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  • あなたならメシアを認めましたか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
塔96 11/15 28–31ページ

あなたならメシアを認めましたか

イエス・キリストは3年半を費やして,イスラエル人の間で神の言葉を宣べ伝えました。しかし,地上でのその宣教が終わるころまでに,同時代の人々の大多数は,メシアすなわち神の約束の「油そそがれた者」イエスを退けていました。なぜでしょうか。

聖書は,1世紀のユダヤ人がイエスをメシアと認めなかった幾つかの原因を知るのに役立ちます。多くの人は,それらの原因のうちの三つにこだわり,すでに支配しておられるメシアなる王というイエスの現在の地位を認めません。

「わたしたちは……しるしを見たいのですが」

1世紀のユダヤ人がメシアを認めなかった原因の一つは,彼がメシアであることを示す聖書的なしるしを受け入れようとしなかったことにあります。イエスの話を聴いていた人たちは,イエスが神から遣わされた証拠になるしるしを行なうよう,折に触れてイエスに迫りました。例えば,マタイ 12章38節は,書士とパリサイ人の幾人かが,「師よ,わたしたちはあなたからのしるしを見たいのですが」と述べたことを伝えています。イエスは,すでにしるしを見せていたのではないでしょうか。もちろん,そうです。

イエスは,そのころまでにかなり多くの奇跡をすでに行なっておられました。水をぶどう酒に変え,死にそうだった少年をいやし,ペテロのしゅうとめの病気を治し,らい病人を清め,まひした人が歩けるようにし,38年のあいだ病気にかかっていた人の健康を回復させ,ある人のなえた手を元通りにし,多くの人を悲痛な疾患から解放し,ある士官の奴隷をいやし,やもめの息子を生き返らせ,盲目で口のきけない人を治しておられたのです。これらの奇跡は,カナ,カペルナウム,エルサレム,ナインで起きました。そのうえ,こうした奇跡に関するニュースは,ユダヤとその周辺の地方にも広まりました。―ヨハネ 2:1-12; 4:46-54。マタイ 8:14-17; 8:1-4; 9:1-8。ヨハネ 5:1-9。マタイ 12:9-14。マルコ 3:7-12。ルカ 7:1-10; 7:11-17。マタイ 12:22。

明らかに,イエスがメシアであることを証明するしるしに不足はありませんでした。イエスは人々の前で非常に多くのしるしを行なわれましたが,人々はイエスに信仰を持ちませんでした。イエスが神から遣わされた方である証拠を見ながらイエスをメシアと認めなかった人たちは,霊的に盲目でした。彼らの心は,かたくなで,真理を受け付けませんでした。―ヨハネ 12:37-41。

現代はどうでしょうか。「自分は目に見えるものしか信じない」と言う人たちがいます。しかし,そういう方針をとるのは本当に賢明でしょうか。聖書預言はイエスがメシアの王国で天的な王としてすでに即位しておられることを示唆しています。イエスは目に見えないので,わたしたちにはイエスが支配しておられることを察知するためのしるしが必要です。そのしるしは,この邪悪な事物の体制の終わりの日の始まりを特徴づけるものでした。あなたは,そのしるしが分かりますか。―マタイ 24:3。

聖書によれば,メシアなる王としてのキリストの支配の始まりは,前例のない規模の戦争,地震,食糧不足,疫病などによって特徴づけられることになっています。「終わりの日」における対人関係は,利己心,貪欲,抑制の欠如などを特色とすることになっています。(テモテ第二 3:1-5。マタイ 24:6,7。ルカ 21:10,11)メシアの統治が1914年に始まったことは,年代計算による裏づけのほかに,終わりの日に関する20以上の異なる特色によって正確に示されています。―「ものみの塔」誌,1993年3月1日号,5ページをご覧ください。

「金を愛する者」

ユダヤ人がメシアであるイエスを退けた別の原因は,物質主義にありました。多くの人は富を重視しすぎたため,イエスのあとに従うことができませんでした。例えば,パリサイ人は「金を愛する者」として知られていました。(ルカ 16:14)ある富んだ若い支配者の場合を考えてみましょう。その人はイエスに近づいて,どうすれば永遠の命が得られますか,と尋ねました。「おきてを絶えず守り行ないなさい」というのがイエスの答えでした。それに対して青年は,「わたしはそれらをみな守ってきました。まだ何が足りないのですか」と質問しました。特定の律法を守る以上のことが求められる,という点に気づいていたものと思われます。イエスは青年に,「行って,自分の持ち物を売り,貧しい人たちに与えなさい。そうすれば,天に宝を持つようになるでしょう。それから,来て,わたしの追随者になりなさい」と告げました。何とすばらしい機会でしょう。メシアの弟子になることができるのです。しかし,この支配者は悲嘆して立ち去りました。なぜでしょうか。その人にとって,地上の宝は天の宝よりも重要だったからです。―マタイ 19:16-22。

この状況は変わっていません。メシアなる王の真の追随者になるとは,霊的な関心事を,地上の持ち物を含め,他のすべてのものに優先させることを意味します。それは,物質主義的な見方をする人には難しいことです。例えば,東洋のある土地にいる宣教者の夫婦は,聖書について一人の女性に話しました。その夫婦は,この女性がエホバ神とみ子イエス・キリストについてもっと知りたいと思うだろうと考え,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を勧めました。その人はどう反応したでしょうか。「これらの雑誌を読めば,もっとお金が儲かりますか」と尋ねたのです。その女性は,霊的な物事よりも物質に関心を寄せていました。

この同じ夫婦は,ある青年と聖書を研究していました。そして青年は王国会館で行なわれる集会に出席するようになっていました。青年は親から,「そんなことは時間の無駄だ。夜も別の仕事をして,もっと金を稼いだらどうだ」と言われました。メシアなる王について学ぶことより物質を優先させるよう親が子供に言い聞かせるとは,何と残念なことでしょう。中国には,「支配者はどれほど富んでいようと,1万年の命を買うことはできない」という意味のことわざがあります。

メシアなる王について学び,そのあとに従うなら,金銭を愛する余地はないことを多くの人は悟るようになりました。かつては高収入の事業を自分で営んでいたあるエホバの証人の女性は,こう言いました。「お金がたくさんあるのは,とても気持ちのよいことですが,たくさん持つ必要はありません。人を幸福にするのはお金ではありません」。今この女性は,ものみの塔協会のヨーロッパの支部の一つにおり,そのベテル家族の一員です。

「ユダヤ人たちに対する恐れ」

人への恐れは,ユダヤ人がイエスをメシアとして受け入れなかったもう一つの原因です。イエスをメシアと公に認めるのは,自らの評判を危うくすることを意味しました。ある人たちにとって,その代価はあまりにも高すぎました。サンヘドリンと呼ばれたユダヤ人の高等法廷の一員,ニコデモについて考えてみましょう。ニコデモは,イエスによるしるしと教えに感銘し,こう告白しました。「ラビ,わたしたちは,あなたが教師として神のもとから来られたことを知っております。神が共におられない限り,あなたがなさるこうしたしるしを行なえる者はいないからです」。それでもニコデモは,夜陰にまぎれてイエスを訪ねました。おそらく他のユダヤ人に気づかれないようにするためだったのでしょう。―ヨハネ 3:1,2。

イエスの話を聞いた多くの人にとって,人の是認は神の是認よりも重要でした。(ヨハネ 5:44)西暦32年,イエスが仮小屋の祭りのためエルサレムにおられたとき,「群衆の間では,イエスに関するひそひそ話が盛んになされて」いました。だれひとりイエスについておおっぴらに話さなかったのは,「ユダヤ人たちに対する恐れのため」でした。(ヨハネ 7:10-13)イエスにいやされて目が見えるようになった人の親たちでさえ,その奇跡が神の代表者によってなされたことを認める気になれませんでした。やはり「ユダヤ人を恐れていた」のです。―ヨハネ 9:13-23。

今日でもある人たちは,イエスがメシアなる王としていま天で統治しておられることは分かるものの,それを公に認めることを恐れます。他の人たちの間で自分の評判が悪くなるということは,その人たちにとっては代償が大きすぎるのです。例えば,ドイツでのこと,あるエホバの証人が一人の男性と聖書について話し合ったところ,その男性はこう言いました。「エホバの証人の皆さんが聖書について説く事は真実です。でも,仮にわたしが今日エホバの証人になったとしたら,明日はもうだれもが知るところとなるでしょう。職場の人,近所の人,家族や私が所属しているクラブの人からどう思われるでしょうか。私には耐えられません」。

何が人への恐れを生み出すのでしょうか。誇り,家族や友人から良く思われたいという気持ち,あざけられ,屈辱を受けることへの恐れ,多数派と異なることに対する不安などです。そうした気持ちは,エホバの証人と聖書研究を始める人々にとって特に試みとなります。例えば,ある若い女性は,イエス・キリストによる支配のもとで,メシアの王国が地上に設ける楽園について学んで感激しました。しかし,この女性はディスコが大好きで,人への恐れが妨げとなり,その希望について他の人に話すことができませんでした。しかし,最後には勇気を振るって,はばかることなく聖書について話すようになりました。ディスコ仲間からは相手にされなくなりましたが,夫と両親が関心を示してくれました。やがて,この女性とその母親はバプテスマを受け,夫と父親は聖書研究を始めました。人への恐れを克服して,何と大きな報いを受けたのでしょう。

あなたはメシアを本当に認めますか

イエスが苦しみの杭の上で死に瀕していた時,弟子たちの幾人かはその場にいました。彼らはイエスが予告されていたメシアであることを認めていました。ユダヤ人の支配者たちもまたその場にいました。彼らは,言わば相変わらずしるしを求めていました。「この者が神のキリスト[または,メシア],選ばれた者であるのなら,自分を救うがよい」。(ルカ 23:35)彼らは,しるしを求めるのをやめるつもりはないのでしょうか。イエスは,幾十もの奇跡を行なっておられました。それに加えて,イエスの誕生,宣教,裁判,処刑,復活などにより,ヘブライ語聖書の数多くの預言が成就していました。―ものみの塔聖書冊子協会発行,『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』,343,344ページをご覧ください。

通行人たちは,イエスがメシアである証拠を認めていなかったため,イエスを非難しました。(マタイ 27:39,40)物質主義の兵士たちは,イエスの衣服を分け,内衣についてはくじを引きました。(ヨハネ 19:23,24)人への恐れが関係している場合もありました。例えば,サンヘドリンの一員であったアリマタヤのヨセフについて考えてみましょう。この人は,「イエスの弟子でありながらユダヤ人たちに対する恐れからひそかな弟子となって」いました。メシアの死後,ヨセフとニコデモはイエスの遺体を引き取りました。こうしてヨセフは人への恐れを克服しました。―ヨハネ 19:38-40。

もし1世紀に生きていたなら,あなたはイエスをメシアとして認めたでしょうか。そうするには,聖書的な証拠を受け入れ,物質主義的な考え方を退け,人への恐れに屈しないようにすることが求められたでしょう。この終わりの日にわたしたちは一人一人,『自分は今,イエスを天的なメシアなる王と認めるだろうか』と自問しなければなりません。イエスは間もなく地上の物事を掌握されます。それが生じる時,あなたはイエス・キリストを約束のメシアとして本当に認める人の一人になっているでしょうか。

[28ページの図版]

イエスがメシアなる王である証拠を決して無視してはならない

[31ページの図版]

メシアについて学ぶには,多くの場合,他の人が何と言うかという恐れを克服しなければならない

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