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独り子聖書に対する洞察,第2巻
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使徒ヨハネは主イエス・キリストのことを繰り返し神の独り子と述べています。(ヨハ 1:14; 3:16,18; ヨハ一 4:9)これはイエスの人としての誕生,あるいは純然たる人間としてのイエスについて述べているのではありません。ロゴスつまり言葉として,「この方は初めに神と共にい(ました)」し,「世がある前に」も存在していました。(ヨハ 1:1,2; 17:5,24)その当時,つまり人間となる以前の状態でいた時に関して,イエスは「独り子」と言われており,そのイエスをみ父は「世に」遣わされました。―ヨハ一 4:9。
イエスは「父の独り子が持つような栄光」を持ち,「父に対してその懐の位置」にいる者と言われています。(ヨハ 1:14,18)父と息子の関係で,これほど親密で打ち解けた,あるいはこれほど愛と優しさにあふれた関係はほかに考えられません。―「懐の位置」を参照。
アダムが「神の子」だったように,天のみ使いたちも神の子でした。(創 6:2; ヨブ 1:6; 38:7; ルカ 3:38)しかし,後にイエスと呼ばれたロゴスは「神の独り子」です。(ヨハ 3:18)イエスはその種のものでは唯一の方,つまりいかなる被造物の代行も協力もなしに神ご自身によって創造された唯一の方です。また,み父であられる神が他のすべての被造物を生み出した際にお用いになった唯一の方でもあります。イエスは,すべてのみ使いの中にあって初子また主要な方であり(コロ 1:15,16; ヘブ 1:5,6),聖書はそのみ使いたちのことを「神のような者たち」または「神々」と呼んでいます。(詩 8:4,5)そのため,最も古く最も良質の写本の幾つかによれば,主イエス・キリストは適切にも「独り子の神[ギ語,モノゲネース テオス; 英文字義,ただ一人もうけられた神]」と呼ばれています。―ヨハ 1:18,新世,ロザハム,スペンサー。
三位一体論の「子なる神」という概念を支持する幾つかの翻訳は,この句,モノゲネース テオスの語順を逆にして,「神なる独り子」と訳出しています。しかし,W・J・ヒッキは新約聖書希英辞典(1956年,123ページ)の中で,それらの翻訳者がどうしてモノゲネース ヒュイオスを「ただ一人もうけられた子,あるいは独り子」と訳出しながらモノゲネース テオスを「ただ一人もうけられた神」ではなく「神なる独り子」と訳すのか理解に苦しむと述べています。
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神の子(たち)聖書に対する洞察,第1巻
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神のみ子であるキリスト・イエス ヨハネによる福音書の記述は特に,イエスが人間となる前に「言葉」として存在しておられたことを強調し,「言葉は肉体となってわたしたちの間に宿り,わたしたちはその栄光,父の独り子が持つような栄光を目にしたのである」と説明しています。(ヨハ 1:1-3,14)イエスが人間として誕生して初めて子としての身分をお持ちになったのでないことは,「わたしは,自分の父のもとで見た事柄を話します」と言われた時のようなイエスご自身の言葉や(ヨハ 8:38,42。ヨハ 17:5,24と比較),霊感を受けた使徒たちの述べた他の明確な言葉から分かります。―ロマ 8:3; ガラ 4:4; ヨハ一 4:9-11,14。
「独り」(英文字義,ただ一人もうけられた) 中には,ギリシャ語のモノゲネースという言葉を「ただ一人もうけられた」という意味の英語で訳出することに異議を唱える注解者もいます。そのような注解者は,このギリシャ語の後半の部分(ゲネース)はゲンナオー(もうける)ではなく,ゲノス(種類)に由来しているので,このギリシャ語は『ある部類,または種類の中の唯一のもの』という意味のことを指す語であると指摘します。ですから,多くの翻訳では,イエスは「独り子」(英文字義,ただ一人もうけられた子; ヨハ 1:14; 3:16,18; ヨハ一 4:9)ではなく,「ただ一人の子」と訳されています。(改標; 聖ア; エルサレム)それにしても,この語の個々の構成要素には生まれるという動詞の意味が含まれてはいないものの,この語の用法には確かに,血統,もしくは出生という考えが含まれています。というのは,ギリシャ語のゲノスという言葉は,「家柄,親類,子孫,種族」を意味しているからです。この語はペテロ第一 2章9節で「種族」と訳されています。ヒエロニムスの訳したラテン語ウルガタ訳では,モノゲネースが「ただ一人もうけられた」,または「ただ一人の」という意味のウーニゲニトゥスと訳されています。この語がこのように出生,もしくは血統と関係を持っていることを認める辞書編集者は少なくありません。
エドワード・ロビンソン編,新約聖書希英辞典(1885年,471ページ)は,モノゲネースを「ただ一人生まれた,ただ一人もうけられた,すなわち,ただ一人の子供」と定義しています。W・ヒッキ編,新約聖書希英辞典(1956年,123ページ)もこの語を「ただ一人もうけられた」と定義しています。G・キッテルの編さんした,新約聖書神学辞典はこう述べています。「μονο-[モノ-]は派生形の起源ではなく,性質を示している。ゆえに,μονογενής[モノゲネース]は『唯一の血統の』,すなわち兄弟も姉妹もいないという意味である。これは,ただ一人もうけられたという意味を示している。これは二親の,それもおもに二親との関係における,ただ一人の子供を指すのである。……しかし,この言葉はまた,由来とは関係なく,『特異な』,『比類のない』,『無比の』などの,より一般的な意味で使うこともできるが,部類もしくは種類を指す場合と特徴を指す場合とを混同すべきではない」― 翻訳者および編集者,G・ブロミリ,1969年,第4巻,738ページ。
この後のほうの辞典(739-741ページ)は,クリスチャン・ギリシャ語聖書,もしくは“新約聖書”におけるこの語の用法について次のように述べています。「それは『ただ一人もうけられた』という意味である。……[ヨハネ]3章16,18節,ヨハ一 4章9節,[ヨハネ]1章18節では,イエスの関係は単に,ただ一人の子供とその父との関係になぞらえられているのではない。それはただ一人もうけられた子とみ父との関係そのものなのである。……ヨハ 1章14,18節,3章16,18節,ヨハ一 4章9節では,μονογενήςはイエスの特異性,もしくは無類性以上のことを表わしている。これらすべての節で,イエスははっきりと子と呼ばれており,1章14節ではそのような方とみなされている。ヨハネによる書では,μονογενήςはイエスの起源を表わしている。イエスはただ一人もうけられた方としてのμονογενήςなのである」。
これらの言葉や聖書そのものの明白な証拠からすれば,イエスが神の特異な,もしくは無類のみ子であるだけでなく,「ただ一人もうけられた子」でもあり,したがって神により生み出されたという意味で神から出た方であることを示す翻訳に異議を差し挟むべき理由は一つもありません。この点は,使徒たちがこのみ子を「全創造物の初子」,ならびに「神から生まれた方[ゲンナオーの変化形]」と呼んでおり(コロ 1:15; ヨハ一 5:18),またイエスご自身,ご自分のことを「神による創造の初めである者」と述べておられることにより確証されています。―啓 3:14。
イエスは人間として存在する以前,「言葉」と呼ばれた(ヨハ 1:1),神の最初の創造物としての神の「初子」です。(コロ 1:15)ヨハネ 1章1節の「初め」という言葉は,創造者なる神の存在の「初め」を指すと考えることはできません。というのは,神は永遠に存在する,始めのない方だからです。(詩 90:2)ですから,それは,その言葉が神の長子として神により生み出された,創造の始めを指しているに違いありません。「初め」という語は,ある期間や生涯,あるいは歩みの始まりを表わすのに他の幾つかの句でも同様に使われています。その例は,ヨハネから第一の手紙を書き送られた人たちのクリスチャンとしての生涯の「初め」(ヨハ一 2:7; 3:11),サタンの反逆の歩みの「初め」(ヨハ一 3:8),ユダが義の道からそれだした「初め」(ヨハ 6:64。「ユダ,II」4項[堕落する]を参照)などです。イエスは「独り子」,字義通りには「ただ一人もうけられた子」です。(ヨハ 3:16)というのは,イエスは,霊者と人間のいずれを問わず,神の子たちの中で,神がただおひとりで創造された,唯一の方だからです。他の者は皆,その長子を通して,もしくはその長子「によって」創造されたのです。―コロ 1:16,17。「イエス・キリスト」(人間になる以前の存在); 「独り子」を参照。
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