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『知恵は身の守りである』ものみの塔 2007 | 7月15日
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知恵を得ることは,話し方にどのような影響を与えるでしょうか。賢王ソロモンは次のように語ります。「物事に洞察力を示している者は善を見いだす。エホバに依り頼んでいる者は幸いである。心の賢い者は理解ある者と呼ばれ,唇の甘い者は説得力を加える。洞察力はその所有者にとって命の井戸である。愚かな者たちの懲らしめは愚かさである。賢い者の心はその口に洞察力を示させ,その唇に説得力を加える」。―箴言 16:20-23。
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『知恵は身の守りである』ものみの塔 2007 | 7月15日
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「心の賢い者」が「聡明な人」あるいは「悟りのある者」と呼ばれているのも不思議ではありません。(箴言 16:21,「新共同訳」,共同訳聖書実行委員会; 「新改訳」,新改訳聖書刊行会)確かに洞察力は,それを持つ人にとって「命の井戸」です。しかし,愚かな者はどうですか。『知恵と懲らしめを軽んじます』。(箴言 1:7)彼らは,エホバからの懲らしめを退けることにより,どんな結果を刈り取りますか。先に見たように,ソロモンは「愚かな者たちの懲らしめは愚かさである」と述べています。(箴言 16:22)彼らは一層の懲らしめを受け,それは厳しい懲罰という形を取ることも少なくありません。愚かな者は自分の身に,辛苦,恥,病気,さらには不慮の死を招くこともあります。
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