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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
塔96 10/15 8–9ページ

ソロモン王の富は誇張ですか

「一年間にソロモンのところに入って来た金の重さは,……六百六十六タラントにもなった」― 列王第一 10:14。

聖書のこの節によれば,ソロモン王はたった1年で金25㌧余りを取得したことになります。これは今日の価格で2億4,000万㌦(約260億円)に相当します。それはまた,1800年に全世界で採掘された金の量のほぼ2倍に当たります。そんなことがあり得るのでしょうか。考古学的証拠は何を示していますか。ソロモンの富に関する聖書の記録が確かに妥当と思われることを示唆しています。「聖書考古学レビュー」誌には,このように書かれています。

□ エジプトの王トトメス3世(西暦前2千年紀)は,カルナックのアモン・ラーの神殿に金の品を約13.5㌧寄進した。しかも,それは供え物の一部にすぎなかった。

□ エジプトの碑文には,王オソルコン1世(西暦前1千年紀の初め)が合わせて383㌧ほどの金銀を供え物として神々に奉納したことが記されている。

さらに,「人間の偉大な時代」という双書の中の一つの巻である「古代ギリシャ」は,このように伝えています。

□ トラキアのパンガイオン山の鉱山では,王フィリッポス2世(西暦前359-336年)のために毎年37㌧を超える金が採掘されていた。

□ フィリッポスの子のアレクサンドロス大王(西暦前336-323年)がペルシャ帝国の首都スサを攻略した時,約1,200㌧の金の財宝が発見された。

ですから,ソロモン王の富に関する聖書の描写は,誇張ではありません。さらに,ソロモンが当時,「富と知恵とにおいて,地のほかのどんな王よりも偉大であった」ことも忘れないでください。―列王第一 10:23。

ソロモンは富をどのように用いたのでしょうか。ソロモンの王座には「精錬された金」がかぶせてあり,王が飲むのに用いた器は「金であり」,ソロモンは「合金にした金」の大盾200,丸盾300を持っていました。(列王第一 10:16-21)とりわけソロモンの金は,エルサレムにあったエホバの神殿に関連して用いられました。神殿の燭台や,肉刺し,鉢,水差し,水盤といった神聖な器具は,金や銀でできていました。至聖所の高さ4.5㍍のケルブ,香の祭壇,それに家の内側全体にさえ金がかぶせられました。―列王第一 6:20-22; 7:48-50。歴代第一 28:17。

金をかぶせた神殿についてはどうでしょうか。興味深いことに,金をそのように使うのは,古代世界では珍しいことではありませんでした。「聖書考古学レビュー」誌によれば,エジプトのアメノフィス3世は,「『全体に金がかぶせられ,床は銀,玄関全体は,こはく金[金と銀でできた合金]で装飾が施された』神殿をテーベに建立して,偉大な神アムンをたたえた」ということです。さらに,アッシリアのエサル・ハドン(西暦前7世紀)も,アッシュールの神殿の扉や壁に金をかぶせました。バビロンのナボニドス(西暦前6世紀)は,ハルランにあったシンの神殿について,「その壁にわたしは金銀をかぶせ,それが太陽のごとく輝くようにした」と書いています。

このように,歴史的記録は,ソロモンの富に関する聖書の記述が誇張ではないことを示唆しています。

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