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年代計算,年代学,年代記述聖書に対する洞察,第2巻
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西暦前607年以降,流刑からの帰還まで この期間の長さは,「この地はみな必ず荒れ廃れた所,驚きの的となり,これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」という,ユダに関する神ご自身の布告によって定められています。―エレ 25:8-11。
聖書預言からすれば,エルサレムが滅ぼされると共にユダが荒廃した時から,キュロスが布告を出した結果,流刑の身になっていたユダヤ人が自分たちの故国に帰還した時までの期間以外に,この70年の期間を当てはめられる時代はありません。聖書預言が明示しているところによれば,その70年間はユダの地が荒れ廃れた状態で経過する歳月となるはずでした。預言者ダニエルはこの預言をそのように解していました。なぜなら,彼はこう述べているからです。「わたしダニエルは,エルサレムの荒廃が満了するまでの年の数を幾つかの書によって知った。それに関してエホバの言葉が預言者エレミヤに臨んだのであり,すなわち,七十年とあった」。(ダニ 9:2)歴代第二 36章20,21節は,ネブカドネザルがエルサレムを征服したことについて説明した後,こう述べています。「その上,彼は剣を逃れた残りの者たちをとりこにしてバビロンに連れ去り,こうして彼らは,ペルシャの王族が治めはじめるまで,彼とその子らの僕となった。これはエレミヤの口によるエホバの言葉を成就して,やがてこの地がその安息を払い終えるためであった。その荒廃していた期間中ずっと,それは安息を守って,七十年を満了した」。
エルサレムはゼデキヤの第9年(西暦前609年)に最終的に包囲状態に陥り,ネブカドネザルの実際の統治期間の第19年(その即位年である西暦前625年から数えた)に当たるゼデキヤの第11年(西暦前607年)に同市は陥落しました。(王二 25:1-8)その年の第5の月(7月から8月にわたる期間であるアブの月)に同市には火が放たれ,城壁は取り壊され,人々の大多数は流刑に処せられて連れ去られました。しかし,その「地の立場の低い者たちの一部」はとどまることを許され,とどまっていましたが,ネブカドネザルにより任命されたゲダリヤが暗殺されるに及んで,彼らはエジプトに逃げ去り,ついにユダは完全に荒廃しました。(王二 25:9-12,22-26)それは第7の月,エタニム(つまり,9月から10月にわたる期間であるティシュリ)のことでした。したがって,70年にわたる荒廃期間は西暦前607年10月1日ごろから数えられるようになり,西暦前537年に終わったに違いありません。その西暦前537年の第7の月までにはユダヤ人帰還者の第一陣がユダに到着しました。それは,その地の完全な荒廃が始まってから70年たった時のことです。―代二 36:21-23; エズ 3:1。
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キュロス聖書に対する洞察,第1巻
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聖書の記録を考慮すると,ユダヤ人を解放してエルサレムに帰還させることを認めたキュロスの布告は,西暦前538年の末か,537年の初めに出されたと思われます。その結果,ユダヤ人の流刑囚たちには,バビロンを去る準備をしてから,ユダとエルサレムまでの長旅(エズ 7:9によれば,約4か月を要したと思われる旅)をして,しかも西暦前537年の「第七の月」(ティシュリ)までにはユダの「それぞれの都市」に住み着くだけの時間的な余裕が与えられたことでしょう。(エズ 3:1,6)こうして,西暦前607年のその同じティシュリの月に始まって70年間に及んだ,預言されたユダの荒廃が終わりを告げました。―王二 25:22-26; 代二 36:20,21。
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