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「自分を神の愛のうちに保ちなさい」
愛 第5章 50–61ページ
一緒に写真を撮っているクリスチャンたち

第5章

世から離れている ― どのようにして

『あなた方は世のものではありません』。―ヨハネ 15:19。

1 人間として地上で過ごした最後の晩,イエスは何を強調しましたか。

人間として地上で過ごした最後の晩,イエスは,追随者たちのその後の福祉に対する深い気遣いを表わしました。その点についてみ父に祈り,こう述べています。「わたしは,彼らを世から取り去ることではなく,邪悪な者のゆえに彼らを見守ってくださるようにお願いいたします。わたしが世のものではないのと同じように,彼らも世のものではありません」。(ヨハネ 17:15,16)この心からの願いには,追随者たちへの深い愛がこめられていると同時に,その晩すでに述べていた『あなた方は世のものではありません』という言葉の重要性も示されています。(ヨハネ 15:19)追随者たちが世から離れていることは,イエスにとって非常に重要なことだったのです。

2 イエスが述べた「世」とは何ですか。

2 イエスが述べた「世」とは,神から疎外された人類すべてのことです。サタンに支配されており,サタンを源とする利己的で誇りに満ちた霊の奴隷になっている人類です。(ヨハネ 14:30。エフェソス 2:2。ヨハネ第一 5:19)確かに,『[その]世との交友は神との敵対です』。(ヤコブ 4:4)では,神の愛のうちにとどまりたいと思う人は,どうすれば,世にいながら世から離れていることができるでしょうか。以下の五つの方法を考えましょう。キリストのもとにある神の王国への忠節と世の政治に関する中立とを保つ,世の霊に抵抗する,服装と身だしなみの点で慎み深くある,目を純一に保つ,霊的な武具を身に着ける,という方法です。

忠節と中立を保つ

3 (イ)イエスは当時の政治に関してどんな態度を取りましたか。(ロ)イエスの油そそがれた追随者たちが大使として仕えている,と言えるのはなぜですか。(脚注を含む。)

3 イエスは,当時の政治には関与せず,神の王国の伝道に焦点を合わせました。イエスには,その将来の天の政府の王となる見込みがありました。(ダニエル 7:13,14。ルカ 4:43; 17:20,21)それゆえ,ローマの総督ポンテオ・ピラトの前で,「わたしの王国はこの世のものではありません」と言えました。(ヨハネ 18:36)イエスの手本に倣う忠実な追随者たちは,キリストとその王国に忠節を尽くし,その王国を世の人々に告げ知らせます。(マタイ 24:14)使徒パウロはこう書いています。『わたしたちはキリストの代理をする大使です。わたしたちはキリストの代理としてこう願います。「神と和解してください」』。a ―コリント第二 5:20。

4 真のクリスチャンすべては神の王国への忠節をどのように実証してきましたか。(「初期クリスチャンは中立を保った」という囲みをご覧ください。)

4 大使は,外国において自国や自国の主権者を代表するので,赴任先の国の内政には干渉せず,中立を保ちます。同時に,大使は自分が代表する国の政府をしっかりと擁護します。キリストの油そそがれた追随者たち,つまり『市民権が天にある』者たちの場合も同様です。(フィリピ 3:20)事実,彼らは熱心な王国伝道により,キリストの幾百万人もの「ほかの羊」が『神と和解する』のを助けてきました。(ヨハネ 10:16。マタイ 25:31-40)それら「ほかの羊」は,いわばキリストの公使として仕え,イエスの油そそがれた兄弟たちを支援しています。これら二つのグループは,メシア王国を擁護する一つの群れとして一致しており,世の政治に関して厳正中立を守っています。―イザヤ 2:2-4。

5 クリスチャン会衆は古代イスラエルとはどのように異なっていますか。その違いは,どんな面で明らかですか。

5 真のクリスチャンが中立を保つ理由は,キリストへの忠節だけではありません。神から領土を与えられていた古代イスラエルとは異なり,わたしたちは国際的な兄弟関係に属しています。(マタイ 28:19。ペテロ第一 2:9)ですから,いずれかの国の政党を応援するなら,王国の音信に関してはばかりなく語るのが大いに難しくなり,クリスチャンとしての一致も大きく損なわれるでしょう。(コリント第一 1:10)さらに,戦争の時には,愛し合うよう命じられている仲間の信者と戦い合うことになるでしょう。(ヨハネ 13:34,35。ヨハネ第一 3:10-12)だからこそイエスは,剣を捨てるようにと弟子たちにお命じになったのです。敵を愛するようにとさえ命じておられます。―マタイ 5:44; 26:52。「わたしは中立を保っているだろうか」という囲みをご覧ください。

6 神への献身は,カエサルとの関係にどう影響しますか。

6 真のクリスチャンであるわたしたちは,いかなる人間にでも人間の組織にでも国家にでもなく,神に命をささげています。コリント第一 6章19,20節には,「あなた方は自分自身のものではありません。あなた方は代価をもって買われたからです」とあります。ですからイエスの追随者たちは,「カエサル」に誉れや税や相対的な服従といった当然返すべきものを返すとはいえ,「神のものは神に」ささげます。(マルコ 12:17。ローマ 13:1-7)それには,崇拝,魂のこもった愛,忠節な従順が含まれます。必要とあらば神のために命をなげうつこともいといません。―ルカ 4:8; 10:27。使徒 5:29。ローマ 14:8。

初期クリスチャンは中立を保った

一般の歴史には,初期クリスチャンが政治的な中立を保ち,戦争にかかわらなかったことの証拠がたくさん残されています。「キリスト教の創成」(英語)という本はこう述べています。「キリスト教の創始者たちは,既存の政治秩序に直接干渉しようとする類のいかなる傾向も生じないよう,細心の注意を払っていた」。「文明への道」(英語)という本もこう注解しています。「初期のキリスト教は異教世界の支配者たちからほとんど理解されず,また好意をもって見られることもほとんどなかった。……クリスチャンはローマ市民の特定の義務にあずかることを拒んだ。……彼らは行政職に就こうとしなかった」。

初期クリスチャンと兵役に関して,ドイツの神学者ペーター・マインホルトは,「クリスチャンであることと兵士であることとは相いれないこととみなされた」と述べています。また,宗教作家ジョナサン・ダイモンドは,「戦争とキリスト教の原則との調和に関する研究」(英語)という論文の中で,イエスの追随者たちはイエスの死後しばらくの間,「非難や投獄や死などのいかなる結果になろうとも,[戦争に]参加することを拒んでいた」と書いています。そして,「こうした事実に議論の余地はない」と付け加えています。別の作家は,クリスチャンが兵士になるようになったのは「キリスト教が腐敗した」後のことである,と述べています。

「世の霊」に抵抗する

7,8 「世の霊」とは何ですか。その霊はどのように人のうちに『働き』ますか。

7 クリスチャンは,世の邪悪な霊に抵抗することによっても,世から離れていることができます。パウロは,「わたしたちが受けたのは,世の霊ではなく,神からの霊です」と書いています。(コリント第一 2:12)エフェソス人への手紙では,こう述べています。「あなた方は,この世……にしたがい,また空中[空気]の権威の支配者,不従順の子らのうちにいま働いている霊にしたがって,一時は……歩んでいました」。―エフェソス 2:2,3。

8 世の『空気』つまり霊は,神への不従順をあおったり「肉の欲望と目の欲望」を助長したりする,目に見えない強い力です。(ヨハネ第一 2:16。テモテ第一 6:9,10)この霊の「権威」は,罪深い肉への誘引力,巧妙さ,執拗さにあり,またそれが空気のように広がってゆく点にあります。さらに,その霊は人のうちに『働き』,不敬虔な特性を徐々に育みます。例えば,利己心,傲慢さ,飽くなき野望,倫理的な独立と反抗の精神といった特性です。b 一言で言えば,世の霊は,人の心の中で悪魔の特性がだんだんと育ってゆくようにするのです。―ヨハネ 8:44。使徒 13:10。ヨハネ第一 3:8,10。

9 世の霊はどのようにして思いと心に入って来ますか。

9 世の霊があなたの思いと心に根を下ろす,ということがあり得るのでしょうか。確かにあります。しかしそれは,あなたが警戒を緩めて根を下ろさせてしまう場合だけです。(箴言 4:23)世の霊はたいてい巧妙な仕方で影響を及ぼし始めます。良い人に見えてもエホバを愛してはいない人との交友がきっかけとなるかもしれません。(箴言 13:20。コリント第一 15:33)また,この邪悪な霊は,いかがわしい本,ポルノや背教者のサイト,不健全な娯楽,競争性の強いスポーツなどを通して,あなたに入り込みます。実のところ,サタンやその体制の考え方を伝染させるあらゆる人やものを通して入り込むのです。

10 どうすれば世の霊に抵抗できますか。

10 どうすれば,世の陰険な霊に抵抗して,自分を神の愛のうちに保てるでしょうか。エホバの霊的な備えを十分に活用すること,そして常に聖霊を祈り求めることがどうしても必要です。エホバは,悪魔にも,サタン配下の邪悪な世にもはるかに勝る方です。(ヨハネ第一 4:4)ですから,是非とも祈りによってエホバのそばにとどまりましょう。

わたしは中立を保っているだろうか

自分の信条を先生に説明している生徒

原則: 「わたしの王国はこの世のものではありません」。―ヨハネ 18:36。

自問できる点

  • 国旗などの旗への敬礼が一種の偶像崇拝である理由を,どのように説明できるだろうか。c ―出エジプト記 20:4,5。ヨハネ第一 5:21。

  • 何らかの国家的儀式に参加しないことを説明するとき,別の信条を持つ人に対する深い敬意をどのように示せるだろうか。―ペテロ第一 3:15。

  • わたしがいかなる政党も支持せず,いかなる兵役にも就かない理由は何だろうか。―ヨハネ 13:34。ヨハネ第一 3:10-12。

服装と身だしなみの点で慎み深くある

11 世の霊は服装の規準にどんな影響を及ぼしていますか。

11 人がどんな霊の強い作用を受けているかは,服装や身だしなみや清潔さといった形で明らかになります。多くの国では服装の規準が非常に低下しているので,あるテレビコメンテーターは,やがて売春婦が身に着けられるものがなくなってしまうだろうと言いました。十代にもならない少女たちもこの風潮に呑み込まれており,ある新聞記事が「露出はたっぷり,慎みはちょっぴり」と述べたほどです。さらに,だらしのない服装をする風潮もあり,そこには反抗の精神および品位と自尊心の欠如が表われています。

12,13 わたしたちの服装と身だしなみはどんな原則に導かれるべきですか。

12 エホバの僕であるわたしたちが,できる限り良い身なりをしたいと願うのは正しいことです。小ぎれいで趣味の良い,その場に適した服装を心がけるのです。いつでも,「慎みと健全な思い」を反映した身なりをしたいものです。そのような身なりは,「良い業」とともに,「神をあがめると言い表わす」男性にも女性にもふさわしいものです。もちろん,わたしたちがおもに気にかけているのは,自分に注意を引くことではなく,『自分を神の愛のうちに保つ』ことです。(テモテ第一 2:9,10。ユダ 21)「心の中の秘められた人」を自分の最も美しい飾りとしたい,と願っているのです。それこそ,「神の目に大いに価値のある」ものだからです。―ペテロ第一 3:3,4。

13 覚えておくべき点がもう一つあります。わたしたちの装いや身だしなみは,真の崇拝に対する他の人の見方に影響を与え得るのです。「慎み」と訳されているギリシャ語は,道徳上の意味で用いられる場合,他の人の気持ちや意見に対する尊敬,畏敬,敬意という考えを表わします。ですからわたしたちは,自分の権利と思えるものよりも他の人の良心を重んじるようにすべきです。そして何よりも,エホバとその民に誉れをもたらしたい,自分を神の奉仕者として推薦したいと願って,「すべての事を神の栄光のために」行ないます。―コリント第一 4:9; 10:31。コリント第二 6:3,4; 7:1。

慎みのある服装でクリスチャンの宣教奉仕を行なっている2人の女性

わたしの身なりはエホバに誉れをもたらしているだろうか

14 自分の身なりや清潔さに関してどんな自問をすべきですか。

14 服装や身だしなみや清潔さがいっそう重要になるのは,野外宣教に参加する時やクリスチャンの集会に出席する時です。こう自問しましょう。『わたしは,身なりや清潔さの点で,良くない意味で人目を引いているだろうか。だれかを当惑させているだろうか。会衆内での奉仕の特権の資格を得ることよりも,この分野での自分の権利のほうを重視しているだろうか』。―詩編 68:6。フィリピ 4:5。ペテロ第一 5:6。

15 神の言葉に服装や身だしなみや清潔さに関する規則集がないのはなぜですか。

15 聖書には,服装や身だしなみや清潔さに関するクリスチャンのための規則集はありません。エホバは,わたしたちが選択の自由を行使したり思考力を用いたりするのをとどめようとはなさいません。むしろ,わたしたちが円熟した人になることを,つまり聖書の原則に基づいて推論する人,「使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった」人になることを願っておられます。(ヘブライ 5:14)そして何よりも,愛 ― 神と隣人への愛 ― によって導かれることを願っておられます。(マルコ 12:30,31)こうした範囲内で,多種多様な服装と身だしなみが可能です。その証拠に,世界各地の喜びにあふれたエホバの民の集まりでは多彩な服装を目にします。

目を「純一」に保つ

16 世の霊はどのように,イエスの教えに逆行する働きかけをしますか。どんな自問をすべきですか。

16 世の霊は人を欺き,幸福を求めて金銭や物質的なものに頼るよう無数の人を駆り立てています。しかしイエスは,「満ちあふれるほどに豊かであっても,人の命はその所有している物からは生じない」と述べました。(ルカ 12:15)イエスは,禁欲主義や極端な自己否定を唱道したのではありません。命と真の幸福を得るのは「自分の霊的な必要を自覚している」人,また「純一」な目を持ち続ける人であるということを教えたのです。「純一」な目とは,誠実で,霊的にしっかり焦点の合った目です。(マタイ 5:3; 6:22,23)それで,こう自問しましょう。『わたしはイエスの教えた事柄を本当に信じているだろうか。それとも,「偽りの父」の影響を受けているだろうか。(ヨハネ 8:44)わたしの言葉や目標や優先事項や生き方から何が明らかだろうか』。―ルカ 6:45; 21:34-36。ヨハネ第二 6。

17 純一な目を持ち続ける人が受ける益を挙げてください。

17 「知恵はその働きによって義にかなっていることが示される」とイエスは言いました。(マタイ 11:19)純一な目を持ち続ける人が受ける益は幾つもあります。王国奉仕から真のさわやかさを得ます。(マタイ 11:29,30)過度に思い煩わず,それゆえに精神的また感情的な苦痛がかなり軽減されます。(テモテ第一 6:9,10)生活必需品で満足するので,家族やクリスチャン仲間と過ごす時間が生まれます。心地よく眠れるようになったという人もいます。(伝道の書 5:12)様々な方法で与えることにより,いっそう大きな喜びを味わいます。(使徒 20:35)そして,「希望に満ちあふれ」,内面の平和と満足を得ます。(ローマ 15:13。マタイ 6:31,32)こうした祝福は決してお金では買えません。

『完全にそろった武具』で身を固める

18 わたしたちの敵,その戦術,わたしたちの闘いの性質について,聖書から何が分かりますか。

18 自分を神の愛のうちに保つ人は,サタンからの霊的な保護も経験します。サタンはクリスチャンから,幸福だけでなく永遠の命も奪い取ろうとしています。(ペテロ第一 5:8)『わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものです』とパウロは述べています。(エフェソス 6:12)「格闘」という語は,わたしたちの戦いが,いわば安全な塹壕の中から行なうような距離を置いた戦いではなく,組み打ちである,ということを示唆しています。さらに,「政府」,「権威」,「世の支配者たち」という語は,霊の領域からの攻撃が高度に組織された計画的なものであることを示しています。

19 クリスチャンの霊的な武具とはどんなものか,述べてください。

19 わたしたちには人間としての弱点や限界がありますが,勝利を得ることができます。どのようにしてでしょうか。「完全にそろった,神からの武具」で身を固めることによってです。(エフェソス 6:13)その武具について,エフェソス 6章14-18節にはこう書かれています。「真理を帯として腰に巻き,義の胸当てを着け,平和の良いたよりの装備を足にはき,こうしてしっかりと立ちなさい。何よりも,信仰の大盾を取りなさい。あなた方はそれをもって,邪悪な者の火矢をみな消すことができます。また,救いの[希望という]かぶと,それに霊の剣,すなわち神の言葉を受け取りなさい。それと共に,あらゆる祈りと祈願をもって,すべての機会に霊によって祈りなさい」。

20 実際の兵士とわたしたちとでは,置かれた状況がどのように違いますか。

20 霊的な武具は,神から与えられたものなので,わたしたちが常に身に着けておく限り,申し分のない働きをします。実際の兵士は戦闘をしばらく休めるかもしれませんが,クリスチャンの行なっている生死のかかった容赦ない闘いは,神がサタンの世を滅ぼして邪悪な霊者すべてを底知れぬ深みに入れる時までずっと続きます。(啓示 12:17; 20:1-3)ですから,いま弱さや悪い欲望と闘っているなら,あきらめてはなりません。わたしたちは皆,エホバへの忠実を保つために自分を『打ちたたく』必要があるのです。(コリント第一 9:27)実のところ,もし格闘していない時があるなら,その時こそ心配すべきなのです。

21 霊的な戦いにおいて勝利を収めるには,何が欠かせませんか。

21 加えて,わたしたちは自分自身の力でこの戦いに勝つことはできません。それゆえパウロは,「すべての機会に霊によって」エホバに祈る必要があることを思い起こさせています。同時にわたしたちは,エホバの言われる事に耳を傾けるべきです。み言葉を研究し,共なる“兵士たち”と機会あるごとに交わることによってそうします。一人きりで戦っているのではないのです。(フィレモン 2。ヘブライ 10:24,25)こうした分野すべてにおいて忠実な人は,勝利を収めるだけでなく,非難を受けたときに自分の信仰を力強く弁明できるでしょう。

自分の信仰を弁明できるよう備えをしておく

22,23 (イ)自分の信仰を弁明できるよういつも備えをしておかなければならないのはなぜですか。どんな自問ができますか。(ロ)次の章ではどんな点を考えますか。

22 『あなた方は世のものではないので,世はあなた方を憎む』とイエスは言いました。(ヨハネ 15:19)ですからクリスチャンは,自分の信仰を弁明できるよう,しかも敬意をこめて温和にそうできるよう,常に備えをしておかなければなりません。(ペテロ第一 3:15)こう自問しましょう。『エホバの証人は受けの良くない立場を取ることがあるが,わたしはその理由を理解しているだろうか。そうした立場を取るのが自分にとって容易でないとしても,聖書と忠実な奴隷級の述べる事柄は正しいと全く確信しているだろうか。(マタイ 24:45。ヨハネ 17:17)エホバの目に正しい事を行なうという点では,人と違う事をする心構えができているだけでなく,そうするのを誇らしく感じているだろうか』。―詩編 34:2。マタイ 10:32,33。

23 とはいえ,世から離れていたいという願いはもっと巧妙な仕方で試みられることも少なくありません。例えば,すでに述べたとおり,悪魔はこの世的な娯楽を用いてエホバの僕を世に誘い込もうとします。どうすれば,さわやかさが残って清い良心を保てる健全な娯楽を選べるでしょうか。その点は次の章で考えます。

a 西暦33年のペンテコステ以降,キリストは,地上にいる油そそがれた追随者たちの会衆を治める王となっておられます。(コロサイ 1:13)1914年,キリストは「世の王国」を治める王権を受けました。それゆえ,現在,油そそがれたクリスチャンたちはメシア王国の大使としても仕えています。―啓示 11:15。

b エホバの証人の発行した「聖書から論じる」の419-422ページをご覧ください。

c 付録の「国旗敬礼,投票,市民的奉仕活動」という項目をご覧ください。

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