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ネヘミヤ記聖書に対する洞察,第2巻
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扱われている期間と書かれた時期 史実に基づくこの物語は,ある事の第20年のキスレウの月(11-12月)を基点として始まっています。(ネヘ 1:1)ネヘミヤ 2章1節から明らかなように,この第20年とは,アルタクセルクセスの治世の第20年であるに違いありません。言うまでもなく,この場合の第20年は,ニサン(3-4月)に始まるものとして数えられているわけではありません。第20年のキスレウが同じ第20年のニサン(ネヘ 2:1で言及されている)に先行することはあり得ないからです。それで,ネヘミヤは自分なりの時の数え方をし,太陰年の1年をティシュリ(9-10月)から始まるものとして数えていたのかもしれません。今日のユダヤ人は,その月を暦年の初めの月として受け入れています。ほかに,帝王が王位についた実際の日付からその王の治世が数えられた可能性もあります。この可能性については,楔形文字の書字板が示すとおり,バビロニア人の書記が相変わらずニサンからニサンまでを1年とする習慣に基づいてこのペルシャの王の治世を数えていたとしても,そう言えるでしょう。
史実に基づく信頼できる証拠と聖書預言の成就からすると,アルタクセルクセスの治世の第20年のニサンの含まれている年というのは,西暦前455年です。(「ペルシャ,ペルシャ人」[クセルクセスとアルタクセルクセスの治世]を参照。)したがって,その第20年のニサンに先行するキスレウは西暦前456年の一部であり,アルタクセルクセスの治世の第32年(ネヘミヤ記[13:6]で言及されている最後の日付)は西暦前443年の一部を含むことになります。ゆえに,ネヘミヤ記の中では,西暦前456年のキスレウから西暦前443年のしばらく後までの期間のことが扱われています。
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七十週聖書に対する洞察,第2巻
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預言的な意味を持つ「七十週」は実際にいつ始まりましたか
70週の始まりについて言えば,ネヘミヤは,ペルシャのアルタクセルクセス王の治世の第20年,ニサンの月に,エルサレムの都とその城壁を再建する許可を王から得ました。(ネヘ 2:1,5,7,8)ネヘミヤはアルタクセルクセスの治世を計算する際に,ユダヤ人の現在の常用暦と同様に,ティシュリの月(9-10月)に始まり,第12の月であるエルルの月(8-9月)に終わる暦年を用いたものと思われます。これがネヘミヤ独自の数え方なのか,ペルシャで何らかの目的のために用いられていた数え方なのかは不明です。
中には,上の説明に異議を唱え,ネヘミヤ 7章73節を指摘する人がいるかもしれません。その箇所でネヘミヤは,イスラエルが第7の月にそれぞれの都市に集められたことを述べており,ここでの月の順番はニサンからニサンまでの1年に基づいています。しかし,その時ネヘミヤは,西暦前537年にゼルバベルと共に「最初に上って来た人たちの系図上の記録の書」から内容を写し取っていました。(ネヘ 7:5)またネヘミヤは,当時の仮小屋の祭りの祝いが第7の月に行なわれたことを説明しています。(ネヘ 8:9,13-18)これは全く適切なことでした。なぜなら,その記述によると,彼らはエホバの命じられたことが「律法の中に書いてあるのを」見つけましたが,その律法,すなわちレビ記 23章39-43節には,仮小屋の祭りが「第七の月」(つまり,ニサンからニサンまでの教暦のその月)に行なわれると書いてあるからです。
しかし,ネヘミヤが種々の出来事に言及する際に秋から秋までの1年を使っていたと思われる証拠として,わたしたちはネヘミヤ 1章1-3節と2章1-8節を比較検討することができます。最初の箇所でネヘミヤは,アルタクセルクセスの第20年,キスレウ(常用暦で第3の月,教暦で第9の月)に,エルサレムの状況に関する悪い知らせを受けたことについて述べています。2番目の箇所では,出かけて行ってエルサレムを再建する許可を王に求めており,ネヘミヤはニサンの月(常用暦で第7の月,教暦で第1の月)にその許可を得ています。しかしそれは,依然としてアルタクセルクセスの第20年のことでした。ですからネヘミヤが,ニサンからニサンまでの暦をもとにしてアルタクセルクセスの治世の年数を数えていたのでないことは明白です。
アルタクセルクセスの第20年がいつかを確定するために,その父であり前任者でもあったクセルクセスの治世の終わりにさかのぼってみましょう。クセルクセスは西暦前475年の後半に没しています。ですから,アルタクセルクセスの即位年は西暦前475年に始まり,その最初の在位年は,他の歴史的証拠が示しているように,西暦前474年から数えられます。したがって,アルタクセルクセスの支配の第20年は西暦前455年になります。―「ペルシャ,ペルシャ人」(クセルクセスとアルタクセルクセスの治世)を参照。
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