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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1987
塔87 6/15 31ページ

読者からの質問

■ イエスは杭に掛けられていた時,「わたしの神,わたしの神,なぜわたしをお見捨てになりましたか」と叫びました。イエスは信仰を失い,神から見離されてしまったと思ったのですか。

マタイ 27章46節やマルコ 15章34節に記されているその言葉を読んだ人の中には,イエスは苦痛を伴う死に直面して神への信頼が揺らいだのだと考えた人もいれば,これは単にイエスの人間としての反応で,苦悶する血肉の人間としては当然の絶望的な叫びだったと言った人もいます。しかし,見かけだけに基づいたそのような人間的な評価にとらわれず,深く調べてみるべきもっともな理由があります。今日のわたしたちはだれも,その時のイエスの叫びに含まれていたすべての事柄を確実に知ることはできませんが,その動機と思われる二つの点に注目できます。

イエスは,ご自分が「エルサレムに行って……多くの苦しみを受け,かつ殺され,三日目によみがえらされ」ねばならないことを十分に承知しておられました。(マタイ 16:21)神のみ子は天におられた時,不完全な人間でも拷問を受けながら忠誠を保って死ぬのをご覧になりました。(ヘブライ 11:36-38)ですから,完全な人間であったイエスが自分の直面した事態のために恐れにとらわれるとはとても考えられません。またイエスは,杭の上での死が,み父から退けられたことを意味するとも考えなかったでしょう。イエスは「自分がどんな死を遂げようとしているか」を,つまり杭につけられて死ぬことを前もってご存じでした。(ヨハネ 12:32,33)そして,ご自分が三日目によみがえらされることも確信しておられました。では,どうしてイエスは,神はわたしを見捨てられたと言えたのでしょうか。

まず考えられるのは,エホバがイエスの忠誠を極限まで,すなわち苦痛の伴う屈辱的な死に至るまで試すためにみ子の保護を取り除かれた,という控えめな意味でそのように言われたのではないかということです。しかし,神がイエスを,サタンに操られた敵の憤りにさらしたことは,エホバが完全にお見捨てになったことのしるしではありませんでした。エホバは引き続きイエスに対して愛情を示されました。そのことは,イエスも予知しておられたとおり,三日目に神がみ子をよみがえらせた時に明らかになりました。―使徒 2:31-36; 10:40; 17:31。

前述の事柄は,杭の上でイエスが語られた言葉の背後にある二つ目の理由と関連があります。つまり,イエスはその言葉を用いることによってメシアについての預言的なしるしを成就できたのです。その時より数時間前にイエスは,「自分について書かれているとおり(の)」事が起きるであろう,と使徒たちに告げておられました。(マタイ 26:24。マルコ 14:21)イエスは,詩編 22編に記されている事柄も含めて,書かれている事柄を実際に行なうことを望まれました。詩編 22編7,8節とマタイ 27章39,43節,詩編 22編15節とヨハネ 19章28,29節,詩編 22編16節とマルコ 15章25節およびヨハネ 20章27節,詩編 22編18節とマタイ 27章35節をそれぞれ比較してご覧になれば,はっきり理解できるでしょう。メシアの経験する事柄に関して非常に多くの預言的なしるしを与えていた詩編 22編は,「わたしの神,わたしの神,なぜあなたはわたしをお捨てになったのですか」という言葉で始まっています。ですから,イエスは実際にそう叫ばれた時,ご自分の成就した預言の記録を増し加えておられたのです。―ルカ 24:44。

詩編作者は自分が神から全く退けられた,あるいは見捨てられたとは考えませんでした。ダビデはその詩編の続きの部分で,自分は『神のみ名を自分の兄弟たちに告げ知らせる』と言っており,他の人にもエホバを賛美するようにと勧めているからです。(詩編 22:22,23)同様に,詩編 22編をよく知っておられたイエスも,自分が杭に掛けられるのを神は許されたとはいえ,み父は依然として自分を是認し,愛してくださっているという確信を抱くことができました。

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