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イエス・キリスト聖書に対する洞察,第1巻
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イエスは聖霊で油そそがれることにより,宣べ伝えて教えるという奉仕の務めを遂行し(ルカ 4:16-21),同時に神の預言者として仕えるよう任命され,使命を与えられました。(使徒 3:22-26)しかし,それに加えて,エホバの約束の王,つまりダビデの王座を受け継ぎ(ルカ 1:32,33,69; ヘブ 1:8,9),さらに永遠の王国を受け継ぐ者としても任命され,使命を与えられました。そのようなわけで,後日,イエスはパリサイ人たちに,『神の王国はあなた方のただ中にあります』と言うことがおできになりました。(ルカ 17:20,21)同様に,イエスはアロンの子孫としてではなく,王なる祭司であったメルキゼデクに似た神の大祭司を務めるよう油そそがれました。―ヘブ 5:1,4-10; 7:11-17。
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神の王国聖書に対する洞察,第1巻
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神の王国はどのような意味で,イエスが音信を宣べ伝えた相手の人たちの「ただ中に」ありましたか
イエスはご自分を守って成功を収めさせてくださるエホバの力を信頼して,公の宣教を開始し,『定めの時が満ちた』ゆえに神の王国が近づいた,ということをエホバの契約の民に告げ知らせました。(マル 1:14,15)その王国がどういう意味で「近い」のかを判断する上で,イエスがあるパリサイ人たちに語られた言葉,すなわち,「神の王国はあなた方のただ中にあるのです」という言葉に注目できるでしょう。(ルカ 17:21)「注釈者の聖書辞典」はこの句について注解し,こう述べています。「これはしばしばイエスの“神秘主義”,もしくは“精神性”を示す例として引き合いに出されるが,この解釈はおもに,『汝の内に』[欽定,ドウェー]という古い翻訳に基づいており,『汝』が単数形として,不適切な現代的意味に解されている。しかし,この『汝』([ヒュモーン])は複数形である。(イエスはパリサイ人たちに語りかけておられるのである。―20節)……神の王国とは内面的な精神状態,もしくは個人的に救われた状態であるという見解は,この節の文脈にも,また新約に示されている考え方全体にも反している」。(G・A・バトリク編,1962年,第2巻,883ページ)「王国[バシレイア]」は「王威」を指す場合もあるので,イエスの言葉は,神の王なる代表者で,王権を受けるために神により油そそがれた者である自分が彼らのただ中にいる,という意味であったことは明らかです。イエスはそのような資格でそこに居合わせていただけでなく,神の王権を表わす業を行なう権威と,来たるべき王国による支配にあずかる立場に就くよう志望者たちを備えさせる権威をも持っておられました。それゆえ,王国は『近い』と言えました。当時は実にすばらしい機会に恵まれた時代だったのです。
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