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終わりの日聖書に対する洞察,第1巻
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ユダヤ人の事物の体制の終わりの日 ユダヤ人以外の人々がクリスチャン会衆の一部になった時から3年半近くさかのぼったころ,神の霊はイエス・キリストの忠実なユダヤ人の弟子たちの上に注ぎ出されました。その時,ペテロはそれがヨエルの預言の成就であることを説明して,こう述べました。「神は言われる,『そして終わりの日に,わたしは自分の霊の幾らかをあらゆるたぐいの肉なる者の上に注ぎ出し……またわたしは,上は天に異兆を,下は地にしるしを,血と火と煙の霧とを与える。エホバの大いなる輝かしい日が到来する前に,太陽は闇に,月は血に変わるであろう』」。(使徒 2:16-20)この場合の「終わりの日」は,「エホバの大いなる輝かしい日」に先行し,そのエホバの「日」をもって「終わりの日」は終結したようです。(ゼパ 1:14-18; マラ 4:5; マタ 11:13,14と比較。「エホバの日」を参照。)ペテロは生来のユダヤ人と改宗したユダヤ教徒に語りかけていましたから,ペテロの言葉は特にそれらの人々に関するものだったに違いありません。それで,この言葉は,彼らがエルサレムを崇拝の中心地とする,当時存在していたユダヤ人の事物の体制の「終わりの日」に生きていたことを示唆するものだったようです。それ以前にキリスト・イエスご自身もエルサレムとその神殿の滅びを予告しておられ(ルカ 19:41-44; 21:5,6),その滅びは西暦70年に起きました。
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預言者聖書に対する洞察,第2巻
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西暦33年のペンテコステの際,予告されていた通り,エルサレムにいた弟子たちに神の霊が注がれて,彼らは『預言し,幻を見ました』。彼らは「神の壮大な事柄」についてふれ告げることにより,また神のみ子に関する知識とその知識が自分たちの聞き手にとって何を意味するかを霊感によって啓示されることにより,そうしたのです。(使徒 2:11-40)ここでもまた,預言することは,専ら,あるいは必ずしも将来について予言するという意味ではないことを思い起こすべきです。使徒パウロは,「預言する人は,その話す事柄によって人を築き上げ,励まし,慰めます」と述べ,預言することをすべてのクリスチャンが行なえるよう努力すべき望ましい目標として掲げました。異言を語ることは不信者のための一つのしるしでしたが,預言することは信者のためのしるしでした。しかし,預言することは,クリスチャンの集会に出席する不信者にさえ益をもたらしました。それは,不信者がその預言により戒められ,つぶさに調べられて,『その心の秘密が明らかにされた』からです。(コリ一 14:1-6,22-25)このこともまた,クリスチャンの行なう預言がおもに予言で成り立っていたのではなく,明らかに普通の源を超越した所から,神による霊感を受けて知らされてはいますが,現在に関する事柄をしばしば扱うものであったことを示唆しています。パウロは,会衆で預言する際に秩序をよく保ち,自制心を働かせ,すべての人が学んで励まされるようにする必要があることに関して助言を与えました。―コリ一 14:29-33。
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