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エルサレム聖書に対する洞察,第1巻
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マナセの治世中(西暦前716-662年)には,キデロンの谷に沿ってさらに城壁が建設されました。同時に,その治世中,国民は真の崇拝からさらに迷い出ました。(代二 33:1-9,14)彼の孫ヨシヤはこうした衰退傾向を一時的に逆転させ,その治世中に,偶像礼拝を行なう人々により下劣な儀式のために使われていたヒンノムの谷は『礼拝のために用いられない』ようにされました。つまり,市のごみ捨て場にされることにより,その神聖さが汚されたものと思われます。(王二 23:10; 代二 33:6)「“灰の山の門”」はこの谷に向かって開かれる門だったようです。(ネヘ 3:13,14。「ゲヘナ」; 「ヒンノムの谷」を参照。)ヨシヤの時代に,初めてこの都市の「第二地区」(「新しい町」,エルサレム)のことが指摘されています。(王二 22:14; 代二 34:22)この「第二地区」は一般に,この都市の神殿域の西,もしくは北西に位置する地区と解されています。―ゼパ 1:10。
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