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  • 『わたしたちは彼らが復活の際によみがえることを知っています』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
塔89 6/15 4–7ページ

『わたしたちは彼らが復活の際によみがえることを知っています』

全能の神は人類に命をお与えになりました。また,死んだ人々に再び命を与えることもおできになります。命と死に関する最も信頼できる情報も,この神から与えられています。それは,ヘブライ語聖書とクリスチャン・ギリシャ語聖書で,聖書はその二つの部分から成っています。聖書には,死んだ人の大半は戻って来ることができる,また実際に戻って来るという,事実に基づく音信が含まれています。―ヨハネ 5:28,29。

一例として,イエス・キリストによく知られていた,ベタニヤのラザロに関する歴史上の記録を取り上げましょう。ラザロは病気になって死にました。その後,イエスはラザロの姉妹マルタに,「あなたの[亡くなった]兄弟はよみがえります」とお告げになりました。それに対しマルタは,「彼が終わりの日の復活の際によみがえることは知っております」と答えました。(ヨハネ 11:23,24)確かに,彼女はそれを知っていました。信頼できる情報が土台となっていたので,自分の愛する兄弟であるラザロが「終わりの日」に戻って来ることに何の疑いも抱いていませんでした。

ヨハネ 11章に記されている歴史上の記録を全部読めば,その時の出来事を詳しく知ることができるでしょう。ラザロは死後四日たっていましたが,イエスはその人をよみがえらせました。その復活は,「終わりの日」に神が死者を生き返らせるという約束を果たせることの証拠になります。それにしても,マルタはどこでラザロと再会できると期待していたのでしょうか。他の忠実なユダヤ人たちは,将来の復活がどこで起きると想像していたのでしょうか。

『帰れない場所』?

神はこの地球を人間の本来の住まいとして選ばれました。詩編作者はそのことをこのような言葉で表現しています。「天についていえば,天はエホバに属する。しかし地はというと,神はこれを人の子らにお与えになった」。(詩編 115:16)もしアダムとエバが神に忠実だったなら,地上ではなく別の場所でとこしえの命を受けたであろう,などとは聖書のどこにも示唆されていません。事実,「命の木」はこの地上の,最初の人間夫婦が神に対する不従順の道に陥る前に住んでいた楽園にあったのではないでしょうか。(創世記 2:9; 3:22)神からの情報でそれとは異なるものは全くありませんでしたから,エデンの園の外にいた神の忠実な僕たち(神を恐れる,アダムの息子アベル以降の人)は,復活と聞けば必然的に,自分たちの知る限り人間のための唯一の住まいである地上での復活のことを考えました。

『でも,待ってください。ヨブはヨブ 16章22節で,自分が「帰らぬ道筋を通って去って行く」と言わなかったでしょうか。しかも,ヨブ 7章9節では,「シェオル[墓]に下って行く者は,上って来ることはありません」と言い,さらに10節で,「彼はもう自分の家に帰ることはなく,その場所ももう彼を認めることはありません」と述べました』。聖書に通じている人はそのように反論するかもしれません。

そうすると,一部の学者が主張しているように,それらの節や類似した他の言葉は,ヨブが死を『帰れない場所』と見ていたことを示しているのではないでしょうか。ヨブがそのような言葉を述べたということは,ヨブは将来の復活を信じていなかったという意味でしょうか。その答えを得るためには,それらの言葉をその背景に照らして考え,またヨブがその問題について述べた他の考えと比較してみなければなりません。

ヨブは自分の苦しみの背後にあった理由を知りませんでした。一時は,自分に臨んでいる苦難の責任は神にある,と誤って考えていました。(ヨブ 6:4; 7:17-20; 16:11-13)落胆し,自分が直ちに安堵を得られる場所は墓だけだと考えました。(ヨブ 7:21; 17:1。ヨブ 3:11-13と比較してください。)その時代の人々の観点からすれば,ヨブは墓に葬られて,人の目に留まることも,自分の家に帰ることも,さらに認められることもなく,神の定めの時が来る前に戻って来たり,少しでもその見込みが生じたりすることもなくなったことでしょう。ヨブに限らずアダムの子孫である他のどんな人間も,神の介入がない限り,死からよみがえることはできませんでした。a ―ヨブ 7:9,10; 10:21; 14:12。

復活に対する信仰

それでも,ヨブが自分の経験していた事柄について疑念を抱いたからといって,また自分のすぐ先の将来について不吉なことを言ったからといって,ヨブは復活を信じていなかった,と理解すべきではありません。ヨブが将来の復活を確かに信じていたことは,ヨブ 14章13節から15節の言葉を読めば明らかです。その箇所でヨブは,自分が『シェオルに隠され』たいと願っていること,また後で神に『覚えられる』ことについて語っています。さらに,この信仰と忠誠の人は,ヨブ 19章25節から27節で,自分には「請け戻す方」がおり,自分が後に『神を見る』,ということを語っています。そうです,ヨブは復活を信じていました。自分を神は生き返らせることができ,生き返らせてくださると信じていたのです。それは,以前にアブラハムが,『死人をよみがえらせる』神の能力を確信していたのと同じです。―ヘブライ 11:10,16,19,35。

この現代に至るまで,ユダヤ人は将来の地上における命への復活を信じてきました。ユダヤ百科事典(1971年版)は,「究極において死者は自分の体を着けて生き返り,再び地上で生きる,という信仰」はユダヤ教の「主要な教義」であると述べ,続いてこう述べています。「この概念は非常に真面目かつ文字どおりに受け止められているため,敬虔なユダヤ人はしばしば,自分が埋葬される際の衣服,すべての器官が完全に埋葬されること,イスラエル領土内に埋葬されることなどについて気にかける」。

興味深いことに,聖書には,復活の際に神が死者の朽ち果てた体を再び組み立てるとは述べられていません。ずっと前に死んだ人の体を構成していた原子そのものは,その時以来全地に拡散し,その後,多くの場合,植物や動物の一部として組み込まれました。そうです,他の人間の一部になり,その人もその後死亡した,ということもあります。明らかに,復活の際,よみがえらされる複数の人に同一の原子を用いることは不可能です。むしろ,神はご自分の喜びとなるように,死ぬ前にあった欠けた部分や損傷のない,ふさわしい体の備わったものとして人間を生き返らされます。―コリント第一 15:35-38と比較してください。

これら復活させられる人たちは,同じように生き返らされる友人や親族が見れば当人であることが分かるのでしょうか。分かると考えるのは道理にかなっているようです。なぜなら,もしわたしたちがよみがえらされた死者を見分けられず,よみがえらされた人もわたしたちを見分けられないのであれば,死んだ身内の者が本当に戻って来たことをどのようにして知るのでしょうか。ラザロの死体は腐りかけていましたが,イエスがラザロを復活させた後,親戚や知り合いの人たちはそれがラザロ本人であることを認めました。ですから,わたしたちも,エホバ神が愛をもって,地上における命への復活の際にわたしたちが互いに見て分かるようにしてくださることを期待できます。

少数の人たちのための天的な希望

すでに述べたとおり,地は神から与えられた人類の住みかです。ところがイエス・キリストは,人類の中から選ばれる一定数の人々が,朽ちることのない不滅の霊の命によみがえらされて天でイエスと共になる,という見込みに光を当てられました。(テモテ第二 1:10)イエスが天的な命への「新しい生きた道」を開かれてからしばらくの間は,すべてのクリスチャンがその希望にあずかるよう招かれていました。(ヘブライ 9:24; 10:19,20)最終的に何人の人がその報いを受けるのでしょうか。『必ず起きる事柄をご自分の奴隷たちに示すため,神がイエスにお与えになった[霊感による]啓示』は,「地から買い取られた」者として14万4,000人という数を定めています。―啓示 1:1; 7:4-8; 14:1,3。

そのような比較的少数の人々が天での命のために『地から買い取られる』のはなぜでしょうか。その同じ啓示の書は,数が限定されている理由を示しています。20章5節と6節にはこう書かれています。「これは第一の復活である。第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死は何の権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する」。―啓示 5:9,10もご覧ください。

王の地上の臣民

すべての人が王また祭司として支配するのでないことは極めて明白です。もしすべての者が王になったとしたら,彼らはだれを「支配」するのでしょうか。むしろ,イエスの忠実な使徒たちを中心に造られるこの特別に選ばれたグループは,啓示 7章9節から17節に描かれている「大群衆」が住民の一部となる地に対して支配するのです。幾百万人ものその「大群衆」は今,この地からあらゆる不義を一掃する「全能者なる神の大いなる日の戦争」を待ち望んでいます。その日は足早に近づいています。彼らは,神の過分のご親切によって,一度も死を経験することなく,その大患難を生き残ります。―啓示 16:14; 21:14。箴言 2:21,22。

『でも,わたしの身内の者のような,すでに死んだ人たちはどうなるのですか』とお尋ねになるかもしれません。イエスご自身,マルタに,ほかの人たちは「たとえ死んでも,生き返るのです」とお告げになりました。(ヨハネ 11:25)それは地上への復活となるでしょう。キリストの,天における仲間の王また祭司である14万4,000人との共同統治期間中に,神が好意をもって思い出される幾億もの人々がよみがえらされ,エホバへの真の崇拝を学ぶ十分の機会を得ることでしょう。彼らは,もし忠実であれば,全地に広がる楽園でのとこしえの命の報いを受けるでしょう。それは,マルタが,イエスの述べた,あなたの兄弟のラザロはよみがえるでしょう,という言葉に同意して語った「終わりの日」の期間中のことです。―ヨハネ 5:28,29; 11:24。ルカ 23:43。

数々の保証に基づいた希望

聖書に記録されている復活は,聖書が差し伸べる復活の希望を示す型であり,その希望の確実性を保証するものでもあります。それは,地上で起きた復活についての記録です。キリスト教以前の時代に預言者エリヤやエリシャは人を復活させ,神のみ子も(ラザロの復活も含まれる),使徒ペテロやパウロも人を復活させました。特に際立っているのはエホバ神によるみ子の復活です。そのような出来事については,聖書の列王第一 17章17節から24節,列王第二 4章32節から37節,マタイ 28章1節から10節,ルカ 7章11節から17節,8章40節から56節,ヨハネ 11章38節から44節,および使徒 9章36節から42節,10章38節から42節,20章7節から12節に記されています。b

パウロは,証拠資料によって強力に裏づけられたそのような復活の希望に基づいて,アテネの人々に,「神は……ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えにな(りました)」と断言することができました。―使徒 17:30,31。

そうです,イエスの復活は,復活の希望の確かさに関する最大の保証です。ですから,わたしたちにも,エホバ神の力と愛に絶対的な信頼を寄せることができる確固とした基盤があるのです。わたしたちも,マルタのように,『死者が終わりの日の復活の際によみがえることは知っています』という確信を表明することができます。

マルスの丘でパウロの話を聴いていた人々は,「死人の復活」についてのパウロの証言を聞いた後,三つのグループに分かれました。「ある者たちはあざけるようになったが,ほかの者たちは,『これについてはあなたの言うことをまた別の時に聞こう』と言った。……[しかし]幾人かの者は彼に加わって信者となった」と記されています。―使徒 17:32-34。

復活の希望に対するあなたの反応はどうですか。エホバは約束どおり,死んでいる人々を幾百万人,いや幾十億人も復活させてくださるでしょう。あなたがその場にいてそれらの人々の姿を再び見,それらの人々からも自分の姿を見てもらえるかどうかは,おもにあなたの行なう事柄にかかっています。あなたはとこしえの命を得るための神のご要求を学んで,そのご要求に調和した生活を送りたいと思いますか。エホバの証人は,死者のための希望やこの事物の体制の終わりをどのように生き残ることができるかについて,さらに多くの情報を喜んでお分かちいたします。―ヨハネ 17:3。

[脚注]

a 詩編作者も同じように,神が介入される前のその当時の状況について次のように書いています。「また[神は],彼ら[イスラエル]が肉なる者であること,霊[つまり,神からの生命力]は出て行くが,帰っては来ないことを思い出されるのであった」― 詩編 78:39。

b 聖書時代に起きた復活や,来たるべきキリストの統治期間中の復活に関する聖書の約束については,「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本の「復活 ― だれのために,どこでありますか」という題の20章でさらに詳しく論じられています。この本は読者の住んでおられる地方のエホバの証人から,あるいは本誌の2ページに載せられている支部事務所を通してお求めになることができます。

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