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  • 十戒はあなたにとってどんな意味がありますか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
塔89 11/15 4–6ページ

十戒はあなたにとってどんな意味がありますか

時は西暦前1513年。イスラエル人がエジプトから救出されて,まだ3か月もたっていません。イスラエル人は荒野におり,シナイ山を前にして宿営を張っています。預言者モーセはエホバの招きに応じてシナイ山に登り,イスラエル国民を「あらゆる民の中にあって必ず[ご自分の]特別な所有物」にする,と神が約束されるのを聞きました。それでモーセは年長者たちを通してこのことを民に伝えます。「すると民は全員一致して答えて言った,『エホバの話されたすべてのことをわたしたちは喜んで行ないます』」。―出エジプト記 19:1-8。

その後,神は律法の前置きとして,「わたしはあなたの神エホバ,あなたをエジプトの地から,奴隷の家から携え出した者である」と述べ,モーセに対して十戒をはっきりとお告げになりました。(出エジプト記 20:2)この十戒はイスラエル人のためのものでした。イスラエル人は,最初のおきての中で,「あなたはわたしの顔に逆らって他のいかなるものをも神としてはならない」と告げられました。―出エジプト記 20:3。

それに続いてエホバは,イスラエルのための他の神聖なおきての中でモーセに指示をお与えになりました。(出エジプト記 20:4-23:19)それらを全部合わせると,約600の律法になります。そして,神のみ使いが約束の地に至る道を備えるためにイスラエル国民の先頭を行っていることに気づいたときには,本当に大きな興奮がみなぎったことでしょう。(出エジプト記 23:20-22)エホバはこう宣言されました。「あなたの民すべての前で,わたしは,全地においてまたあらゆる国民の中でいまだ造り出されたことのない,驚嘆すべき事柄を行なう。あなたがその中にいる民は皆,まさしくエホバの業を見るであろう。畏怖の念を抱かせる事柄を,わたしはあなたと共に行なうからである」。その代わりに,神はご自分の民に何を求められたでしょうか。「あなたとしては,わたしが今日命じる事柄を守りなさい」と,神は言われました。ですから,エホバのすべての律法と命令に従順であることがどうしても必要でした。―出エジプト記 34:10,11。

十戒はイスラエルにとってどんな意味があったか

イスラエル人は神から保護されて,エジプトにおける奴隷状態から脱出した結果,神のみ名を新しい意味で知るようになりました。エホバは救出者となってくださったのです。(出エジプト記 6:2,3)したがって,神のみ名をいたずらに取り上げることが禁じられた時,その第三のおきてはイスラエル人にとって特別な意味を帯びるようになりました。―出エジプト記 20:7。

しかし,安息日に関係した第四のおきてについては何と言えますか。エホバが以前,マナを集めることに関連して『安息日を守る』規定を設けられた時に示唆された通り,このおきては神聖な物事に対する敬意を際立たせるものでした。(出エジプト記 16:22-26)すぐに従わなかったイスラエル人もいたため,エホバは,ご自分がその命令を与えたことを彼らにはっきりと思い起こさせました。「『エホバがあなた方に安息日を与えたことに注目せよ……』。それで民は七日目に安息を守ることになった」。(出エジプト記 16:29,30)後にエホバは,この取り決めが限定的なものであることを示し,「それはわたしとイスラエルの子らとの間の定めのない時に至るしるしである」と言われました。―出エジプト記 31:17。

次に,貪欲を禁じた第十の独特のおきてを考えてみましょう。これは,どんな人間も施行することのできない律法です。個々のイスラエル人は,人の心を探り動機を見極める神エホバに対して言い開きをする立場にありました。―出エジプト記 20:17。サムエル第一 16:7。エレミヤ 17:10。

見方が調整される

イスラエル国民の一員として生まれたイエス・キリストは,「わたしが律法や預言者たちを破棄するために来たと考えてはなりません。破棄するためではなく,成就するために来たのです」と,弟子たちに言われました。(マタイ 5:17)使徒パウロは,ヘブライ人のクリスチャンたちに,「律法は来たるべき良い事柄の影を備えてはいても,事の実質そのものを備えてはいない」と書き送りました。(ヘブライ 10:1)もしあなたがキリスト教に改宗したヘブライ人であったとしたら,これらの言葉をどう理解したでしょうか。初期クリスチャンの会衆の中には,十戒をはじめ,神がモーセを通してお与えになった幾百もの律法すべてが依然として適用されると信じていた人もいました。しかし,それは正しい見方だったのでしょうか。

ガラテア州でクリスチャンになっていたユダヤ人に対するパウロの次の言葉を考えてみましょう。「生来のユダヤ人であって,諸国民の罪人でないわたしたちも,人が義と宣せられるのは律法の業によるのではなく,ただキリスト・イエスに対する信仰を通してであることを知っているので,このわたしたちでさえキリスト・イエスに信仰を置き,こうして,律法の業によってではなく,キリストに対する信仰によって義と宣していただけるようにしたのです。律法の業によっては,肉なる者はだれも義と宣せられないからです」。(ガラテア 2:15,16)ですから,神のみ前における義なる立場は,モーセの律法に対する完全な従順に依存してはいませんでした。不完全な状態にある人間にとって,それは不可能だったからです。パウロは,こう付け加えました。「律法の業に頼る者は皆のろいのもとにあるからです。『律法の巻き物に書かれているすべての事柄のうちにとどまってそれを行なわない者は皆のろわれる』と書かれています。……キリストはわたしたちの代わりにのろわれたものとなり,こうしてわたしたちを律法ののろいから買い取って釈放してくださったのです」― ガラテア 3:10-13。

ユダヤ人でイエスの追随者になった人々が,もはや律法ののろいのもとになかったのであれば,イスラエルに与えられたすべてのおきてを守る義務のもとにあったクリスチャンがだれかいたでしょうか。パウロはコロサイ人に対して,こう書きました。「[神は]そのご親切によってわたしたちのすべての罪過を許し,わたしたちを責める手書きの文書を塗り消してくださったのです。それは数々の定めから成り,わたしたちに敵対するものでした。そして神は,それを[キリストの]苦しみの杭にくぎづけにして取りのけてくださいました」。(コロサイ 2:13,14)確かに初期クリスチャンの中には,考えを調整し,自分たちが「律法から解かれ(た)」ことを認める必要のあった人が少なくありませんでした。(ローマ 7:6)律法に終止符を打ち,予告されていた「新しい契約」の開始の道を整えた,イエスの犠牲の死に信仰を働かせることによって,彼らはエホバのみ前に義なる立場を得る見込みを持つようになったのです。―エレミヤ 31:31-34。ローマ 10:4。

わたしたちにとってどんな意味があるか

では,律法の基礎的な部分である十戒は,クリスチャンに対する意味を全く失ったことになるのでしょうか。決してそうではありません。十戒は,クリスチャンに対する法的な拘束力は持たないものの,モーセの律法の他の命令と同様,依然として健全な指針となっています。例えばイエスは,神と隣人への愛を求めるおきてが,二つの最大のおきてであると言われました。(レビ記 19:18。申命記 6:5。マタイ 22:37-40)パウロはローマのクリスチャンに助言を与える際に,第六,第七,第八,第十のおきてを引用し,「そしてほかにどんなおきてがあるにしても,その法典は,この言葉,すなわち,『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』に要約される」と述べました。―ローマ 13:8,9。

では,神の霊感を受けたみ言葉の一部である十戒は,今日どんな目的を果たしているのでしょうか。それは,物事に関するエホバの見方を明らかにします。(テモテ第二 3:16,17)どのようにしてそうしているのかを考えてみましょう。

最初の四つのおきては,エホバに対するわたしたちの責任を際立たせています。(第一)エホバは,今も全き専心を要求する神であられます。(マタイ 4:10)(第二)エホバの崇拝者は像を用いるべきではありません。(ヨハネ第一 5:21)(第三)わたしたちは,正しく威厳のある仕方で神のみ名を用いるべきで,決して不敬な仕方で用いるべきではありません。(ヨハネ 17:26。ローマ 10:13)(第四)わたしたちは,神聖な物事を中心にして生活全体を営むべきです。そうすれば,独善的な歩みを休む,つまりそのような歩みをやめて『安息に入る』ことになります。―ヘブライ 4:9,10。

(第五)子供が親に従うことは,今でも家族の一致の土台であることに変わりはなく,エホバの祝福をもたらします。それに,この「約束を伴った最初の命令」は,本当にすばらしい希望を与えます。『あなたにとって物事が良く運ぶ』だけでなく,『あなたは地上で生き永らえる』のです。(エフェソス 6:1-3)わたしたちは現在の邪悪な体制の「終わりの日」に生活しているので,そうした敬虔な従順を示す若者には,決して死なないという見込みがあります。―テモテ第二 3:1。ヨハネ 11:26。

隣人愛があれば,(第六)殺人,(第七)姦淫,(第八)盗み,(第九)偽証といった邪悪な行為によって隣人に害をもたらすことはないはずです。(ヨハネ第一 3:10-12。ヘブライ 13:4。エフェソス 4:28。マタイ 5:37。箴言 6:16-19)しかし,わたしたちの動機についてはどうでしょうか。(第十)貪欲を禁じるおきてでわたしたちが思い起こすのは,エホバは,わたしたちの意図が常にご自分の目に廉直であるよう求めておられるということです。―箴言 21:2。

十戒には,実に豊富な意義があります。十戒は決して時代遅れにならない神聖な原則に基づいているので,わたしたちは,神と隣人を愛する責務を思い起こさせる貴重な諭しとして十戒を高く評価すべきです。―マタイ 22:37-39。

[6ページの図版]

イエスの死は律法に終止符を打った。その中には,シナイ山でイスラエル人に与えられた十戒も含まれる

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