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    聖書に対する洞察,第2巻
    • 占星術者(ギ語,マゴイ; 「マギ」,ア標 脚注,信心会,ウェイマス; 「魔術師」,ダイアグロット)は幼子イエスに贈り物を携えて来ました。(マタ 2:1-16)インペリアル聖書辞典(第2巻,139ページ)は,このマゴイがどんな人たちであったかについて注解し,こう述べています。「ヘロドトスによれば,マギとは夢を解き明かすと称し,神聖な儀式を公式に監督していたメディア人の一部族[I,101]であった。……要するに,彼らは学識のある祭司階級で,本を読んだり星を観察したりして,起ころうとしている出来事に対する超自然的な洞察力を得る能力を持っていると考えられていた。……後代の調査研究では,最盛期を迎えたマギ教の中心地をメディアやペルシャではなく,むしろバビロンとする傾向がある。『最初,メディア人の祭司たちはマギとは呼ばれていなかった。……しかし,彼らは自分たちの祭司階級を指すマギという名称をカルデア人から受けた。ヘロドトスがマギのことをメディア人の一部族と述べた理由はそのようにして説明できる』……(ヘルツォーク百科事典のJ・C・ミュラー)」― P・フェアベアン編,ロンドン,1874年。

      ですから,殉教者ユスティヌスやオリゲネスやテルトゥリアヌスがマタイ 2章1節を読んだ時,マゴイを占星術者と考えたのはもっともなことでした。テルトゥリアヌスはこう書いています(「偶像礼拝について」,IX)。「我々は魔術と占星術が相互に関連し合っていることを知っている。だから,……最初に彼[イエス]に『贈り物』を差し出したのは,星のことを解釈する者たちであった」。(「ニケア会議以前の教父たち」,1957年,第3巻,65ページ)マギという名称は「東方の占星術者を指す一般的な用語として」広まるようになりました。―「新フンクとワグナルズの百科事典」,1952年,第22巻,8076ページ。

      それで,状況証拠は,幼子イエスを訪れたマゴイが占星術者であることを強く示しています。そのため,C・B・ウィリアムズ訳の新約聖書では「星を見つめる者たち」となっており,脚注で「これは地上の出来事に関連させて星を研究する人たちのこと」と説明しています。ですから,現代の英訳でマタイ 2章1節が「占星術者たち」となっているのは適切なことです。―聖ア,新英,新世,フィリップス。

      「東方から」のこれらの占星術者たちのうち何人が幼子イエスのところに「金・乳香・没薬」を携えて来たのかは明らかにされていませんが,3人いたという伝統的な見解には事実に基づく根拠がありません。(マタ 2:1,11)占星術者であったそれらの人は偽りの神々の僕であり,それと知りながら,あるいはそれとは知らずに,動く「星」のように見えたものによって導かれました。彼らは「ユダヤ人の王」が生まれたことに対してヘロデの注意を喚起しました。そのため,ヘロデはイエスを殺させようとしました。しかし,その企ては失敗しました。エホバが介入して,占星術者たちの悪霊の神々より勝っていることを示されました。それで占星術者たちはヘロデのもとに戻る代わりに,「夢の中で神からの警告」を与えられた後,別の道を通って帰国しました。―マタ 2:2,12。

  • ヘロデ
    聖書に対する洞察,第2巻
    • イエスを訪れた占星術者たち 使徒マタイの記述によれば,イエスが「王ヘロデの時代に」ベツレヘムでお生まれになった後,東方からの占星術者たちがエルサレムに来て,東方にいた時にイエスの星を見たということを話しました。ヘロデの恐れと疑いがすぐに頭をもたげ,彼は祭司長と書士たちから,キリストがベツレヘムで生まれることになっているのを確認しました。それから占星術者たちを呼び,その星が現われた時を彼らから確かめました。―マタ 2:1-7。

      これは,イエスの誕生後しばらくたってからの出来事であるというのは注目に値します。というのは,その時イエスは飼い葉おけの中ではなく,両親と共に家の中にいたからです。(マタ 2:11。ルカ 2:4-7と比較。)占星術者たちは幼子の居場所に関する知らせをヘロデのもとに持ち帰らなかったため,王はベツレヘムとその地域の2歳以下の男の子をすべて殺りくすることを命じました。イエスはその間に,神からの警告を受けた両親によってエジプトに連れて行かれました。(マタ 2:12-18)ヘロデが死んだのが,西暦前1年よりも前であるということはまず考えられません。もしそうであれば,イエス(西暦前2年10月1日ごろに生まれた)は生後3か月にもなっていなかったことになるからです。

      一方,子供たちの殺害が行なわれた時,イエスが2歳になっている必要はなかったでしょう。1歳未満だったということさえ考えられます。というのは,ヘロデの計算は星が占星術者たちに現われた時に基づいていましたが,その時彼らは東方にいたからです。(マタ 2:1,2,7-9)それは数か月の期間だったかもしれません。というのは,占星術者たちは,昔の占星術の中心地,つまりバビロンあるいはメソポタミアから来たと思われますが,もしそうだとすれば,それはかなりの長旅だったからです。西暦前537年,イスラエル人がバビロンから故国に帰還した時,その旅には少なくとも4か月を要しました。ヘロデは,2歳までの赤子をすべて殺せば,「ユダヤ人の王」として生まれたその子供を確実に抹殺できると結論したようです。(マタ 2:2)イエスがエジプトにそれほど長くは滞在されなかったらしいという事実は,それらの出来事からほどなくしてヘロデが死んだことを暗示しています。―マタ 2:19-21。

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