-
終わりの日聖書に対する洞察,第1巻
-
-
「事物の体制の終結」 しかし,イエス・キリストが予告しておられたように,背教はクリスチャンの集団全体を巻き込んだわけではありませんでした。忠節な真のクリスチャンは「雑草」と交じり合った「小麦」のようになることになっていました。キリストの臨在が見えない様で霊において始まった後に,またその時存在している「事物の体制の終結」の期間中に,明確な分離と区分が明らかにされることになっていました。「雑草」,すなわち「邪悪な者の子たち」は『人の子の王国から集め出される』ことになっていました。真のクリスチャン会衆はこうしてきれいにされて,清い小麦の畑になり,見せかけだけの偽のクリスチャンは,真のクリスチャン会衆から除外されるのです。雑草のような者たちは最終的に「火の燃える炉」に投げ込まれますが,小麦のような者たちは「その父の王国で太陽のように明るく輝く」ことになります。(マタ 13:24-30,37-43)このことはサタンの邪悪な支配下にある事物の体制の,滅びに先立つ終結の部分を明確に指し示すものでした。
-
-
事物の体制聖書に対する洞察,第1巻
-
-
例えば,イエスはマタイ 13章37-43節で一つのたとえ話を説明し,「畑は世界[コスモス]です。……収穫は事物の体制[アイオーンの変化形]の終結であり,……それゆえ,雑草が集められて火で焼かれるのと同じように,事物の体制の終結のときにもそのようになります」と言われました。ジェームズ王欽定訳など一部の翻訳は,これらの節にあるコスモスとアイオーンを両方とも「世界」という語で訳出しています。しかし,このたとえ話の中の農夫が焼き尽くすのは,「世界」を表わす「畑」ではなく,「雑草」だけであることは明らかです。したがって,終わる,もしくは『終結する』ものは,「世界」(コスモス)ではなく事物の体制(アイオーン)です。ジョージ・キャンベルの翻訳はこの部分を次のように訳出しています。「畑は世界である。……収穫はこの状態の終結である。……この状態の終結の時はそのようになる」―「四福音書」,ロンドン,1834年。
イエスは,雑草が偽のクリスチャンを表わしているのに対して,小麦は油そそがれた真のクリスチャン,本当の弟子を表わしていることを示されました。そのため,ここで収穫の季節として描写されている事物の体制の終結は,この場合,ユダヤ人の事物の体制の終結や,「小麦」と「雑草」が妨げられずに一緒に成長する「状態」の終結ではなく,後に使徒パウロが言及しているのと同じ事物の体制の終わり,つまりサタンの支配によって印づけられた「今の事物の体制」の終わりを指しているに違いありません。(テモ一 6:17)イエスが引き網と魚を分ける業に関して示された付加的な例えの場合も同じです。そのときイエスは,「事物の体制の終結のときにもそのようになるでしょう。み使いたちは出かけて行って,義人の中から邪悪な者をより分け(ます)」と言われました。(マタ 13:47-50)弟子たちがその後のある時に,『イエスの臨在と事物の体制の終結のしるし』に関する質問をした時,彼らの思いの中にはきっとイエスのそれらの言葉があったのでしょう。(マタ 24:3)イエスは,ご自分の弟子たちが行なう弟子を作る業において,事物の体制の終結の時まで弟子たちと共にいると約束されましたが,その約束も,サタンの支配によって生じる物事の状態の終結に言及したものに違いありません。―マタ 28:19,20。
-