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バアル聖書に対する洞察,第2巻
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イスラエルの歴史の中では,イスラエル国民の所有者または夫であるという意味でエホバが「バアル」と呼ばれることもありました。(イザ 54:5)また,イスラエル人が背教した時にエホバを不当にバアルと結び付けることもあったかもしれません。この点は,ホセアの預言によって裏書きされているようです。その預言によれば,イスラエルは流刑を経験して戻った後に,悔い改めてエホバのことを「“わたしの夫”」と呼び,もはや「“わたしの所有者”」(「わたしのバアル」,聖ア)とは呼ばない時が来ることになっていました。その文脈は,「バアル」という名称も,偽りの神に関連してその名称が連想させる事柄も,二度とイスラエル人の口に上らなくなることを暗示しています。(ホセ 2:9-17)バアルというヘブライ語は,堕落したバアル崇拝を連想させるために悪い意味合いを含んでいたと思われ,サムエル記第二の筆者が「エシュバアル」や「メリブ・バアル」の代わりに「イシ・ボセテ」や「メピボセテ」(ボーシェトは恥を意味する)という名前を用いたのは,そうした理由によると考える人たちもいます。―サム二 2:8; 9:6; 代一 8:33,34。「イシ・ボセテ」を参照。
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イシ・ボセテ聖書に対する洞察,第1巻
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イシ・ボセテ
(Ish-bosheth)[「恥の人」の意]
サウルの息子のうちの一番年下であったと思われる子で,サウルの王位継承者。系図の一覧表からすれば,この人は「バアルの人」という意味のエシュバアルという名前でも呼ばれたようです。(代一 8:33; 9:39)しかし,ほかの箇所では,サムエル記第二の場合のように,その名前の「バアル」という部分が「ボセテ」に置き換えられた形でイシ・ボセテと呼ばれています。(サム二 2:10)ヘブライ語でボーシェトというその言葉はエレミヤ 3章24節に出ており,「恥ずべきもの」と訳されています。(ア標,聖ア,ユダヤ,新世,ロザハム,改標)これらの語が出て来る他の2か所では,バアルとボーシェトは対句として,また同格関係で使われており,そこでは一方が他方を説明するもの,その実体を明らかにするものとなっています。(エレ 11:13; ホセ 9:10)ほかにも同様に,個人の名前で,「バアル」が「ボセテ」もしくはその変化形に置き換えられている場合もあります。例えば,「エルバアル」の代わりに「エルベシェト」が使われたり(サム二 11:21; 裁 6:32),「メリブ・バアル」の代わりに「メピボセテ」が使われたりしています。このメピボセテはイシ・ボセテのおいです。―サム二 4:4; 代一 8:34; 9:40。
それら二通りの名前,もしくは代わりの名前が使われている理由は知られていません。一部の学者が提唱している説では,「バアル」(所有者; 主人)という普通名詞が専らカナンの不快な多産の神バアルを指す言葉になった時にそのような改変が行なわれ,二通りの名前が使われるようになったのだとされています。ところが,イシ・ボセテに関する記述がある,聖書のその同じサムエル記第二の中で,ダビデ王自身が主エホバに敬意を表して,ある戦場をバアル・ペラツィム(「打ち破ることの所有者」の意)と呼んだと伝えられています。それは,ダビデが述べたように,『エホバが彼の敵を打ち破られた』からです。(サム二 5:20)ほかに,イシ・ボセテという名前は当人の恥辱的な死とサウル王朝の痛ましい結末を預言的に示していたのかもしれないという見方もあります。
サウルと他の息子たちがギルボアの戦場で死んだ後,サウルの親族で,その軍の長でもあったアブネルは,イシ・ボセテを連れてヨルダンを渡り,マハナイムへ行きました。その地でイシ・ボセテは,ユダ以外のすべての部族を治める王に任じられました。ユダの部族はダビデを王と認めていたのです。その時,イシ・ボセテは40歳で,2年間治めたと言われています。聖書は,その治世の2年間がヘブロンにおけるダビデの7年半の統治期間のどの時期に当てはまるかを正確には述べていないので,この点に関する学者間の意見の相違を解決する方法はありません。とはいえ,イシ・ボセテは父の死後まもなく(5年後ではなく)王にされたと考えるほうが妥当であるように思われます。その場合,彼が暗殺されてから,ダビデが全イスラエルの王として任じられるまでに約5年が経過したことになります。―サム二 2:8-11; 4:7; 5:4,5。
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