11章
「喜びにあふれ,聖なる力に満たされていた」
良い知らせを聞こうとしない人たちにパウロはどう対応したか
1,2. バルナバとサウロの任務は,どんな意味で新しかったといえますか。使徒 1章8節の言葉とどう関係していましたか。
アンティオキアの会衆は喜びに湧いています。会衆の預言者や教える人たちの中から,バルナバとサウロが聖なる力によって選ばれ,良い知らせを遠くに伝えることになりました。a (使徒 13:1,2)以前にも宣教者として遣わされた人たちがいましたが,派遣先はキリスト教がすでに広まっていた地域でした。(使徒 8:14; 11:22)今回バルナバとサウロは,付き添いのヨハネ・マルコと一緒に,良い知らせがほとんど伝わっていない地方に遣わされます。
2 14年ほど前,イエスは弟子たちにこう言いました。「あなたたちは……エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,また地上の最も遠い所にまで,私の証人となります」。(使徒 1:8)バルナバとサウロが宣教者として任命されたことにより,ますますこの言葉の通りになっていくのが期待されます。b
「ある活動を行わせるために……選びました」(使徒 13:1-12)
3. 1世紀の旅にはどんな苦労がありましたか。
3 今は自動車や飛行機などのおかげで,1,2時間でかなりの距離を移動できます。でも,1世紀はそうではありませんでした。当時,陸路の旅は主に徒歩で,たいていは,起伏の多い土地を越えていきました。1日歩いても,進める距離は30㌔ほどで,体力を相当消耗しました。c バルナバとサウロは新しい任務をとても楽しみにしていたと思われますが,大変な旅になることを覚悟していたはずです。(マタ 16:24)
4. (ア)バルナバとサウロが選ばれたことには,何が関わっていましたか。ほかの兄弟たちは,その任命をどう受け止めましたか。(イ)会衆で誰かが責任を担うことになったとき,どのようにサポートできますか。
4 神が聖なる力によって,バルナバとサウロを「ある活動を行わせるために……選び」なさいと指示したのはどうしてでしょうか。(使徒 13:2)詳しいことは書かれていません。でも,2人が選ばれたことに聖なる力が関わっていたのは確かです。アンティオキアの預言者や教える人たちは反対せず,この任命を心から支持しました。兄弟たちはねたむことなく,「断食をして祈ってから,2人に手を置き,送り出し」ました。(使徒 13:3)兄弟たちがそうしてくれたので,バルナバとサウロは温かい気持ちになったことでしょう。私たちもアンティオキアの兄弟たちのようでありたいと思います。会衆の長老に任命されるなど,誰かが責任を担うことになったとき,ねたむのではなく,「よく働いているその人たちに愛と深い思いやりを示し」ましょう。(テサ一 5:13)
5. バルナバとサウロはキプロス島でどのように伝道しましたか。
5 バルナバとサウロはアンティオキアから近くの港セレウキアまで歩いて行き,そこからキプロス島まで200㌔ほど船で旅をします。d キプロス島生まれのバルナバは,故郷の人たちに良い知らせをぜひ伝えたいと思っているはずです。キプロス島の東岸の町サラミスに着くと,2人はすぐに「ユダヤ人の会堂で神の言葉を広め始め」ます。e (使徒 13:5)2人はキプロス島の西岸まで旅をしながら,おそらく主な町で伝道したことでしょう。通ったルートによっては,160㌔も歩いた可能性があります。
6,7. (ア)セルギオ・パウロはどんな人でしたか。セルギオ・パウロが信仰を持つのを,バルイエスが邪魔したのはどうしてですか。(イ)バルイエスに妨害されたサウロはどうしましたか。
6 1世紀のキプロス島は,間違った崇拝にすっかり染まっていました。バルナバとサウロが着いた西岸の町パフォスもそうでした。2人はそこで「呪術師で偽預言者」のバルイエスに会います。バルイエスは,「執政官代理で知的な人セルギオ・パウロと一緒に」いました。f 1世紀当時,教養のあるローマ人は(セルギオ・パウロのような「知的な人」も),重要な決定をするときに呪術師や占星術師に相談することがよくありました。それでもセルギオ・パウロは,神の王国の良い知らせに興味を引かれ,「神の言葉を聞きたが」りました。バルイエスはそのことが面白くありません。バルイエスには,エルマ(「呪術師」という意味)という別名もありました。(使徒 13:6-8)
7 バルイエスは,神の王国の良い知らせを聞こうとせず,妨害します。セルギオ・パウロの顧問という地位を守るため,「執政官代理が信仰を持つのを邪魔しようとし」ます。(使徒 13:8)サウロは黙っていません。呪術師のせいで誠実な人の関心が失われるのは許せません。どうするでしょうか。こう書かれています。「パウロとも呼ばれるサウロは聖なる力に満たされ,エルマをじっと見て,こう言った。『ああ,あらゆる詐欺と罪悪に満ちた者,悪魔の子,あらゆる正しいことの敵よ,エホバの正しい道をゆがめるのをやめないのですか。さあ,エホバの手があなたの上にあります。あなたは目が見えなくなり,しばらく日の光を見ません』。たちまちエルマは濃い霧と闇で目が見えなくなり,手を引いてくれる人を探し回った」。g セルギオ・パウロはどうしたでしょうか。「起きたことを見た執政官代理は,エホバの教えにすっかり驚いて信者となった」とあります。(使徒 13:9-12)
パウロのように,反対に遭っても信じていることを勇敢に語る。
8. パウロの勇敢さにどう倣えますか。
8 パウロはバルイエスを恐れたりしませんでした。私たちも同じです。誰かが誠実な人の関心を台無しにしようとしても,おじけづいたりしません。もちろん,「塩で味付けされた快い言葉を語るように心掛け」ます。(コロ 4:6)でも,ただ対立を避けようとして,関心のある人を助けずに終わってしまう,ということがないようにしましょう。また,間違っているものは間違っていると恐れずに言えるようでありたいと思います。バルイエスのように「エホバの正しい道をゆがめ」ている宗教があるからです。(使徒 13:10)パウロのように真実を勇敢に語り,学ぶ意欲のある人を助けましょう。パウロの時のような奇跡は起こらないとはいえ,良い人がクリスチャンになれるよう,エホバは聖なる力で必ず助けてくれます。(ヨハ 6:44)
「励ましの言葉」(使徒 13:13-43)
9. 会衆で責任を担う兄弟たちは,パウロとバルナバにどのように倣えますか。
9 パフォスを出る頃,ちょっとした変化があったようです。次は,小アジアの沿岸部にあるペルガに向かって,250㌔ほど船で旅をします。使徒 13章13節には,「パウロの一行は……船に乗っ[た]」とあり,この頃パウロが中心的な存在になったことがうかがえます。それでも,バルナバが張り合おうとしたという記録はありません。2人は一緒に協力しながら,奉仕を続けました。会衆で責任を担う兄弟たちにとって,とても良い手本です。ライバル心を持たず,「あなたたちは皆,兄弟……です」というイエスの言葉を忘れないようにしましょう。「高慢になる人は低く評価され,謙遜になる人は高く評価され」ます。(マタ 23:8,12)
10. ペルガからピシデアのアンティオキアへの旅は,どんな旅でしたか。
10 ペルガに着いた時,ヨハネ・マルコはパウロとバルナバから離れてエルサレムに帰りました。どうして突然帰ったかは書かれていません。パウロとバルナバは旅を続け,ペルガからピシデアのアンティオキア(ガラテア州の町)に向かいます。楽な旅ではありませんでした。ピシデアのアンティオキアは海抜1100㍍ほどの所にあるからです。道中の険しい山道は,盗賊が出ることでも知られていました。しかもこの時,パウロは健康の問題を抱えていたようです。h
11,12. ピシデアのアンティオキアの会堂で,パウロはどのように聞き手の興味を引こうとしましたか。
11 ピシデアのアンティオキアで,パウロとバルナバは安息日に会堂に入ります。こう書かれています。「律法と預言者の言葉が朗読された後,会堂の役員たちからこう頼まれた。『兄弟たち,皆に何か励ましの言葉があれば,話してください』」。(使徒 13:15)パウロは立ち上がって話します。
12 パウロは,「皆さん,イスラエルの方も神を畏れるほかの方も」と言って話し始めます。(使徒 13:16)話を聞いていたのはユダヤ人とユダヤ教に改宗した人たちでした。彼らは,イエスには神から与えられた大切な役目があることをまだ知りません。パウロはどのように教えるでしょうか。まず,ユダヤ国民の歴史を簡単に振り返りました。エホバが「エジプトで外国人として生活する民を強大にし……そこから連れ出し」たこと,その後の40年間「荒野でその民のことを辛抱し」たことを話します。また,イスラエル人が約束の地を征服し,エホバから「その土地を……授け」られたことも話しました。(使徒 13:17-19)パウロは,つい先ほど安息日の習慣で朗読された聖句に触れていたのかもしれない,と言われています。もしそうだとすれば,パウロはこの時も,「あらゆる人に対してあらゆるものにな」ろうとしていたことになります。(コリ一 9:22)
13. 伝道する時,パウロにどのように倣えますか。
13 私たちも伝道する時,興味を持ってもらえるような話をしたいと思います。相手に宗教心があるか,どういう考えを持っているかを知るようにし,ぴったりの話題を選びましょう。なるほどと思ってもらえるような聖書のフレーズに触れることもできます。聖書を開いて見せ,読んでもらうことが良い場合もあります。何が相手の心に響くかをいつも考えましょう。
14. (ア)パウロは,イエスについての良い知らせをどのように伝えましたか。どんなことを警告しましたか。(イ)聞いていた人たちはどうしましたか。
14 パウロは次に,イスラエルの王の家系から「救い主イエス」が生まれた経緯を話し,イエスが登場する前に,バプテスマを施す人ヨハネが活躍したことに触れます。さらに,イエスが処刑され,復活したことも説明します。(使徒 13:20-37)そしてこう言います。「ですから……このことを知ってください。この方の死による罪の許しが皆さんに広められており,……信じる人は皆,この方によって無罪とされるのです」。それからこう警告します。「預言書で述べられている次のことが皆さんに起きないように注意してください。『あざける者たち,見て,驚き,滅びてしまいなさい。私はあなたたちの時代に1つのことをする。そのことを誰かが詳しく話したとしても,あなたたちは決して信じない』」。聞いていた人たちはどうしたでしょうか。うれしいことに,「人々は,こうしたことを次の安息日にもぜひ話してほしいと頼んだ」とあります。しかも,会堂の集会が終わると,「多くのユダヤ人や神を崇拝する改宗者がパウロとバルナバに付いて」いきました。(使徒 13:38-43)
「私たちは異国の人々の方に向かいます」(使徒 13:44-52)
15. 次の安息日にどんなことがありましたか。
15 次の安息日,「町のほとんどの人」がパウロの話を聞きにやって来ます。ユダヤ人はそれが気に入らず,「パウロが語ることを冒瀆して反論するように」なります。パウロとバルナバは彼らに堂々とこう言います。「神の言葉はまずあなた方に語られることが必要でした。あなた方がそれを退けて,永遠の命に値しない者であることを示すのですから,私たちは異国の人々の方に向かいます。エホバは次のような言葉で私たちに命令しています。『私はあなたを国々の光に任命した。あなたは地の果てにまで救いをもたらすのである』」。(使徒 13:44-47。イザ 49:6)
「ユダヤ人たちは……パウロとバルナバに対して迫害を起こし[た]。弟子たちはその後も喜びにあふれ,聖なる力に満たされていた」。使徒 13:50-52
16. ユダヤ人たちは,パウロとバルナバの話を聞いてどうしましたか。それに対して,2人はどうしましたか。
16 2人の話を聞いた異国人たちは喜び,「永遠の命を得るための正しい態度を持つ人は皆,信者とな」りました。(使徒 13:48)エホバの言葉はその地方一帯に広まります。一方,ユダヤ人たちはかたくなです。パウロとバルナバが言ったように,神の言葉はまず彼らに語られたのに,彼らはメシアを拒絶しました。それで,神から処罰されても仕方ありません。ユダヤ人たちは2人の話の後,「著名な女性たちや町の主立った人たちをあおり,パウロとバルナバに対して迫害を起こし,境界の外に追い出し」ます。2人はどうするでしょうか。「その人たちに対して足の土を振り払い,イコニオムに行」きます。ピシデアのアンティオキアでのキリスト教の進展はもう見込めないのでしょうか。そんなことはありません。残された弟子たちは「その後も喜びにあふれ,聖なる力に満たされて」いました。(使徒 13:50-52)
17-19. パウロとバルナバからどんなことを学べますか。どうすれば喜びながら伝道を続けられますか。
17 パウロとバルナバの対応から大切なことを学べます。たとえ権力者たちが伝道をやめさせようとしても,私たちはやめません。アンティオキアの人たちからの反対に遭った時,パウロとバルナバは「足の土を振り払い」ました。いら立ってそうしたわけではありません。これは,自分に責任がないことを示す動作でした。2人は,自分の力ではどうにもできないことがあるのを認めていました。その人が良い知らせを聞くかどうかは,その人にしか決められません。でも,私たちにも決められることがあります。伝道を続けるかどうかです。それは私たちが自分で決められます。2人はイコニオムに行って伝道を続けることに決めました。
18 アンティオキアに残された弟子たちはどうだったでしょうか。反対の中,活動を続けなければいけませんでした。でも喜んでいられました。相手が聞いてくれるかどうかだけに注目していたわけではないからです。イエスが言ったように,「神の言葉を聞いて守っている人たちこそ幸福です!」(ルカ 11:28)アンティオキアの人たちは,神から言われた通りに働けていることをうれしく思っていました。それで,喜んでいられました。
19 私たちの責任はあくまで良い知らせを伝えることです。パウロとバルナバに倣って,そのことを忘れないようにしましょう。良い知らせを聞こうとするかどうかは,相手が決めることです。聞いてくれる人が少ないと思えるときは,1世紀の兄弟たちのことを思い出しましょう。良い知らせの素晴らしさを忘れず,聖なる力に導かれるようにすれば,反対に遭っても喜んでいられます。(ガラ 5:18,22)
a 「バルナバ 『慰めの子』」という囲みを参照。
b この時点で各地に会衆があり,エルサレムから遠く550㌔ほど北に位置するシリアのアンティオキアにもありました。
d 1世紀当時,追い風であれば船は1日に160㌔ほど進めました。気象条件が悪いと,もっと時間がかかりました。
f キプロス島はローマ元老院の統治下にありました。島の行政のトップは,執政官代理の位にある属州総督でした。