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アラム語聖書に対する洞察,第1巻
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イエスやその初期の弟子たち,例えば,使徒ペテロなどが少なくとも時としてガリラヤ方言のアラム語を話したとも考えられます。ペテロはキリストが拘禁された時,「確かにあなたも彼らの一人だ。現に,あなたのなまりがあなたのことを明かしているではないか」と告げられたからです。(マタ 26:73)これは同使徒がその時,ガリラヤ方言のアラム語を使っていたからそう言われたのかもしれませんが,しかしはっきりしたことは分かりません。あるいは,エルサレムやユダヤの他の場所で用いられていたヘブライ語とは違うガリラヤ方言のヘブライ語を話していたのかもしれません。それ以前に,イエスがガリラヤのナザレに来て,そこの会堂に入った時,明らかにヘブライ語で書かれていたと思われるイザヤの預言の一部を朗読し,「あなた方がいま聞いたこの聖句は,きょう成就しています」と言われました。イエスがこの章句をアラム語に訳されたとは何も述べられていません。したがって,その場に居合わせていた人々は容易に聖書のヘブライ語を理解できたものと思われます。(ルカ 4:16-21)さらに,西暦33年のペンテコステから間もないころのことに言及している使徒 6章1節が,エルサレムにいたギリシャ語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人のことを指摘しているのも注目に値します。
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ガリラヤ聖書に対する洞察,第1巻
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ある人々は,ガリラヤ人の独特の口調を外国の影響によるものと考えています。話し方を聞いただけでガリラヤ人であることがすぐに分かったというのも決して異例なことではありません。(マタ 26:73)ガリラヤとユダヤはサマリア地方によって隔てられていたのですから,それももっともなことです。今日でも地上の多くの地域において,人々はそれぞれの地方独特の口調で話すので,相手がどこの人であるかはすぐに分かります。また,当時より幾世紀も前に,イスラエルの部族の間にも発音の違いが存在していました。エフタの時代のエフライム人が「シボレト」という合い言葉を正しく発音できなかったことは,その顕著な例です。―裁 12:5,6。
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