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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「ヘシュボン」

ヘシュボン

(Heshbon)

ラバ(アンマン)の南西約20㌔の所にある,現代のヒスバーンという廃墟の都市と同定されている場所。アルノンとヤボクのほぼ中間にあります。(ヨシュ 12:2)今のところ,カナン人の時代にさかのぼる考古学上の遺物はそこでは見つかっていません。ヘシュボンから少し東に行った所に大きな貯水池の遺跡があり,同市の180㍍ほど下方には泉があって,その泉から一連の池ができています。―歌 7:4と比較。「バト・ラビム」を参照。

アモリ人の王シホンはモアブ人からヘシュボンを奪い取り,そこに自分の王宮を構えました。モアブ人の敗北を基にして,格言的な嘲笑の言葉さえできました。その出どころは,アモリ人またはイスラエル人のいずれかです。この格言がアモリ人から出たとすれば,それはモアブ人をあざけり,シホン王の勝利を記念するものでした。しかし,イスラエル人から出たのであれば,それは,シホンがモアブ人からヘシュボンを奪い取ったように,イスラエルもこれを含めた諸都市をアモリ人から奪い取るということを意味していました。そうであるとすると,この嘲笑は,シホンの勝利によって,イスラエル人が本来所有することがなかったはずの土地を手に入れる道が開かれた,という主旨のものになるでしょう。―民 21:26-30; 申 2:9。

シホン王がモーセの率いるイスラエル人に平和裏に自分の土地を通らせることを拒み,彼らに対して戦う準備をした時,エホバはシホンに対する勝利をご自分の民に与えました。恐らくヘシュボンも含まれていたと思われますが,アモリ人の諸都市は滅びのためにささげられました。(申 2:26-36; 3:6; 29:7; 裁 11:19-22)その後,ヘシュボンはルベン人によって再建されました。(民 32:37)モーセが彼らに与えた諸都市の中に含まれていたからです。(ヨシュ 13:15-17)ルベンとガドとの間の境界都市であったヘシュボンは,その後ガド人の領地の一部となり,レビ人に割り当てられたガド人の四都市の一つとして名前を挙げられています。―ヨシュ 21:38,39; 代一 6:77,80,81。

後代になって,ヘシュボンはモアブ人の支配下に入ったようです。それはイザヤとエレミヤの双方がモアブに対する破滅の宣告の中でヘシュボンの名前を挙げていることから分かります。(イザ 15:4; 16:7-9; エレ 48:2,34,45)エレミヤはアンモンに対する宣告の中でもこの都市に言及しています。(エレ 49:1,3)これはヘシュボンがその時までにアンモン人の支配下に移っていたことを示唆している,と理解する注解者たちもいます。他方,これはモアブのヘシュボンがアイと同じ運命をたどるという意味か,あるいは,ここで言っているのはアンモンの領土内にあった別のヘシュボンであるかのどちらかではないかと言う人もいます。

ユダヤ人の歴史家ヨセフスによると,ヘシュボンはアレクサンドロス・ヤンナイオス(西暦前103-76年)の時代にはユダヤ人が所有していました。後にヘロデ大王がこの都市を管轄しました。―ユダヤ古代誌,XIII,395-397(xv,4); XV,294(viii,5)。

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