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大へびの泉聖書に対する洞察,第1巻
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大へびの泉
(おおへびのいずみ)(Fountain of the Big Snake)
このヘブライ語の表現は,陸の巨獣もしくは海の巨獣の源泉や泉,または井戸という考えを含んでおり,「龍の井戸」(欽定,リーサー),「蛇の井戸」(聖ア),「へびの泉」(ロザハム),「大へびの泉」(新世)など,様々に訳されています。しかし,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳は,「いちじくの木の泉」としています。
この水源は,ネヘミヤがエルサレムの破壊された城壁を最初に視察した時に使った道のわきにありました。(ネヘ 2:12,13)この名前は聖書の中ではここ以外に出ていないので,その泉もしくは井戸が他の箇所で言及されているとすれば,それは別の名称で呼ばれているに違いありません。一般には,エン・ロゲルがその別名ではないかと考えられています。この説はかなり有力です。なぜなら,エン・ロゲルはキデロンの谷を相当下ったところにありますが,記述はネヘミヤが『泉の前』を通ったとしか述べておらず,この『泉の前』というのは,その泉が見えたものの距離は幾らか離れている,エン・ロゲルに面した城壁の隅のことだとも考えられるからです。―「エン・ロゲル」を参照。
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門,門口聖書に対する洞察,第2巻
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“谷の門” 市の城壁の南西部では,“谷の門”がヒンノムの谷へ通じていました。ヨセフスの言及している「エッセネの門」はここか,またはその近くにあったのではないかと思われます。(ユダヤ戦記,V,145 [iv,2])ウジヤは市の防備を強化する計画の一環として,この門のそばに塔を建てました。(代二 26:9)ネヘミヤが,損壊した城壁の検分のために出て行ったのはこの“谷の門”からで,ヒンノムの谷を通って東に進んでから,キデロンの谷を上り,最後にこの同じ門から再び市内に入りました。(ネヘ 2:13-15)名前が明記されているわけではありませんが,“谷の門”は奉献式の行列が出発した地点のように思われます。一方の集団は“灰の山の門”を過ぎて城壁を時計と逆方向に回り,もう一方の集団は“隅の門”や“焼きかまどの塔”を過ぎて時計方向に回りました。―ネヘ 12:31-40。
“灰の山の門” この門は“陶片の門”としても知られ,多くの聖書では,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳とラテン語ウルガタ訳に基づいて“糞の門”と呼ばれています。(ネヘ 2:13; 12:31; エレ 19:2)ネヘミヤの説明によると,この門は“谷の門”の1,000キュビト(445㍍)東のところにあったようです。(ネヘ 3:13,14)この門は市の城壁の南東の隅にあり,ヒンノムの谷の,テュロペオンの谷につながる場所の辺りに通じていました。偶像礼拝において自分の子らを火で焼いてバアルにささげた者たちが,ヒンノムの谷にあるトフェトまで行こうとして通ったのはこの門でした。(エレ 19:1-6)そこはまた,エレミヤがイスラエルの年長者や祭司のある者たちを連れて通った門で,エレミヤはそのあとエルサレムに対する災いをふれ告げ,他の神々に仕えたことで神が民を砕かれることを例証するために土器の瓶を砕きました。―エレ 19:1-3,10,11。
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