住したようです。一方,ペレグから出た子孫はメソポタミアと関連づけられています。
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ヘブライ人聖書に対する洞察,第2巻
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聖書の証拠とよく合う3番目の見解は,「ヘブライ人」(イヴリー)という語は,エベル(エーヴェル)という名前,すなわちセムのひ孫で,アブラハムの先祖の一人であった人の名前に由来するという見方です。(創 11:10-26)エベルについては,セムからアブラハムまでの家系をつなぐ人物としての家族関係以外,何も知られていないのは事実です。エベルの名がその子孫によってそれほど際立った仕方で使われる根拠となるような顕著な行為や他の個人的な特徴は何も記録されていません。とはいえ,セムのことが「エベルのすべての子らの父祖」として述べられている創世記 10章21節で,エベル一人が特に取り上げられていることは注目に値します。エベルという名が当人の死後,何世紀も後に,ある民族もしくは地域を指して使われたことは,西暦前15世紀のバラムの預言からも明らかです。(民 24:24)また,その名前は父称として使われているので,イスラエル人は創世記 10章1-32節に記録されている,ノアの「家筋」の特定の者と結び付けられていると言えるでしょう。
「ヘブライ人」という語がエベルという名から派生したとしても,すでに論じられた他の見解の場合と同様,どうしてこの語が特に,またはっきりとイスラエル人を指して使われるのだろうかという疑問が生じます。エベルにはその子ヨクタンの系統の他の子孫がおり,それらの子孫はアブラハム(そしてイスラエル)に達する家系に入っていませんでした。(創 10:25-30; 11:16-26)イヴリー(ヘブライ人)という語は,エベルが自分たちの先祖であると正当に主張できたそれらの子孫すべてに当てはまるように思えます。一部の学者によれば,元はそうだったのかもしれませんが,時たつうちに,その名称がエベル人つまりヘブライ人の中の最も顕著な人々であるイスラエル人に限定されるようになったのではないかと考えられています。これに類似した例が聖書の記録の中にないわけではないと言えるでしょう。エドム人,イシュマエル人,および妻ケトラによるアブラハムの子孫を含め,アブラハムの子孫で,イスラエル人ではない人々は多数いましたが,はっきりと「アブラハムの胤」と呼ばれているのはイスラエル人でした。(詩 105:6; イザ 41:8。マタ 3:9; コリ二 11:22と比較。)もちろん,そうなったのは,アブラハム契約に関連して神が彼らに対して取られた行動のためでした。しかし,神が彼らを一つの国民にならせ,カナンの地を相続物として同国民に与えると共に,多くの強力な敵に対する勝利をも収めさせたという事実こそ,確かにイスラエル人をアブラハムの他の子孫からだけでなく,エベルの他のすべての子孫からも区別するものとなりました。また,それら他の子孫の多くは他の異民族との結婚により,「エベル人」としての独自性を失った可能性があります。
それで,セムに申し渡されたノアの祝福の言葉が特にエベルの子孫に成就することを示す神からのしるしとして,系図上の一覧表の中でエベルのことが取り上げられているのはもっともなことと言えるでしょうし,その後の事実はイスラエル人がその祝福の主要な受益者になったことを示しています。また,エベルについてこのように特に言及することは,創世記 3章15節のエホバの預言の中で述べられている約束の胤の家系を示すという目的にもかなっており,そのように言及されることによりエベルはセムとアブラハムとを結び付ける特別な人物になりました。このような関係は,「ヘブライ人の神」というエホバの名称ともよく調和するはずです。
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ヤペテ聖書に対する洞察,第2巻
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ヤペテ
(Japheth)[彼が広やかな所を与えてくれるように]
ノアの息子。セムとハムの兄弟。ヤペテはいつも最後に記載されていますが,3人の息子の中では最年長だったようです。創世記 10章21節のヘブライ語本文では,「一番年長の[「年長者」,欽定; ダービー; ヤング; リーサー; ア標,脚注]ヤペテ」として言及されているからです。とはいえ,それよりもヘブライ語本文のこの箇所ではセムが「ヤペテの年長の兄弟」(改標。また,聖ア,エルサレム,新英)と呼ばれているのだと解する翻訳者たちもいます。ヤペテがノアの一番年長の息子であったと考えれば,その誕生の年は西暦前2470年になります。―創 5:32。
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