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過ぎ越し聖書に対する洞察,第1巻
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時間的前後関係に関する幾つかの質問 身を汚すことに関する問題があったため,次のような記述が残されています。「彼ら自身は総督の官邸内に入らなかった。身を汚さずに過ぎ越しの食事をしようとしてであった」。(ヨハ 18:28)それらのユダヤ人は,異邦人の住まいに入るのは身を汚すことであると考えました。(使徒 10:28)しかし,ここに述べられているのは「早朝」の出来事ですから,過ぎ越しの食事が行なわれた後でした。注目すべき点として,この当時は過ぎ越しの日とその後の無酵母パンの祭りを含む全期間が「過ぎ越し」と呼ばれることがありました。この事実に照らして,アルフレッド・エダーシェイムは次のような説明を行なっています。すなわち,過ぎ越しの日には自発的な平和の捧げ物がささげられ,翌日,つまり無酵母パンの祭りの最初の日であるニサン15日には,義務として課された別の捧げ物がささげられた。もしピラトの裁きの広間で身を汚してしまうなら食べることはできなくなるとユダヤ人が恐れたのは,この第2の捧げ物のことであった,という説明です。―「神殿」,1874年,186,187ページ。
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