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  • イエスは敵を公然と非難される
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
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イエスの生涯と宣教

イエスは敵を公然と非難される

イエスは,ご自分の宗教上の敵たちを徹底的に論破したので,彼らは怖くなり,それ以上は何も質問できません。そこでイエスはご自分のほうから,敵が無知であることを暴かれます。「あなた方はキリストについてどう考えますか。彼はだれの子ですか」とイエスはお尋ねになります。

「ダビデの子です」とパリサイ人は答えます。

イエスは,ダビデがキリスト,つまりメシアの肉の祖先であることは否定されませんが,こう質問されます。「では,どうしてダビデは,霊感によって[詩編110編で]彼を『主』と呼び,『エホバはわたしの主に,「わたしがあなたの敵たちをあなたの足の下に置くまで,わたしの右に座っていなさい」と言われた』と言っているのですか。それで,ダビデが彼を『主』と呼んでいるのであれば,どうして彼の子でしょうか」。

パリサイ人たちは,キリスト,つまり油そそがれた者が実際にはだれかを知らないので,黙っています。パリサイ人はメシアが単なるダビデの人間の子孫だと考えていたようですが,メシアは以前から天で存在しておられ,ダビデより優れた者,もしくは主でした。

イエスはここで群衆と弟子たちのほうを向き,書士やパリサイ人について警告されます。イエスはこれらの者たちが神の律法を教え,『モーセの座に座っている』ゆえに,「彼らがあなた方に告げることはみな行ない,また守りなさい」と勧められます。しかしイエスは,「その行ないに倣ってはなりません。彼らは言いはしますが,実行しないからです」と付け加えられます。

彼らは偽善者ですから,イエスは何か月か前に,あるパリサイ人の家で食事をしていた時に話されたような口調で,敵を公然と非難されます。イエスは,「すべてその行なう業は人に見せようとしてするのです」と言われ,幾つかの例を挙げられます。

『彼らは,お守りとして身に着ける聖句入れの幅を広げます』。聖句入れは比較的小さな箱で,額か腕に付け,その中には律法の四つの部分が入っています。それは,出エジプト記 13章1節から10節と11節から16節,申命記6章4節から9節と11章13節から21節でした。しかしパリサイ人たちは,自分たちが律法に対して熱心であることを印象づけるために,この箱を大きくしています。

イエスは続けて,彼らが「衣の房べりを大きくしている」と言われます。民数記15章38節から40節で,イスラエル人たちは衣に房べりを付けるように命じられていましたが,パリサイ人たちはほかのだれよりも大きな房べりを付けていました。何もかも人に見せるためなのです。『彼らは最も目立つ場所を好みます』とイエスは非難されます。

残念なことにイエスの弟子たちも,目立ちたいというこの欲望の影響を受けています。そこでイエスはこう助言されます。「しかしあなた方は,ラビと呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。また,地上のだれをも父と呼んではなりません。あなた方の父はただ一人,天におられる方だからです。また,『指導者』と呼ばれてもなりません。あなた方の指導者はキリスト一人だからです」。弟子たちは一番でありたいという願いを避けなければならないのです。イエスはこう訓戒されます。「あなた方の間で一番偉い者は,あなた方の奉仕者でなければなりません」。

次にイエスは書士やパリサイ人に対して,一連の災いを宣告され,彼らを何度も偽善者と呼ばれます。イエスは彼らが,『人の前で天の王国を閉ざし』,「やもめたちの家を食い荒らし,見せかけのために長い祈りをする者たち」であると言われます。

イエスは,「盲目の案内人よ,あなた方は災いです」と言われます。また,パリサイ人が自分たちで勝手に区別を設けていることに見られるように,霊的な事柄を評価する力に欠けている点を非とされます。例えばパリサイ人は,「神殿にかけて誓っても,それは何のことはない。しかし,神殿の金にかけて誓うなら,その者には務めがある」と言います。その崇拝の場所の霊的な価値よりも神殿の金に重きを置いて,自分たちが道徳的に盲目であることを示しているのです。

それからイエスは,以前と同じように,パリサイ人がさほど重要ではない植物の什一,または十分の一を支払うことに非常に注意深くありながら,「律法のより重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実」を無視していると言ってとがめられます。

イエスはパリサイ人を,「盲目の案内人,ぶよは濾し取りながら,らくだを呑み込む者たち」と呼ばれます。パリサイ人たちがぶどう酒からぶよを濾し取るのは,それが虫だからというだけではなく,ぶよが儀式上汚れたものだったからです。しかし,彼らが律法のより重大な事柄を無視したことは,やはり儀式上汚れた動物であった,らくだを呑み込むようなものでした。マタイ 22:41-23:24。マルコ 12:35-40。ルカ 20:41-47。レビ記 11:4,21-24。

◆ イエスが詩編110編でダビデが述べたことについて質問した時,なぜパリサイ人たちは黙ってしまったのですか。

◆ パリサイ人たちが聖句入れや衣の房べりを大きくしていたのはなぜですか。

◆ イエスは弟子たちにどんな助言をお与えになりますか。

◆ パリサイ人たちはどんな区別を自分たちで勝手に設けていましたか。イエスは,彼らがより重大な事柄を無視していることをどのように非難されますか。

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