ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 笑い
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 「賢い者たちの心は嘆きの家にあるが,愚鈍な者たちの心は歓びの家にある」,とソロモンは続けて述べています。「賢い者の叱責を聞くことは,愚鈍な者たちの歌を聞く人となることに勝る」。(伝 7:4,5)賢い心は,人が死んだ家で,その遺族の家に当然見られる厳粛さと気持ちを合わせます。賢い心はそれによって,自分自身がどのように生きているかを見つめるようになります。しかし,愚かな心は浮かれ騒ぎの場所の無とん着な雰囲気にひかれます。そのためその人は,浅薄で無思慮な精神で人生に向かうことになります。もし人が正しい道から迷い出ているなら,賢い者の叱責はその人を矯正し,その人が自分自身のための良い名を得られるようにすることによって,命の道に連れ戻すものとなります。しかし,愚かな者の歌やむなしいへつらいは,過ちを隠し,間違った歩みの点でわたしたちをかたくなにします。そのようなものを聞くことがどうして助けになり得るでしょうか。そうするなら,わたしたちは引き続き悪い名を成すよう促されることになり,エホバとの関係における良い名を得る道に進むよう矯正されることはありません。

  • 喪,嘆き悲しむ
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 嘆き悲しむべき時 伝道の書 3章1,4節は,「泣くのに時があり,笑うのに時がある。泣き叫ぶのに時があり,跳び回るのに時が」あると述べています。全人類が死にゆく状態にあるので,賢い者たちの心は宴会の家よりも「嘆きの家」にあることが示されています。(伝 7:2,4。箴 14:13と比較。)したがって,賢い人はそのような出来事を無視して楽しみを求めるほうを選ぶ代わりに,機会を活用して同情を表わし,慰めを与えます。そうすることは自分の死すべき状態を思いに留め,創造者に対して心の正しい態度を保つのに役立ちます。

日本語出版物(1954-2025)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする