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従順聖書に対する洞察,第1巻
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従順の代わりになるものはありません。従順でなければ,神の恵みを得ることはできません。サムエルがサウル王に語ったとおりです。「エホバは,エホバの声に従うこと[シャーマの変化形]ほどに焼燔の捧げ物や犠牲を喜ばれるでしょうか。ご覧なさい,従うこと[字義,耳を傾けること]は犠牲に勝り,注意を払うことは雄羊の脂肪に勝ります」。(サム一 15:22)従わないことは,エホバの言葉を退けることであり,その言葉とその源である方を実際には信じていないこと,信頼していないこと,信仰を持っていないことの証拠です。ですから,従わない人は,占いを行なったり,偶像を使ったりする人と変わりがありません。(サム一 15:23。ロマ 6:16と比較。)言葉で同意を表明しても,要求されている行動を取らなければ,それは無意味です。反応しないことは,その指示の源に対する信仰や敬意がないことの表われです。(マタ 21:28-32)神の真理を聞き,それを頭の中で受け入れるだけで満足し,その真理の要求する事柄を実行しない人々は,虚偽の推論によって自分を欺いており,何の祝福にもあずかりません。(ヤコ 1:22-25)神のみ子は,命じられたことと同じような事柄を行なっても,その方法や動機が明らかに間違っている人々は,神の王国に入ることが決してなく,完全に退けられることをはっきりお示しになりました。―マタ 7:15-23。
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羊聖書に対する洞察,第2巻
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羊は最古の時代から犠牲としてささげられていました。(創 4:2,4; 22:7,8,13; ヨブ 42:8)律法のもとでは,羊の雄の初子はすべて犠牲としてささげなければなりませんでした。ただし,それは少なくとも生後8日目になってからのことです。ろばの雄の初子を請け戻すには,羊をささげなければなりませんでした。(出 34:19,20; レビ 22:27)雄羊は,罪科の捧げ物(レビ 5:15,16,18; 6:6),焼燔の捧げ物(レビ 9:3; 16:3; 23:12),共与の犠牲(レビ 9:4)として差し出されました。また,雄羊はアロンの祭司職のための任職の捧げ物となりました。(出 29:22; レビ 8:22-28)さらには,1歳の雄羊2頭が毎日,常供の焼燔の捧げ物とされました。(出 29:38-42)常供の焼燔の捧げ物とは別に,月の初めに,また年ごとの祭りに関連して,雄羊と雄の子羊が犠牲としてささげられました。(民 28:11,17-19,26,27; 29:1-38)雄羊はイスラエルの捧げ物の非常に顕著な特色だったので,預言者サムエルは「犠牲」と並行させて「雄羊の脂肪」という表現を使いました。(サム一 15:22)しかし時には雌の子羊を,共与の犠牲(レビ 3:6),罪の捧げ物(レビ 4:32; 民 6:14),罪科の捧げ物(レビ 5:6)として差し出すこともできました。
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