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全き専心聖書に対する洞察,第2巻
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エホバ神は対抗するものを一切容認されない 全き専心は神の指によって書かれた「十の言葉」,すなわち十のおきての2番目に,エホバ神によって次のように命じられています。『わたしはあなたの神エホバである。あなたはわたしの顔に逆らって他のいかなるものも[または,わたしを無視して他のいかなる神も]神としてはならない。あなたの神であるわたしエホバは全き専心を要求する神だからである』。(申 5:6-9)フランス語のドリウ訳(1884年)は出エジプト記 34章14節で,「神はご自分だけが[つまり,断然ひとりだけ,単独に]愛されることを望まれる」と述べています。イエスはご自分を試そうとしたあるユダヤ人に話された際,この見方を支持されました。(マタ 22:37)エホバはイスラエルの神また王,宗教と国家の頭であられました。ですから,イスラエル人にとって,他の神々に仕えて第一と第二のおきてを破ることは大逆罪もしくは反逆罪,つまり最も重い刑罰に値する最大の犯罪を犯すことを意味しました。ある時,イスラエルは偽りの神の崇拝に携わると共に不道徳を行ない,エホバが全き専心を全面的に求められたため,今にも絶滅しそうになりました。しかし,アロンの孫のピネハスがエホバに「対抗するものをいっさい容認せず」速やかに行動したので,イスラエルは救われました。―民 25:11。
バビロンでの流刑後に民を復帰させるというエホバの目的は,そのみ名のためのものでした。(エゼ 39:25-28)フェントンの訳は出エジプト記 34章14節で,「常に生きておられる方はご自分のみ名のことをねたまれる」と述べています。その方はみ名についてねたんでおられるので,つまりみ名に対して全く専心しておられるので,ご自分の民の中に他のいかなる神の名による対抗も容認されなかったのです。
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