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カエサル聖書に対する洞察,第1巻
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神とカエサル 記録に残されている中でイエスがカエサルに言及した唯一の言葉は,「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」という原則を定められたときの言葉です。(マタ 22:17-21; マル 12:14-17; ルカ 20:22-25)この言葉を引き出す元になったのは,ユダヤ人がローマ国家に「人頭税」を支払うことに関する質問でした。ですから,その質問は制定された法もしくは慣例に関するものであり,したがってその質問にしても答えにしても,当時治めていたティベリウスに限定するつもりで言われたものではないようです。(マタ 17:25と比較。)「カエサル」という語が意味もしくは象徴していたのは,しかるべく任じられた代表者たちによって代表される民事当局,すなわち国家のことで,パウロが「上位の権威」と呼び,ペテロが「王」や王の「総督」と表現したものでした。―ロマ 13:1-7; テト 3:1; ペテ一 2:13-17。「上位の権威」を参照。
ですから,カエサルの「もの」とは,世俗の政府によって行なわれる奉仕に対して当然支払うべきものを意味していました。その奉仕に対して政府は税や貢ぎを課していました。ローマ国家は帝国主義的な性格を帯びていたとはいえ,臣民のために街道の建設,ある種の郵便事業,および公共の秩序の維持と犯罪分子からの保護など,数多くの公益事業を行なっていました。人々はこれらの公益事業に対して税を支払いました。「人頭税の硬貨」と呼ばれるカエサルの硬貨に言及したイエスの言葉はこのことを強調するものでした。―マタ 22:19。
クリスチャンにまで支払いを要求する「カエサル」の権威も,神に対するクリスチャンの奉仕を侵害することは許されないという点が,『神のものは神に返すべきである』というイエスの言葉に示されています。(マタ 22:21)イエスの使徒たちは,人間の当局者に対する自分たちの義務が絶対的なものではなく,限られた相対的なものであると理解していることを示しました。というのも,後にユダヤ人の最高法廷に連れ出された時,彼らはき然として,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」と言明しているからです。その言葉は人間の法または要求が神のそれと衝突する場合を述べたものでした。―使徒 5:29。
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統治,政府聖書に対する洞察,第2巻
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クリスチャンと政府 イエス・キリストや初期のクリスチャンは,当時の人間の政府に干渉するようなことを一切しませんでした。(ヨハ 6:15; 17:16; 18:36; ヤコ 1:27; 4:4)また,社会が存在するためには何らかの形態の政府が必要であるという事実を認めていたので,革命や市民的不服従を助長することも決してありませんでした。(ロマ 13:1-7; テト 3:1)イエスは,「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」と述べて,神の真の崇拝者たちが従うべき指針となる原則を示されました。(マタ 22:21)この原則によって初期クリスチャン(また,それ以後のクリスチャン)は,二つの権威,つまり国の政府の権威と神の権威との関係に関して正しい平衡を保つことが可能になりました。さらにイエスは,地上でのご自分や,ひいてはご自分の弟子たちが,「カエサル」の政府と闘う立場ではなく,むしろ神の律法に抵触しない限りその法規に従う立場にあることを示されました。ピラトも自ら,「わたしは彼に何の過失も見いださない」と述べて,この事実を認めました。(ヨハ 18:38)使徒たちはイエスの模範に倣いました。―使徒 4:19,20; 5:29; 24:16; 25:10,11,18,19,25; 26:31,32。「王国」; 「上位の権威」を参照。
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例え聖書に対する洞察,第2巻
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(2)例えは,真理を誤用し,神の僕たちをわなにかけようとする者たちから真理を隠します。イエスは,かまを掛けるためのパリサイ人の質問に対し,税金の硬貨の例えを用いて答え,結論として,「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」と言われました。イエスの敵たちの場合には,それをどう適用するかということは彼ら自身に委ねられましたが,イエスの弟子たちは,そこに示された中立の原則を十分に理解しました。―マタ 22:15-21。
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