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  • イエスの到来,それともイエスの臨在 ― どちらですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
塔96 8/15 9–14ページ

イエスの到来,それともイエスの臨在 ― どちらですか

「あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」― マタイ 24:3。

1 イエスの宣教において,質問にはどのような役割がありましたか。

イエスは巧みに質問して,聴き手に考えさせ,物事を新たな観点で熟考させることさえされました。(マルコ 12:35-37。ルカ 6:9; 9:20; 20:3,4)感謝すべきことに,イエスは質問に答えることもされました。その答えのおかげで,それがなければ知ることも理解することもできなかったような真理が明らかになっているのです。―マルコ 7:17-23; 9:11-13; 10:10-12; 12:18-27。

2 今,どんな質問に注意を向けるべきですか。

2 マタイ 24章3節には,イエスがかつて答えた最も重要な質問の一つが記されています。地上での生涯を間もなく終えようとしていたイエスは,エルサレムの神殿が滅ぼされて,その滅びがユダヤ人の体制の終わりを画するものとなることを警告したばかりでした。そのあとマタイの記述はこうなっています。「イエスがオリーブ山の上で座っておられたところ,弟子たちが自分たちだけで近づいて来て,こう言った。『わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在[「来たりたまう」(つまり,「到来」),ジェームズ王欽定訳]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか』」― マタイ 24:3。

3,4 種々の聖書のマタイ 24章3節のかぎとなる語の訳し方には,どんな重大な違いがありますか。

3 聖書を読む幾百万もの人々は,『弟子たちはなぜこのような質問をしたのだろう。それに対するイエスの答えは自分にどう影響するのだろうか』と考えてきました。イエスは返答の中で,木が芽吹くのを見れば夏の「近い」ことが分かる,と言われました。(マタイ 24:32,33)そのため,多くの教会は,使徒たちが尋ねていたのはイエスの「到来」のしるし,つまりイエスの戻って来られる時が差し迫っていることを示すしるしである,と教えます。人々は,イエスがこの「到来」の時点でクリスチャンを天へ連れて行き,そのあと世の終わりをもたらす,と信じています。あなたはそれが正しいと思われますか。

4 新世界訳聖書を含め,幾つかの訳の聖書では,「到来」という訳の代わりに,「臨在」という語が用いられています。弟子たちが質問し,イエスがそれに答えて言われた事柄は,諸教会で教えられている事柄とは異なる,ということがあり得るでしょうか。実際にはどんなことが質問されたのでしょうか。イエスはどんな答えを述べましたか。

弟子たちは何を尋ねていたのか

5,6 使徒たちがどんな考えでマタイ 24章3節の質問をしたかについて,どんな結論を下せますか。

5 イエスが神殿について言われた事柄から推して,『イエスの臨在[もしくは,到来]と事物の体制[字義,「時代」]の終結のしるし』を尋ねた弟子たちは,恐らく,ユダヤ人の物事の取り決めのことを考えていたのでしょう。―欽定訳のコリント第一 10:11およびガラテア 1:4の「世」と比較してください。

6 この時の使徒たちは,イエスの教えをまだ十分に把握してはいませんでした。それより少し前には,「神の王国が今やたちどころに出現する」ものと想像していました。(ルカ 19:11。マタイ 16:21-23。マルコ 10:35-40)オリーブ山で説明を受けたあとでさえ,聖霊で油そそがれるまでは,イエスがイスラエルに王国を回復されるのは今なのかと尋ねました。―使徒 1:6。

7 使徒たちがイエスの将来の役割について尋ねたのはなぜですか。

7 それでも,彼らはイエスが去って行かれることは知っていました。少し前にイエスが,「光はもうしばらくあなた方の間にあることでしょう。光のあるうちに歩きなさい」と言われたからです。(ヨハネ 12:35。ルカ 19:12-27)ですから,彼らはきっと,『イエスが去って行こうとしておられるのであれば,戻って来られた時にはどのようにそれが認められるのだろうか』と考えたことでしょう。イエスがメシアとして登場した時,ほとんどの人はそれを認めませんでした。それから1年以上たっても,メシアが成就するはずの事柄すべてをイエスが成就するかどうかについての疑問が残されていました。(マタイ 11:2,3)ですから,使徒たちが将来のことを問い尋ねたのももっともなことでした。しかし,それにしても,彼らは,イエスが間もなく戻って来られることのしるしを尋ねていたのですか,それとも別の何かを尋ねていたのでしょうか。

8 使徒たちは恐らくどんな言語でイエスと話していましたか。

8 あなたがオリーブ山でのその会話を聴いている鳥だったとしたらどうでしょう。(伝道の書 10:20と比較してください。)あなたは多分,イエスと使徒たちがヘブライ語を話しているのを耳にしたことでしょう。(マルコ 14:70。ヨハネ 5:2; 19:17,20。使徒 21:40)しかし,恐らく,ギリシャ語も知っていたでしょう。

マタイは,ギリシャ語では何と書いたか

9 マタイによる書の現代の翻訳はたいてい何を拠り所にしていますか。

9 西暦2世紀のものである幾つかの文献は,マタイが福音書を初めはヘブライ語で書いたことを示しています。マタイは後にその書をギリシャ語で書き直したようです。ギリシャ語の写本が現代まで数多く残っており,マタイの福音書を今日の言語に翻訳するための拠り所となっています。マタイはオリーブ山でのその会話をギリシャ語で何と書いたのでしょうか。弟子たちが尋ね,イエスが説明した「到来」もしくは「臨在」について何と書きましたか。

10 (イ)マタイはしばしば,「来る」を意味するどんなギリシャ語を用いましたか。その語はどんな意味を帯びる場合がありますか。(ロ)ほかにギリシャ語のどんな言葉が関心の対象となりますか。

10 マタイの最初の23章には,「来る」を意味する普通のギリシャ語動詞,エルコマイが80回余り出てきます。この語は,ヨハネ 1章47節で,「イエスは,ナタナエルが自分のほうへ来るのをご覧にな(った)」とあるように,近寄る,もしくは近づくという考えを伝える場合が少なくありません。このエルコマイという動詞は,用い方に応じて,「到着する」,「行く」,「着く」,「達する」,あるいは「出かけて行く」という意味になります。(マタイ 2:8,11; 8:28。ヨハネ 4:25,27,45; 20:4,8。使徒 8:40; 13:51)しかしマタイは,マタイ 24章3,27,37,39節で,別の言葉,福音書の中ではほかのどこにも出ていない名詞であるパルーシアを用いました。神が霊感を与えて聖書を書かせたことから見て,マタイがギリシャ語でその福音書を記す際,なぜ神はマタイを動かしてこれらの節にギリシャ語のこの言葉を選ばせたのでしょうか。それは何を意味しますか。わたしたちはなぜ知るべきですか。

11 (イ)パルーシアにはどんな意味がありますか。(ロ)ヨセフスの著書に見られる用例は,パルーシアについてのわたしたちの理解の正しさをどのように裏書きしていますか。(脚注をご覧ください。)

11 パルーシアが「共にいること; 臨在」という意味であることははっきりしています。バインの「新約聖書用語解説辞典」はこう述べています。「パルーシア……字義[的には],臨在。共にという意味のパラと,いることという意味のウーシア(いるを意味するエイミの変化形)から成り,到着ならびにその結果として共にいることを指す。例えば,ある婦人はパピルス文書の手紙の中で,自分の財産に関係した事柄を処理するために,ある場所での自分のパルーシアが必要であることについて述べている」。他の幾つかの辞典は,パルーシアは『支配者の訪問』を意味する,と説明しています。したがって,それは単に到着の瞬間ではなく,到着してからある期間に及ぶ臨在のことなのです。興味深いことに,ユダヤ人の歴史家で使徒たちと同時代の人であったヨセフスは,パルーシアをそのような意味で使いました。a

12 聖書そのものは,パルーシアの意味を確かめるのにどのように役立ちますか。

12 「臨在」という意味には古代の文献による明確な裏づけがありますが,クリスチャンはパルーシアが神の言葉の中でどのように用いられているかに特に関心を抱きます。答えは同じであり,臨在,もしくは,いることです。パウロの手紙にその例を見ることができます。例えば,フィリピの人々にあててこう書いています。「あなた方は常に従ってきましたが,つまり,わたしのいる時だけでなく,わたしのいない今いよいよ進んで従っていますが,そのようにして,恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆきなさい」。また,「[自分]が再び[彼ら]のもとにいること[パルーシア]により」彼らが歓べるよう彼らのもとにとどまることについても述べました。(フィリピ 1:25,26; 2:12)ほかの訳では,「わたしが再びあなた方と共にいること」(ウェイマス訳; 新国際訳),「わたしが再びあなた方と共にいる時」(エルサレム聖書; 新英訳聖書),「わたしがもう一度あなた方の間にいる時」(二十世紀新約聖書)となっています。パウロは,コリント第二 10章10,11節で,「身をもってそこにいる様」を「離れている」ことと対照的に述べています。これらの例においてパウロは,自分の近づいて行くことや到着することについて述べていたのでないことは明らかです。パルーシアを,その場にいるという意味で使っています。b (コリント第一 16:17と比較してください。)では,イエスのパルーシアに言及している箇所についてはどうでしょうか。「到来」という意味で言われているのでしょうか。それとも,ある期間に及ぶ臨在を指しているのでしょうか。

13,14 (イ)パルーシアはある期間に及ぶ,と結論せざるを得ないのはなぜですか。(ロ)イエスのパルーシアの長さについては何と言わなければなりませんか。

13 パウロの時代の,霊によって油そそがれたクリスチャンたちはイエスのパルーシアに関心を抱いていました。しかし彼らに対してパウロは,『動揺して理性を失う』ことがないよう警告しました。まず「不法の人」が現われなければなりません。それはキリスト教世界の僧職者のことでした。パウロの書いているところによれば,「不法の者が存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴い」ます。(テサロニケ第二 2:2,3,9)明らかな点ですが,「不法の人」のパルーシア,すなわち存在していることは,決してほんの一時的な到着のことではありませんでした。偽りのしるしが生み出される間,しばらく続くことになっていたのです。この点が重要なのはなぜですか。

14 そのすぐ前の節について考えてみてください。「不法の者が表わし示されますが,主イエスはその者を,ご自分の口の霊によって除き去り,その臨在の顕現によってこれを無に至らせる」とあります。「不法の人」の存在が一定のあいだ続くのと同じように,イエスの臨在もある程度の期間に及ぶ事柄であり,その不法な「滅びの子」の滅びをもって最高潮を迎えるのです。―テサロニケ第二 2:8。

ヘブライ語の見地

15,16 (イ)マタイによる書の多くのヘブライ語訳には,どの語が用いられていますか。(ロ)聖書でボーはどのように用いられていますか。

15 すでに述べたように,マタイは福音書を初めはヘブライ語で書いたようです。では,マタイ 24章3,27,37,39節でヘブライ語のどんな言葉を用いたのでしょうか。マタイによる書の幾つかの現代ヘブライ語訳には,使徒たちの質問にもイエスの返答にも,ボーという動詞の変化形が出ています。つまりその箇所は,「あなたの[ボー]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」,そして『人の子の[ボー]はちょうどノアの日のようになります』となっています。ボーにはどんな意味があるのでしょうか。

16 ヘブライ語の動詞ボーは,様々な意味合いを持ちますが,基本的には「来る」を意味します。「旧約聖書神学辞典」はこう述べています。『2,532回出てくるボーは,ヘブライ語聖書で最も頻繁に使われている動詞の一つであり,動作を表わす動詞の筆頭に挙がる』。(創世記 7:1,13。出エジプト記 12:25; 28:35。サムエル第二 19:30。列王第二 10:21。詩編 65:2。イザヤ 1:23。エゼキエル 11:16。ダニエル 9:13。アモス 8:11)もしイエスと使徒たちがそうした広い意味の語を用いたとしたら,その意味については議論の余地もあるでしょう。しかし,本当にその語だったのでしょうか。

17 (イ)マタイによる書の現代のヘブライ語訳はイエスや使徒たちの語ったことを必ずしも表わしているわけではありません。それはなぜですか。(ロ)イエスや使徒たちがどんな語を用いたかに関し,ほかのどこから手掛かりが得られるかもしれませんか。わたしたちはほかにどんな理由でその資料に関心を持ちますか。(脚注をご覧ください。)

17 念頭に置かなければならないのは,現代のヘブライ語版は翻訳であって,マタイがヘブライ語で書いたとおりのものではないかもしれないという点です。実のところ,イエスはボー以外の語,つまりパルーシアの意味にかなった語を使われた可能性が十分にあります。この点は,ジョージ・ハワード教授の著わした「マタイのヘブライ語福音書」という1995年に出版された本に見られます。この本は,ユダヤ人医師シェム・トブ・ベン・イサーク・イブン・シャプルトの唱えた14世紀のキリスト教反対論に焦点を合わせています。その文書にはマタイ福音書のヘブライ語本文の一つが載せられています。マタイのこの本文は,シェム・トブの時代にラテン語もしくはギリシャ語から翻訳されたものではなく,非常に古いもので,元々ヘブライ語で記されたものであることを示す証拠があります。c ですから,これによってわたしたちは,オリーブ山で言われた事柄にいっそう近づくことができるかもしれません。

18 シェム・トブはヘブライ語のどんな興味深い語を用いていますか。その語にはどんな意味がありますか。

18 シェム・トブのマタイによる書は,マタイ 24章3,27,39節でボーという動詞を用いていません。その代わりに,それと関連のある名詞ビアーを用いています。その名詞は,ヘブライ語聖書のエゼキエル 8章5節にだけ出ており,「入り口」を意味しています。そこに出てくるビアーは,来るという行動を表わすのではなく,建物の始まりの部分を指しています。入口もしくは敷居の内側にいる人は,建物の中にいるのです。また,死海文書の一部,聖書以外の宗教文書にもしばしば,一続きの祭司の務めが回って来ること,あるいは始まることに関してビアーという語が使われています。(歴代第一 24:3-19; ルカ 1:5,8,23をご覧ください。)さらに,古代シリア語(もしくはアラム語)「ペシタ訳」の,1986年に出版されたヘブライ語訳も,マタイ 24章3,27,37,39節でビアーを用いています。ですから,古代においてビアーという名詞には,聖書中のボーという動詞とは幾分異なる意味合いがあったかもしれないという証拠があります。このことに関心を持つのはなぜですか。

19 イエスと使徒たちがビアーを用いたとしたら,どんな結論になりますか。

19 使徒たちは質問の中で,またイエスは返事の中でこのビアーという名詞を用いたのかもしれません。たとえ使徒たちがイエスの将来の到着という考えしか念頭に置いていなかったとしても,キリストはビアーを用いて,彼らが考えていた以上の事柄を含めたかもしれません。イエスは新たな職務を開始するための到着に注意を向けておられたとも考えられます。イエスの到着はイエスの新たな役割の始まりとなるのです。これなら,マタイが後に用いたパルーシアの意味合いと合致します。ビアーのそのような用法は,当然ながら,エホバの証人が長年教えてきた事柄,すなわちイエスの与えた複合の「しるし」はイエスが臨在していることの表われであるという教えを支持することになります。

イエスの臨在の最高潮を待ち望む

20,21 ノアの日についてのイエスの言葉から何を学べますか。

20 イエスの臨在についてのこうした研究は,わたしたちの生き方や期待する事柄に直接影響するはずです。イエスは,油断なく見張っているようにとご自分の追随者たちに勧めました。ご自分の臨在を認められるようしるしをお与えになりました。もっとも,ほとんどの人は注意を払わないでしょう。「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在の時もそのようになるのです」― マタイ 24:37-39。

21 ノアの日の期間中,その世代の大半の人々は自分たちの通常の営みをただ続けていました。イエスは,「人の子の臨在の時」も同じようになると予告されました。ノアの周りにいた人々は,何も起こりはしないと考えたかもしれません。ご存じのように,そうではありませんでした。ある期間に及んだそれらの日はやがて最高潮を迎え,「洪水が来て彼らすべてを流し去(り)」ました。ルカも同様の記述を残しており,それによるとイエスは「人の子の日」を「ノアの日」になぞらえておられます。イエスは,「人の子が表わし示されようとしている日も同様でしょう」と訓戒なさいました。―ルカ 17:26-30。

22 わたしたちはなぜマタイ 24章のイエスの預言に特に関心を抱くべきですか。

22 このすべてはわたしたちにとって特別な意味を帯びてきます。わたしたちは,戦争,地震,疫病,食糧不足,イエスの弟子たちに対する迫害など,イエスの予告された出来事を認める時代に住んでいるからです。(マタイ 24:7-9。ルカ 21:10-12)このような状態は,意味深くも第一次世界大戦と名づけられた,歴史を変えた紛争が起きて以来明白になってきましたが,大半の人々は,そうしたことを通常の歴史の一部とみなしています。しかし,真のクリスチャンはそれらの重大な出来事の意味を悟っています。それは,目ざとい人々がいちじくの木が芽吹くのを見て夏の近いことを理解するのと同じです。「このように,あなた方はまた,これらの事が起きているのを見たなら,神の王国の近いことを知りなさい」と,イエスは忠告しました。―ルカ 21:31。

23 マタイ 24章のイエスの言葉はだれに対して特別な意味を持っていますか。それはなぜですか。

23 イエスがオリーブ山で質問に答えて話された事柄の多くは,ご自分の追随者たちに対するものでした。終わりが来る前に全地に良いたよりを宣べ伝える救命活動の一端を担うのはその人々でした。「荒廃をもたらす嫌悪すべきものが……聖なる場所に立っている」のを識別できるのもその人々です。大患難前に『逃げる』ことによりそれにこたえ応じるのもその人々です。また,そのあとの言葉,すなわち「その日が短くされないとすれば,肉なる者はだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです」という言葉から特に影響を受けるのもその人々なのです。(マタイ 24:9,14-22)では,身の引き締まるその言葉は一体何を言おうとしているのでしょうか。その言葉を根拠に,いま一層の幸福と確信と熱心さを示すことができる,と言えるのはなぜでしょうか。マタイ 24章22節に関する次の研究でその答えを得ることができるでしょう。

[脚注]

a ヨセフスの著書に見る用例: シナイ山での稲妻と雷鳴は「神がそこに臨在しておられること[パルーシア]を宣言するものであった」。幕屋における奇跡的な顕現は「神の臨在[パルーシア]を示すものであった」。神はエリシャの僕に,周りを囲んでいた戦車を見せることにより,「ご自分の僕の目にご自分の力と臨在[パルーシア]を明らかにされた」。ローマの役人ペトローニオスがユダヤ人をなだめようとした時,『神は』降雨を生じさせることにより『ペトローニオスに対し,ご自分が彼と共にいること[パルーシア]を確かに示された』と,ヨセフスは主張しています。ヨセフスはパルーシアを単に近づいて来ることやほんの一時的な到着を指して用いているのではありません。それには継続してゆく,しかも目に見えない臨在という意味があったのです。(出エジプト記 20:18-21; 25:22。レビ記 16:2。列王第二 6:15-17)―「ユダヤ古代誌」(英文),3巻5章2節[80節],8章5節[203節]; 9巻4章3節[55節]; 18巻8章6節[284節]と比較してください。

b E・W・ブリンガーは,「英語・ギリシャ語新約聖書の校訂辞典・語句索引」の中で,パルーシアが『いること,もしくはいるようになること,したがって臨在,到着していること,また到来した時からその後ずっととどまるという考えを含む到来』を意味することを指摘しています。

c 一つの証拠として,その文書には「み名」というヘブライ語の表現が含まれており,正式もしくは略式のつづりで19回出ています。ハワード教授はこう書いています。「ユダヤ人の反対論者がキリスト教文書を引用する際,そこに含まれる神名をどう読んだかは注目に値する。もしこれがギリシャ語かラテン語のキリスト教文書のヘブライ語訳であったとしたら,その訳文には,口にするのも恐れおおい神名の象徴であるYHWHではなく,アドーナーイ[主]が記されているはずである。……口にするのも恐れおおい名を彼が付加したとは説明し難い。証拠は,シェム・トブが,本文中に神名がすでに載せられていたマタイによる書を手にしていて,恐らくは,神名を削除して有罪とされる危険を冒すよりもそれをそのままとどめたであろうことを強く示唆している」。「新世界訳聖書 ― 参照資料付き」は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中に神の名を用いる根拠の一つとしてシェム・トブのマタイによる書(エ2)を挙げています。

どのように答えますか

□ 種々の聖書のマタイ 24章3節の訳し方の違いを知るのはなぜ重要なことですか

□ パルーシアにはどんな意味がありますか。このことに関心を持つのはなぜですか

□ マタイ 24章3節のギリシャ語とヘブライ語にはどんな類似性が存在するかもしれませんか

□ マタイ 24章を理解する上で,時に関してかぎとなるどんな要素を知る必要がありますか

[10ページの図版]

オリーブ山からエルサレムを望む

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