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宣べ伝える者,宣べ伝える業聖書に対する洞察,第2巻
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イエスはユダヤの荒野の地域で40日間断食した後,そこにとどまったり,隠遁生活を送る人のように自分を孤立させたりはされませんでした。神から与えられた任務を果たすには宣べ伝える業が必要であることを認め,公にも,都市や村でも,神殿域でも,会堂でも,市の立つ広場でも,街路でも,田舎でもその業を行なわれました。(マル 1:39; 6:56; ルカ 8:1; 13:26; ヨハ 18:20)ヨハネと同じように,イエスは宣べ伝える以上のことをされました。イエスの教える業は宣べ伝える業よりも重視されました。教える業(ディダスコー)は,教え手がふれ告げる以上のことをするという点で宣べ伝える業とは異なっています。教え手は教え諭し,説明し,論議によって物事を示し,証拠を提出します。このようにイエスの弟子たちの活動は,イエスが亡くなる前でも後でも,宣べ伝える業と教える業を組み合わせたものであるべきでした。―マタ 4:23; 11:1; 28:18-20。
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事物の体制聖書に対する洞察,第1巻
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イエスは,雑草が偽のクリスチャンを表わしているのに対して,小麦は油そそがれた真のクリスチャン,本当の弟子を表わしていることを示されました。そのため,ここで収穫の季節として描写されている事物の体制の終結は,この場合,ユダヤ人の事物の体制の終結や,「小麦」と「雑草」が妨げられずに一緒に成長する「状態」の終結ではなく,後に使徒パウロが言及しているのと同じ事物の体制の終わり,つまりサタンの支配によって印づけられた「今の事物の体制」の終わりを指しているに違いありません。(テモ一 6:17)イエスが引き網と魚を分ける業に関して示された付加的な例えの場合も同じです。そのときイエスは,「事物の体制の終結のときにもそのようになるでしょう。み使いたちは出かけて行って,義人の中から邪悪な者をより分け(ます)」と言われました。(マタ 13:47-50)弟子たちがその後のある時に,『イエスの臨在と事物の体制の終結のしるし』に関する質問をした時,彼らの思いの中にはきっとイエスのそれらの言葉があったのでしょう。(マタ 24:3)イエスは,ご自分の弟子たちが行なう弟子を作る業において,事物の体制の終結の時まで弟子たちと共にいると約束されましたが,その約束も,サタンの支配によって生じる物事の状態の終結に言及したものに違いありません。―マタ 28:19,20。
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教える者,教師,教える聖書に対する洞察,第1巻
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人々を弟子とし,教える イエス・キリストは復活させられた後,ご自分の追随者たちに人々を弟子としてバプテスマを施し,ご自分の命令した事柄すべてをそれらの弟子たちに教える使命をお与えになりました。(マタ 28:19,20)広範囲にわたるこの教える業は西暦33年のペンテコステの日に開始され,その日,ユダヤ人や改宗者およそ3,000人がイエスを約束のメシアとして受け入れ,バプテスマを受けました。それら新しい弟子たちは使徒ペテロの講話を聞いてキリスト・イエスの追随者になりましたが,彼らを教えることはそれで終わったわけではありませんでした。それらの弟子たちが学ぶべき事柄はまだたくさんありました。そういうわけで,ペンテコステの祭りに出るため,遠くの場所からエルサレムに来ていた人たちは,ひたすら使徒たちの教えを受けるために滞在期間を延ばしました。彼らは使徒たちの話を聴くためだったと思われますが,毎日神殿の境内で集まりました。また,ほかのユダヤ人や改宗者たちも,そこで良いたよりを聞くようになり,信仰を抱いた男子の数はついにおよそ5,000人に増えました。(使徒 2:14–4:4)使徒たちはまた,神殿で公に教えただけでなく,イエス・キリストについての良いたよりを家から家に宣明しました。―使徒 5:42。「宣べ伝える者,宣べ伝える業」(「家から家へ」)を参照。
後日,迫害によって信者たちが散らされ,またユダヤ人ではない人々の間で宣べ伝える業が始まるにつれ,人々を弟子とする業は遠い所にまで広がりました。(使徒 8:4-12; 11:1-26)しかし,エルサレムで行なわれたように,公に宣べ伝えて教える業は多くの場合,関心のある人々を見つけるために行なわれ,弟子となった人たちはその後も引き続き教えを受けました。例えば,使徒パウロはエフェソスでは会堂で公に教えました。反対が起きた後,彼は弟子たちを不信仰なユダヤ人から別にし,ツラノの学校の講堂で弟子たちのために講話を行ないました。(使徒 19:8-10)パウロはまた,弟子たちを彼らの家でも教え,さらに家から家へと訪ねて教えることにより,関心のある,ほかの人々をも探し出しました。彼がエフェソス会衆の年長者たちに思い起こさせたとおりです。「わたしは,何でも益になることをあなた方に話し,また公にも家から家にもあなた方を教えることを差し控えたりはしませんでした」― 使徒 20:20,21。コリントでのパウロの活動に関しては,使徒 18:6,7と比較。「弟子」を参照。
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