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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1997
塔97 2/15 29ページ

読者からの質問

「ものみの塔」誌,1996年8月15日号には,「患難の最終部分においても,エホバの側に逃れている『肉なる者』は救われます」とありました。この表現は,大患難の第一局面の後に大勢の新しい人たちが神の側に付くことを暗示しているのでしょうか。

それはこの文の趣旨ではありません。

マタイ 24章22節のイエスの言葉はおもに,来たるべき大患難の初めの部分である,宗教に対する攻撃からの救いによって将来成就します。記事はこう述べています。「思い起こしてください。『肉なる者』は,油そそがれた残りの者たちについても『大群衆』についても,大いなるバビロンが患難の初めの部分で敏速に完全に没する時にすでに救われているのです」。

それらの忠実な人たちは,イエスとその天軍が大患難の最終部分で行動する際,危険にさらされることはありません。ところで,大患難のその局面をこうして切り抜けるのはどんな人たちでしょうか。啓示 7章9節と14節は,地的な希望を持つ大群衆が生き残ることを示しています。霊によって油そそがれたクリスチャンについてはどうでしょうか。「ものみの塔」誌,1990年8月15日号の「読者からの質問」は,油そそがれた残りの者がいつ天に取られるかについて独断的になることのできない理由を論じていました。ですから,最近の記事(1996年8月15日号)はその点に踏み込むことなく,「同様に,患難の最終部分においても,エホバの側に逃れている『肉なる者』は救われます」と包括的に注解しました。

大患難が始まってからだれか新しい人たちが真理を学んで神の側に来ることができるかどうかについては,マタイ 24章29節から31節に記されているイエスの言葉に注目してください。患難のぼっ発の後に,人の子のしるしが現われます。地のすべての部族は身を打ちたたいて嘆く,とイエスは言われました。人々が事の成り行きに目ざめて悔い改め,神の側に立って真の弟子になるとは述べておられません。

同様に,羊とやぎのたとえ話の中でも,人の子が現われ,人が過去に行なったことや行なわなかったことに基づいて,裁き主の立場で人を分けてゆかれます。イエスは,長い間やぎのような性質を表わしていた人が急に転向して羊のようになるとは述べておられません。どんな者であるかについて人がすでに示している事柄に基づいて裁くためにイエスは来られるのです。―マタイ 25:31-46。

しかし,この点についても独断的になるべき理由はありません。神の民は,油そそがれた者も大群衆も,いま何をしなければならないかを知っています。それは,宣べ伝え,弟子を作ることです。(マタイ 28:19,20。マルコ 13:10)今は次の勧めの言葉を心に留めるべき時です。「この方と共に働きつつ,わたしたちはまたあなた方に懇願します。神の過分のご親切を受けながらその目的を逸することがないようにしてください。『受け入れることのできる時にわたしはあなたのことばを聞き,救いの日にあなたを助けた』と言っておられるのです。見よ,今こそ特に受け入れられる時です。見よ,今こそ救いの日なのです」― コリント第二 6:1,2。

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