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  • カンダケ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • カンダケ

      (Candace)

      エチオピアの女王だった人。その財務官はクリスチャンになりました。(使徒 8:27)「カンダケ」は特定の人名というよりはむしろ,「ファラオ」や「カエサル」のような称号とみなされています。ストラボン,大プリニウス,およびエウセビオスを含め,古代の著述家はエチオピアの女王たちに言及する際,この名称を使っています。大プリニウス(西暦23年ごろ-79年)はこう記しています。「その町[古代エチオピアの首都メロエ]には大建造物がわずかしかない。その町はカンダケという名の一女性により支配されていると言う。その名は多年にわたり歴代の女王により継承されてきた名称である」― 博物誌,VI,xxxv,186。

  • 廷臣
    聖書に対する洞察,第2巻
    • すべての廷臣が文字通りの意味で宦官,すなわち去勢された男子であったわけではないようです。文字通りの宦官はしばしば,女官たちの居所や王の婦人部屋<ハレム>の世話を預かりました。しかし,献酌人の長(高い地位)やパン焼き人といった役人たちの務めは,その職務のために去勢されることが必ずしも要求されませんでした。もっとも,宦官でそのような地位に昇進していた人もいたかもしれません。(創 40:2)ファラオの宮廷の廷臣で護衛の長であったポテパルは妻を持つ人でした。(創 39:1)福音宣明者フィリポがバプテスマを施したエチオピア人の「宦官」は,権力のある人で,女王カンダケの財宝すべてをつかさどる人でした。そして,律法下でユダヤ人の宗教に改宗した人であり,エホバの崇拝者でした。彼が文字通りの宦官であったはずはありません。去勢された男子はだれもイスラエルの会衆に入ることができず,コルネリオの改宗以前にはユダヤ人と改宗者以外にバプテスマを受けた人はいなかったからです。(使徒 8:26-38; 10:24,34,35,44-47; 申 23:1)ダビデは自分の廷臣たち(ユダヤ人の態度と律法から見て文字通りの宦官ではなかったと考えるのが道理にかなう)を君や力ある者たちと共に召集して,自分の息子ソロモンがエホバの神殿を建てるように指名されたことを知らせました。―代一 28:1-6。「家令」; 「献酌人」を参照。

  • エチオピア
    聖書に対する洞察,第1巻
    • エチオピアという名称が本来表わした地域は,今日では,北部の半乾燥の平原,中央部のサバンナと高原台地,および南方の熱帯雨林から成っています。かつて古代エチオピアの首都であったのは,ナパタとメロエでした。メロエは,王権が男性ではなく女性の系統を通して受け継がれた王国の首府でした。したがって,その国の王子は皇太后から王権を受けて王座に就いており,皇太后がその国の事実上の支配者であった場合もあるようです。カンダケという名は,そのようなエチオピアの女王数人が用いた称号としてギリシャ人やラテン人の著述家によって言及されており,使徒 8章27節で述べられているカンダケもその一人であったに違いありません。

      フィリポが伝道したエチオピア人はどのような意味の宦官でしたか

      フィリポは女王カンダケの『財宝すべてをつかさどっていた』エチオピア人の宦官に伝道しましたが,この宦官が割礼を受けてユダヤ教に改宗した人であったことは明白です。(使徒 8:27-39)したがってこの人は異邦人とはみなされておらず,それゆえに,無割礼の異邦人からキリスト教に改宗した最初の人としてコルネリオに先んじたわけではありません。(使徒 10章)このエチオピア人がエルサレムの神殿で崇拝に携わるためには,ユダヤ人の宗教に改宗して割礼を受けていなければなりませんでした。(出 12:48,49; レビ 24:22)去勢された人がイスラエルの会衆に入ることを禁じていたモーセの律法から見て(申 23:1),そのエチオピア人が肉体的な意味で宦官でなかったことは明白です。「宦官」に相当するヘブライ語(サーリース)は,広義には,あるいは特殊な意味においては役人を意味することもあります。例えば,創世記 39章1節では,ファラオの役人で既婚者のポテパルがサーリースと呼ばれています。もしこのエチオピア人の役人が実際の宦官であったとすれば,彼は改宗者ではなかったことになります。そして,もし改宗者でなかったとすれば,良いたよりがまだ無割礼の異邦人に差し伸べられるようになっていなかったのですから,フィリポはこの人にバプテスマを施さなかったはずです。

      エチオピア(クシュ)は,バビロニア人がユダを征服した後,ユダヤ人の流刑者たちが散らされた土地の一つです。(イザ 11:11)ですから,このエチオピア人の役人は自分の地域で,あるいはユダヤ人が多く在住していたエジプトで,ユダヤ系の人々と交際があったのかもしれません。その役人が持っていたイザヤ書の巻き物は,ギリシャ語セプトゥアギンタ訳の写本でしょう。それはもともとエジプトのアレクサンドリアで作られたものでした。エチオピア人の王国は,プトレマイオス2世のころ(西暦前308-246年)から一部ヘレニズム化されていましたから,この役人がギリシャ語を読めたのは異例なことではなかったでしょう。この人がユダヤ教への改宗者となり,その後キリスト教に転向したことは,詩編 68編31節の成就でした。

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