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大群衆聖書に対する洞察,第2巻
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このことから一つの疑問が生じます。つまり,もし「大群衆」が救いを得て地上にとどまる人々であるなら,どうして『神のみ座の前と子羊の前に立っている』と言うことができるのでしょうか。(啓 7:9)聖書の中で,『立っている』姿勢は,ある者の前に立つ個人やグループが,その者の目に好意や是認を受けた立場を有していることを暗示するものとして時折使われています。(詩 1:5; 5:5; 箴 22:29,聖ア; ルカ 1:19)事実,「啓示」の書のその前の章では,「地の王たち,高位の者たち,軍司令官たち,富んだ者,強い者,すべての奴隷また自由人」が,「み座に座っておられる方の顔から,また子羊の憤りから」身を隠そうとする様子が描かれています。『彼らの憤りの大いなる日が来たからです。だれが立ちえるでしょうか』。(啓 6:15-17。ルカ 21:36と比較。)ですから「大群衆」は,その憤りの時に保護され,しかも神と子羊に是認された者として『立つ』ことのできた人々で構成されるようです。
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