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    聖書に対する洞察,第1巻
    • 書士たちは人々から尊敬されていて,「ラビ」(ギ語,ラッベイ,「わたしの偉大な方; わたしの優れた方」。「多い」,「偉大な」という意味のヘブライ語ラヴに由来。教師たちを呼ぶときに用いた尊称)と呼ばれました。この語は聖書中の数か所でキリストを指して用いられています。ヨハネ 1章38節では,この語が「師」を意味すると説明されています。事実,イエスは弟子たちの師でした。しかしイエスは,マタイ 23章8節で,弟子たちが書士たちのようにその名称をむやみに欲したり称号として自らに付したりすることを禁じました。(マタ 23:2,6,7)ユダヤ人の書士とパリサイ人は共にイエスから強くとがめられました。彼らは律法に付け加え,律法を巧みに逃れるための抜け穴を設けていたからです。このためイエスは,「あなた方は,自分たちの伝統のゆえに神の言葉を無にしています」と言われました。イエスはその一例を引き合いに出されました。彼らは自分の父や母を援助していなければならない人が,親を助けるのに用いることのできるはずの自分の資産や所有物を神に献納された供え物であるとして,親を援助しないでいることを許していたのです。―マタ 15:1-9; マル 7:10-13。「コルバン」を参照。

  • 罪
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 違犯,つまり「踏み越えること」 罪は「違犯」という形を取ることもあります。パラバシス(違犯)というギリシャ語は基本的には,「踏み越えること」,すなわち,とりわけ律法を破る場合のように,ある限度もしくは限界を越えることを指しています。マタイはその動詞形(パラバイノー)を使って,イエスの弟子たちがなぜ『昔の人々からの伝統を踏み越えた』かに関するパリサイ人や書士たちの質問と,それら反対者がなぜ『自分たちの伝統のゆえに神のおきてを踏み越えた』かに関するイエスの逆の質問を列挙しています。彼らは自分たちの伝統によって神の言葉を無にしていたのです。(マタ 15:1-6)この語は,奉仕の務めや使徒職の地位から「外れた」ユダの場合のように(使徒 1:25),「踏み迷う」ことをも意味し得ます。幾つかのギリシャ語本文では,「油そそがれた方の教理を越えて,それにとどまらない」者に言及する際,この同じ動詞が使われています。―ヨハ二 9,ダイアグロット。

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