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  • 「イエスについての良い知らせ」を伝える
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    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1999
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    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
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    わたしたちの王国宣教 2004
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神の王国について徹底的に教える
徹 7章 52–59ページ

7章

「イエスについての良い知らせ」を伝える

フィリポがした福音伝道は私たちの手本になっている

使徒 8:4-40

1,2. 1世紀の迫害はどのように逆効果になりましたか。

激しい迫害の波が押し寄せます。サウロが会衆に「手荒なことをする」ようになります。ギリシャ語でこの表現は,残酷な仕打ちを意味します。(使徒 8:3)弟子たちが散っていったので,サウロの狙い通りキリスト教が根絶されるかに見えたかもしれません。しかし,意外な展開になります。どうなったのでしょう。

2 追い散らされた人たちは,行った先で「神の言葉の良い知らせを広め」ました。(使徒 8:4)迫害によって,良い知らせは封じ込められるどころか,かえって広まっていきました。すごいことではないでしょうか。反対する人たちは弟子たちを追い散らすことによって,皮肉にも,伝道の範囲を遠方にまで広げてしまいました。後で見ますが,現代でも同じようなことが起きています。

「散らされた人々」(使徒 8:4-8)

3. (ア)フィリポはどんな人でしたか。(イ)サマリアではあまり伝道が行われていなかったのはどうしてですか。とはいえイエスは,サマリアについてどんなことを言っていましたか。

3 「散らされた人々」の中にフィリポがいました。a (使徒 8:4。「『福音伝道者』フィリポ」という囲みを参照。)フィリポはサマリアに行きました。それまでサマリアでは,ほとんど伝道が行われていませんでした。イエスが使徒たちにこう指示していたからです。「サマリア人の町に入ってはなりません。いつも,イスラエル国民の迷い出た羊の所に行きなさい」。(マタ 10:5,6)とはいえイエスは,やがてサマリアでも徹底的な伝道が行われることを知っていました。天に戻る前にこう言っていました。「あなたたちは……エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,また地上の最も遠い所にまで,私の証人となります」。(使徒 1:8)

4. サマリア人は,フィリポのメッセージについてどう感じましたか。どうしてだと考えられますか。

4 フィリポがサマリアに着いてみると,そこは「もう色づいて収穫でき」る畑のようでした。(ヨハ 4:35)サマリアの人たちにとって,フィリポが伝える良い知らせは涼しい風のように爽やかでした。彼らはユダヤ人から避けられ,毛嫌いされていました。でも,フィリポから聞くメッセージには,階級差別など全く感じられず,パリサイ派の狭い見方とは全然違っていました。フィリポは偏見から人を下に見たりせず,誠実な心でサマリアの人たちに伝道しました。「群衆は皆,フィリポが言うことにじっと耳を傾け」た,とあるのもうなずけます。(使徒 8:6)

5-7. クリスチャンが追い散らされたことにより,かえって良い知らせが広まったどんな例がありますか。

5 現代でも,迫害は功を奏しておらず,伝道の勢いは全く弱まっていません。クリスチャンが刑務所に入れられたり別の国へ避難を余儀なくされたりしても,それによってかえって良い知らせが広まっていきました。例えば,第2次世界大戦中,エホバの証人はナチの強制収容所で神の王国について熱心に語りました。収容所でエホバの証人に会ったあるユダヤ人はこう言っています。「エホバの証人の囚人たちの不屈の精神を目にし,聖書にしっかり基づいた信仰を持っていることがよく分かりました。私もエホバの証人になりました」。

6 迫害していた人がエホバの証人になった例もあります。フランツ・デッシュ兄弟は,オーストリアのグーゼン強制収容所に移された時,親衛隊の将校に聖書を教えることができました。何年も後,2人はエホバの証人の大会で再び会いました。その将校はクリスチャンになっていました。どんなにかうれしい再会だったことでしょう。

7 クリスチャンが別の国へ避難を余儀なくされたときもそうです。例えば,1970年代に,モザンビークにマラウイのエホバの証人が避難してきた時,活発な伝道が行われました。その後,モザンビークで迫害が起こった時も,伝道は続けられました。フランシスコ・コアーナはこう話します。「伝道していたために何度も逮捕された人もいます。それでも,多くの人が神の王国について学ぶようになり,私たちは神が助けてくれているんだと確信しました。1世紀のクリスチャンのことを神が助けたのと同じです」。

8. 政治や経済の影響で人が移動し,伝道にどんな進展が見られていますか。

8 もちろん,迫害だけをきっかけに良い知らせが国を越えて広まっているわけではありません。近年,政治や経済の影響で人の移動があり,それによって多くの人が神の王国について知るようになっています。紛争地域や貧しい国から別の国に移った人たちが,移住先で聖書を学んでいます。多くの都市や町で,外国語を話す人たちの人口が増えています。あなたは,「全ての国や民族や種族や言語の人々」に伝道することを心掛けていますか。(啓 7:9)

「私にもその権威を与え……てください」(使徒 8:9-25)

元魔術師のシモンがお金を手に,使徒に近づいている。使徒はクリスチャンの男性の肩に手を置いている。後ろの方では,別のクリスチャン男性が足が不自由な女の子を癒やし,みんなが喜んでいる。

「シモンは,使徒たちが手を置いた人に聖なる力が与えられるのを見た時,お金を渡そうとし[た]」。使徒 8:18

9. シモンはどんな人でしたか。フィリポがしたことに関心を持ったのは,どうしてだと考えられますか。

9 フィリポはサマリアでたくさんの奇跡を起こし,体が不自由な人を治したり,邪悪な天使を追い出したりしました。(使徒 8:6-8)ある人がフィリポの能力に魅了されます。シモンという名前の魔術師です。この人はみんなから注目され,「神の力……と呼ぶべき人だ」と褒めたたえられていました。シモンはフィリポが起こした奇跡を見て,本物の神の力を目の当たりにし,クリスチャンになりました。(使徒 8:9-13)でも,自分の心を見つめ直さなければいけませんでした。

10. (ア)ペテロとヨハネはサマリアで何をしましたか。(イ)ペテロとヨハネが手を置いた人たちが聖なる力を受けるのを見て,シモンはどうしましたか。

10 サマリアでクリスチャンになる人が増えていたため,エルサレムの使徒たちはペテロとヨハネを遣わします。(「ペテロは『王国の鍵』をいつ使ったか」という囲みを参照。)到着した2人は,新しく弟子になった人たちに手を置いていきます。すると,その人たちは聖なる力を受けました。b それを見たシモンは興味をそそられ,「私にもその権威を与え,私が手を置く人が聖なる力を受けられるようにしてください」と言います。その特別な能力をお金で買おうとまでしました。(使徒 8:14-19)

11. ペテロはシモンにどんなことを言いましたか。それを聞いてシモンはどうしましたか。

11 ペテロはきっぱりこう言います。「あなたのお金もあなたも消えてしまいなさい。神の無償の贈り物をお金で手に入れられると考えたからです。あなたはこのことに一切関わることができません。神から見て心が真っすぐではないからです」。そして,悔い改めて許しを祈り求めるよう勧めます。「あなたの悪い考えをできれば許してもらえるようエホバに祈願しなさい」。シモンは悪い人ではなく,正しいことをしたいと願っていました。でも,この時は考え方が間違っていました。それに気付いたシモンは,2人にこうお願いします。「あなた方が言ったことが何も私に起きないよう,私のためにエホバに祈願をしてください」。(使徒 8:20-24)

12. 幾つかの言語にはどんな語がありますか。キリスト教の一般の教派でどんな習慣が見られてきましたか。

12 ペテロが指摘したことに,現代のクリスチャンも注意しなければいけません。幾つかの言語では,この出来事に由来する語が,聖職売買(宗教組織での地位を売り買いすること)を意味しています。キリスト教の一般の教派には,古くからこの間違った習慣がよく見られてきました。「ブリタニカ百科事典」第9版(1878年[英語])にはこうあります。「教皇選挙会の歴史を調べる人は,聖職売買に汚されない選挙など行われたためしがないことを確信する。選挙会では,ゆゆしくて破廉恥で,あからさまなことこの上ない聖職売買の行われることがきわめて多かった」。

13. 私たちもどんなことに注意しなければいけませんか。

13 私たちも注意しなければいけません。例えば,特定の立場に推薦してもらおうとして,監督たちにたくさん贈り物をしたり褒めちぎったりするのは間違っています。反対に,監督たちは,豊かな暮らしをしている人をえこひいきしてはいけません。このどちらもシモンと同じようなことをしていることになります。いつも「より小さな者として行動」し,エホバの聖なる力によって任命される時を待ちましょう。(ルカ 9:48)「自分の栄誉」を決して求めてはいけません。(格 25:27)

ペテロは「王国の鍵」をいつ使ったか

イエスはペテロに,「私はあなたに天の王国の鍵を与えます」と言いました。(マタ 16:19)これはどういう意味でしょうか。イエスが使った「鍵」という語は元々複数形になっています。それで,幾つかのグループの人たちのために,鍵が複数あることが分かります。鍵を使うと,その人たちのために新しい道が開けます。良い知らせを学んでメシア王国に入るための道です。ペテロはいつそれらの鍵を使ったのでしょうか。

  • ペテロは33年のペンテコステの日に最初の鍵を使い,ユダヤ人とユダヤ教に改宗した人に,悔い改めてバプテスマを受けるよう勧めました。約3000人がその通りにし,王国で統治する見込みを持つようになりました。(使徒 2:1-41)

  • 2番目の鍵は,ステファノの殉教後,間もなくして使われました。ペテロとヨハネが,新しくクリスチャンになったサマリア人に手を置いていくと,その人たちは聖なる力を受けました。(使徒 8:14-17)

  • ペテロは3番目の鍵を36年に使い,割礼を受けていない異国人も天で統治する見込みを持つようになりました。ペテロがコルネリオに良い知らせを伝え,コルネリオはキリストの弟子になりました。割礼を受けていない異国人としては,最初のクリスチャンでした。(使徒 10:1-48)

「読んでいる内容が分かりますか」(使徒 8:26-40)

14,15. (ア)エチオピアの宦官はどんな人でしたか。フィリポはどのようにして宦官と出会いましたか。(イ)フィリポの話を聞いて,宦官はどうしましたか。彼が単に思い付きでバプテスマを受けたわけではない,といえるのはどうしてですか。(脚注を参照。)

14 フィリポはエホバの天使から,エルサレムからガザに向かう道を行くよう指示されます。出掛けて間もなく,そう指示された理由が分かります。「預言者イザヤの書を朗読している」エチオピアの宦官に出会ったからです。(「エチオピアの宦官はどんな人だったか」という囲みを参照。)エホバの聖なる力に導かれて,フィリポは宦官の兵車に近づきます。並走しながら,「読んでいる内容が分かりますか」と尋ねます。宦官は,「誰かが教えてくれなければ,どうして分かるでしょうか」と答えます。(使徒 8:26-31)

15 宦官はフィリポに,一緒に兵車に乗るようにと言います。その後の2人の会話を想像してみてください。イザヤの預言に出てくる「羊」つまり「私に仕える……者」が誰なのかは,ずっと謎に包まれていました。(イザ 53:1-12)道を進みながら,フィリポは宦官に,それがイエス・キリストであることを説明します。ペンテコステの日にバプテスマを受けた人たちと同じように,宦官(すでにユダヤ教に改宗していた)はすぐに何をすべきかを悟り,こう言います。「見てください,水があります。私がバプテスマを受けられない理由が何かあるでしょうか」。こうして,宦官はためらうことなくバプテスマを受けました。c (「『水がある所』でバプテスマを受ける」という囲みを参照。)フィリポはその後,聖なる力によってアシュドドへと導かれ,そこでも良い知らせを広めました。(使徒 8:32-40)

エチオピアの宦官はどんな人だったか

宦官と訳されるギリシャ語エウヌーコスは,生殖能力を奪われた人を指すこともあれば,単に高位の廷臣を指すこともあります。王のハレム(婦人部屋)を監督する廷臣は去勢されていたかもしれませんが,王の献酌人や宝物庫の監督など,他の役人たちに去勢は要求されていませんでした。フィリポがバプテスマを施したエチオピアの宦官は,そのような役人だったと思われます。王家の宝物庫を監督していたからです。いわば財務大臣でした。

また,この人は改宗者(ユダヤ人ではないがエホバを崇拝するようになった人)でした。この時も,崇拝のためにエルサレムに行ってきたところでした。(使徒 8:27)そうであれば,この人は去勢されていたわけではないはずです。モーセの律法は,去勢された人がイスラエルの会衆に加わることを禁じていたからです。(申 23:1)

「水がある所」でバプテスマを受ける

バプテスマの正しい施し方とはどのようなものでしょうか。頭に水を注いだり振り掛けたりするだけで十分だと考える人もいます。しかし,エチオピアの宦官は「水がある所」でバプテスマを受けました。「フィリポは高官と水の中に下りていき,バプテスマを施した」と書かれています。(使徒 8:36,38)水を注いだり振り掛けたりするだけでよければ,水がある所で兵車を止める必要はありませんでした。皮袋に入っているような,少量の水で十分だったはずです。宦官は「砂漠の道」を旅していたので,水が入った皮袋を持っていたと思われます。(使徒 8:26)

リデルとスコットの「希英辞典」によれば,ギリシャ語のバプティゾー(日本語のバプテスマはこの語に由来する)は,「浸す,つける」という意味です。バプテスマについてのほかの記録も,この定義に合っています。ヨハネ 3章23節によると,ヨハネは「サリムに近いアイノンでバプテスマを施して」いました。それは,「そこに水がたくさんあったから」です。また,イエスのバプテスマについても,「イエスは水から上がるとすぐ,天が分かれ……るのを見た」と書かれています。(マル 1:9,10)完全に水に浸すのがバプテスマの正しい施し方だと分かります。

16,17. 私たちの伝道に天使はどのように関わっていますか。

16 現代のクリスチャンもフィリポに倣えます。移動中などにたまたま会った人たちに神の王国について話せます。時には,出会うべくして出会ったかのように思えるほど,良い人と話せることもあります。それもそのはずです。聖書には,「あらゆる国や民族や言語や種族の人々」に良い知らせが伝わるよう,天使が導いているとはっきり書かれています。(啓 14:6)イエスもそう言っていました。小麦と雑草の例えの中で,収穫の時(体制の終結の時)に「刈り取る者は天使たちです」と言いました。「天使たちは,人に罪を犯させる人たちと不法なことを行う人たちを王国から取り除き」ます。(マタ 13:37-41)さらに天使たちは,神の王国で統治する人たちと,「ほかの羊」の「大群衆」の両方を,エホバのもとに集めます。(ヨハ 6:44,65; 10:16。啓 7:9)

17 その証拠に,宣教で出会った人が,「ちょうど助けを求めて神に祈っていた」と言うことがあります。こんな例があります。2人のエホバの証人が小さな男の子と一緒に伝道していた時のことです。お昼近くになって伝道を終えようとすると,男の子が次の家にどうしても行きたがりました。ついには自分で歩いていってドアをノックしました。若い女性が出てきたので,2人は近づいて話し掛けました。すると何と,女性は,「聖書を教えてくれる人が家に来るようにしてください,と祈っていたところだった」と言いました。聖書レッスンが始まりました。

伝道中の夫婦が家のチャイムを鳴らしている。家の中では女性が祈っている。

「神様,もしおられるなら,助けてください」。

18. どんなことを考えるとわくわくしますか。

18 今,クリスチャン会衆が一丸となって,これまでにない規模で伝道をしています。良い知らせを広めるために天使と一緒に働けると思うと,とてもわくわくします。本当に素晴らしいことではないでしょうか。これからも伝道に打ち込み,「イエスについての良い知らせ」を伝えることを楽しんでいきましょう。(使徒 8:35)

「福音伝道者」フィリポ

クリスチャンたちが迫害のせいであちこちに追いやられた時,フィリポはサマリアに行きました。彼は統治体に状況を報告しながらサマリアで伝道したようです。「エルサレムにいる使徒たちは,サマリアの人々が神の言葉を受け入れたことを聞くと,ペテロとヨハネを遣わした」とあるからです。サマリアの新しいクリスチャンたちは,こうして聖なる力を受けることができました。(使徒 8:14-17)

フィリポがエチオピアの宦官と一緒に兵車に座っている。

使徒 8章より後の記録に,フィリポがもう1回だけ出てきます。サマリアでの伝道から20年ほど後のことです。その頃,使徒パウロが3度目の宣教旅行の終わりに旅仲間と一緒にエルサレムに向かい,プトレマイスに立ち寄ります。ルカはこう書いています。「次の日,そこを出てカエサレアに行き,あの7人の男性の1人である福音伝道者フィリポの家に入って,そこに泊まった。この男性の4人の娘は未婚で,預言をしていた」。(使徒 21:8,9)

この時フィリポは,伝道のために移り住んだ先のカエサレアに落ち着き,家庭を大切にする人になっていました。興味深いことに,それでもルカはそのフィリポを「福音伝道者」と呼んでいます。聖書中でこの語は,自分の故郷を離れ,まだ奉仕されていない場所で良い知らせを伝える人を指しています。フィリポはその時も宣教への情熱を持っていたことが分かります。4人の娘が預言していたことから,しっかり家族を教え,エホバを愛して奉仕を楽しむよう助けていたことも分かります。

a これは使徒のフィリポではありません。この本の5章に出てきた「評判の良い男性」7人のうちの1人です。7人は,エルサレムにいるギリシャ語を話すやもめとヘブライ語を話すやもめに食料を配るために任命された人でした。(使徒 6:1-6)

b 当時,新しい弟子たちは,バプテスマの時に聖なる力を受けたと思われます。そうやって聖なる力で選ばれ,将来,天でイエスと一緒に王また祭司として統治できるようになりました。(コリ二 1:21,22。啓 5:9,10; 20:6)しかし,今回の場合,新しい弟子たちはバプテスマの時に聖なる力を受けていなかったようです。ペテロとヨハネに手を置いてもらって初めて,聖なる力を受け,奇跡的な能力を持つようになりました。

c 宦官は単に思い付きでバプテスマを受けたわけではありません。すでにユダヤ教に改宗していて,メシアについての預言など聖書の知識がありました。その上で,イエスには神から与えられた大切な役目があることを知り,ためらわずにバプテスマを受けました。

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