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こじき,物ごい聖書に対する洞察,第1巻
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ユダヤ人が流刑から帰還した時(西暦前537年)からイエスが地上の舞台に登場する時までの期間中,ユダヤ人の間では,慈善の施しもしくは施しの贈り物をすること自体が救済に役立つという概念が出来上がっていたようです。その証拠となるのが,外典の書である「集会の書」(3:30)(西暦前2世紀の初めに書かれた)に含まれている陳述で,「慈善の施しをすることは罪の贖いになる」とあります。そのような見方は確かに物ごいを助長しました。(マタ 6:2でイエスが糾弾された,大々的に宣伝された施しと比較。)
外国の勢力による支配はユダヤ人を抑圧し,父祖の土地の権利および同類の規定に関するモーセの律法の適用が大いに妨げられる原因となったに違いありません。このことも,純粋で原則に基づいた隣人愛(マタ 23:23; ルカ 10:29-31)を教え込むのに失敗した偽りの宗教哲学と相まって,パレスチナで物ごいが広まる原因となったようです。そのため,クリスチャン・ギリシャ語聖書には,その地のこじきに言及している箇所が幾つもあります。
イエスと使徒たちの時代には,こじきの中に盲人や足のなえた人や病人のいたことが述べられています。盲人の中には眼炎(中東では今でも一般的な目の病気)のためにそうなった人もいたと思われます。(マル 10:46-49; ルカ 16:20,22; 18:35-43; ヨハ 9:1-8; 使徒 3:2-10)彼らは大抵,今日のこじきと同様,公道の傍らや神殿のような人出の多い場所の近くに身を置きました。施しをすることは注目を集めましたが,こじきは見下げられたので,イエスのたとえ話に登場する家令は,「物ごいをするのは恥ずかしい」と言いました。―ルカ 16:3。
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憐れみの施し聖書に対する洞察,第1巻
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与えることに対するふさわしくない見方 やがてユダヤ人は憐れみの施しを称賛に値する行為とみなすにとどまらず,罪を贖う力を有する行為とみなすようになりました。「貴重な品は憤怒の日に何の益にもならない。しかし義は,人を死から救い出す」という箴言 11章4節が,タルムードの概念に合わせて,「水が燃え盛る火を消すように,慈善の施しは必ずや罪を贖う」という意味に解釈されるようになりました。(ユダヤ百科事典,1976年,第1巻,435ページ)イエス・キリストが地上におられたころ,ある人々は施しを大いに見せびらかすような仕方で行なっていました。そのためと思われますが,イエスは山上の垂訓の中で,そうした慣行をはっきり非とする話をされました。―マタ 6:2-4。
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