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サタン聖書に対する洞察,第1巻
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イエスは宣教期間中,終始危険にまとわれました。サタンは人間の手先を使ってイエスに反対し,イエスをつまずかせ,あるいは殺そうとしました。ある時,人々はイエスをとらえて王にしようとしました。しかし,イエスはそのようなことを考えようともされませんでした。イエスは,神の定めの時に,神の方法でのみ王権を受けることを望まれました。(ヨハ 6:15)また,別の時には,イエス自身の郷里の人たちがイエスを殺そうとしました。(ルカ 4:22-30)イエスは,サタンがわなに掛けようとして用いた人たちによって絶えず悩まされました。(マタ 22:15)しかし,あらゆる企てにもかかわらず,サタンは,ごくわずかな考えや行動においてもイエスに罪を犯させることはできませんでした。サタンは偽り者であることを完全に証明され,神の主権と神の僕たちの忠誠に関する自分の挑戦において失敗しました。イエスは死の少し前にこう言われました。「今,この世の裁きがなされています。今やこの世の支配者は追い出されるのです」。つまり,彼の誤りが完全に証明されました。(ヨハ 12:31)サタンは罪を通して全人類に制御力を持っていました。しかし,サタンがまもなくご自分の死をもたらすことを知っていたイエスは,弟子たちと最後の過ぎ越しを祝った後,このように言うことができました。『世の支配者が来ようとしています。そして,彼はわたしに対して何の力もありません』― ヨハ 14:30。
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主権聖書に対する洞察,第1巻
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この論争はどの程度まで広がったか この論争はどの程度まで広がったのでしょうか。人間は誘われて罪をおかし,み使いも罪をおかしたので,問題は神の天的な被造物だけではなく,エホバ神と最も親しい神の独り子のもとにも及び,彼らを包含するものとなりました。常にみ父を喜ばせることを行なったこの方は,エホバの主権の正しさの立証に貢献することを強く望んだことでしょう。(ヨハ 8:29; ヘブ 1:9)神はこの割り当てのためにその独り子を選び,彼を地に遣わしたため,その方は地上で処女マリアから男の子として生まれました。(ルカ 1:35)この方は完全であり,恥辱の死を遂げる時まで,生涯を通じてその完全さととがめのない立場を保たれました。(ヘブ 7:26)死を前にしてイエスは,「今,この世の裁きがなされています。今やこの世の支配者は追い出されるのです」とも,『世の支配者が来ようとしています。そして,彼はわたしに対して何の力もありません』とも言われました。(ヨハ 12:31; 14:30)サタンはキリストの忠誠を砕くための力を全く得ることができなかったので,すぐにでも追い出される敗北者として裁かれました。イエスは「世を征服した」のです。―ヨハ 16:33。
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世,世界聖書に対する洞察,第2巻
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コスモスは同様の仕方で,しかも非常に頻繁に,人種のいかんを問わずクリスチャンではない人間の社会全体を表わすのに用いられています。これこそイエスとその追随者たちを憎んだ世です。世が彼らを憎んだのは,イエスや追随者たちが世の不義に関して証しをし,世から離れていたからです。その世は彼らを憎むことによってエホバ神ご自身に対する憎しみを示し,神を知るようにはなりませんでした。(ヨハ 7:7; 15:17-25; 16:19,20; 17:14,25; ヨハ一 3:1,13)神の敵対者,悪魔サタンは,この不義の人間社会という世とそのもろもろの王国の上に支配権を行使しており,事実,自分をそのような世の「神」としています。(マタ 4:8,9; ヨハ 12:31; 14:30; 16:11。コリ二 4:4と比較。)そのような不義の世を生み出したのは神ではありません。それが発達してきたのは神の主要な反対者によるもので,『全世界は[その者の配下に]あります』。(ヨハ一 4:4,5; 5:18,19)サタンとその「天の場所にある邪悪な霊の勢力」は,神から疎外された世に対して目に見えない「世の支配者たち[または,世の力ある者たち; ギ語,コスモクラトラス]」として行動しています。―エフェ 6:11,12。
そのような聖句では,単にイエスの弟子たちが一部となっていた人類社会のことではなく,真のクリスチャン会衆の外に存在する,組織された人間社会全体のことが言われています。そうでなければ,クリスチャンは死んで,肉体で生きるのをやめない限り,「世のもの」であるのをやめることはできないでしょう。(ヨハ 17:6; 15:19)淫行,偶像礼拝,強奪,およびそれに類する行ないに携わる人々も含まれる世の人々の社会のただ中でやむを得ず暮らしてはいますが(コリ一 5:9-13),そのような立場にあるクリスチャンは,世と共に罪に定められることのないよう,世との友好的な関係に入らないようにして,自分を世の腐敗や汚れによる汚点のない清い状態に保たなければなりません。(コリ一 11:32; ヤコ 1:27; 4:4; ペテ二 1:4; 2:20。ペテ一 4:3-6と比較。)また,神の目に愚かなものである世の知恵を導きとすることはできず,「世の霊」つまりその利己的で罪深い促進力を“吸う”こともできません。(コリ一 1:21; 2:12; 3:19; コリ二 1:12; テト 2:12。ヨハ 14:16,17; エフェ 2:1,2; ヨハ一 2:15-17と比較。「霊」[人を促す働きをする精神的傾向]を参照。)こうして,彼らは神のみ子が行なわれたのと同じように,信仰によって不義の人間社会という『世を征服する』のです。(ヨハ 16:33; ヨハ一 4:4; 5:4,5)その不義の人間社会は神から滅ぼされることによって過ぎ去ることになっています。(ヨハ一 2:17)それは大洪水以前の不敬虔な世が滅びたのと同じです。―ペテ二 3:6。
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