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エルサレム聖書に対する洞察,第1巻
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市全体は破壊され,ヘロデの宮殿の幾つかの塔と西側の城壁の一部だけが,防衛力も何ら役立たなかったことを後代に示す証拠として残っています。ヨセフスは,それら残ったものを別にすれば,「市を囲んでいた城壁の残りの部分は完全に崩されたため,将来この場所を訪れる人にとって,そこにかつて人が住んでいたと思わせるものは何一つないほどになった」と述べています。(ユダヤ戦記,VII,3 [i,1])ローマにあるティツスの凱旋門の浮き彫りには,破壊された神殿の神聖な器物を運ぶローマの兵士が描かれています。―マタ 24:2; 第2巻,752ページの写真と比較。
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神殿聖書に対する洞察,第1巻
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西暦70年にエルサレムがローマ人により攻囲されていた時,ユダヤ人は神殿の境内を城砦,もしくは要塞として用いました。ユダヤ人自ら柱廊に火を放ちましたが,あるローマの兵士がローマ軍の司令官ティツスの意に反して,神殿そのものに火をつけたため,神殿の建物に関しイエスの言われた,「石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してないでしょう」という言葉が成就しました。―マタ 24:2; ユダヤ戦記,VI,252-266(iv,5-7); VII,3,4(i,1)。
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