ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔92 9/1 10–15ページ
  • キリスト教の宣教者の業に関する,霊感を受けた型

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • キリスト教の宣教者の業に関する,霊感を受けた型
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • キプロス島
  • 小アジアの台地
  • イコニオム,ルステラ,デルベ
  • 神のみ業を十分に成し遂げる
  • エホバの民は信仰において堅くされる
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
  • 「エホバの権威の下に大胆に語った」
    神の王国について徹底的に教える
  • 「喜びにあふれ,聖なる力に満たされていた」
    神の王国について徹底的に教える
  • バルナバ ―「慰めの子」
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1998
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
塔92 9/1 10–15ページ

キリスト教の宣教者の業に関する,霊感を受けた型

「わたしがキリストに見倣う者であるように,わたしに見倣う者となりなさい」― コリント第一 11:1。

1 イエスはどんな幾つかの点で,追随者たちが見倣うべき際立った模範を残されましたか。(フィリピ 2:5-9)

イエスはご自分の弟子たちのために何と際立った模範を残されたのでしょう。天での栄光を喜んで後にし,地に下って罪深い人間の間で生活されました。そして,人類の救いのため,また,それよりも重要なこととして,天の父のみ名を神聖なものとするために進んで大きな苦しみを経験されました。(ヨハネ 3:16; 17:4)イエスは生死を左右する裁判にかけられた時,「真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」と大胆に宣言されました。―ヨハネ 18:37。

2 復活させられたイエスが,ご自分が開始された業を続行するよう弟子たちに命じることができたのはなぜですか。

2 イエスは弟子たちが王国の真理について証しする業を続行できるよう,ご自分が死ぬ前に,彼らのための優れた訓練を施されました。(マタイ 10:5-23。ルカ 10:1-16)そのため,イエスは復活の後,次のように命じることができました。「行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し,わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい」― マタイ 28:19,20。

3 弟子を作る業はどのように拡大しましたか。しかし,その業はおもにどの地域に集中していましたか。

3 続く3年半の間,イエスの弟子たちはこの命令に従いましたが,弟子を作る業は,ユダヤ人とユダヤ教に改宗した人々,それに割礼を受けたサマリア人に限られていました。次いで西暦36年,神はその良いたよりが,割礼を受けていない人コルネリオとその家の者たちに伝わるよう指示をお与えになりました。その後の10年間,他の異邦人が会衆に連れて来られましたが,その業の多くは,地中海東部の地域に限定されていたようです。―使徒 10:24,44-48; 11:19-21。

4 西暦47ないし48年ごろ,どんな重要な出来事が生じましたか。

4 それよりも遠い地域でユダヤ人と異邦人の弟子を作るようクリスチャンたちを動かすために,また,クリスチャンがその業を行なえるようにするためには何かが必要でした。それで,西暦47ないし48年ごろ,シリアのアンティオキアにあった会衆の長老たちは,神から与えられた次のような音信を受け取りました。「すべての人のうちバルナバとサウロをわたしのため,わたしが彼らを召して行なわせる業のために取り分けなさい」。(使徒 13:2)その時にパウロがサウロという元の名前で知られていたことに注目してください。また,神がパウロの前にバルナバの名を挙げておられることにも注目してください。それは,当時バルナバが二人のうちの古参と見られていたためかもしれません。

5 パウロとバルナバの宣教旅行に関する記録が,今日のクリスチャンにとって大きな価値があるのはなぜですか。

5 パウロとバルナバの宣教旅行に関する詳しい記録は,エホバの証人にとって,とりわけ外国の地域社会で神に奉仕するため,自分の郷里を離れた宣教者と開拓者にとって大きな励みとなります。さらに,使徒 13章と14章を復習すれば,パウロとバルナバに一層よく倣い,弟子を作るという非常に重要なこの業に一層十分にあずかるための動機づけが得られるに違いありません。

キプロス島

6 宣教者たちはキプロスでどんな模範を示しましたか。

6 宣教者たちは時を移さず,シリアの港セレウキアからキプロス島に向けて出帆しました。彼らはサラミスに上陸した後,脇道へそれることなく「ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を広めはじめ」ました。キリストの型に従っていた彼らは,その都市に定住して島民が自分たちのところに来るのを待つことでは満足しませんでした。むしろ,「島じゅうを回って」働きました。このことには,長い距離を歩くことや,宿舎を頻繁に変えることが含まれていたに違いありません。キプロスは大きな島であり,彼らはその島の主要な部分を横断する旅行を行なったからです。―使徒 13:5,6。

7 (イ)パフォスではどんな際立った出来事がありましたか。(ロ)この記録は,どんな態度を取るようわたしたちを励ますはずですか。

7 二人はその滞在期間の終わりに,パフォス市でのすばらしい経験をもって報われます。その島の支配者セルギオ・パウロが彼らの音信に耳を傾け,「信者となった」のです。(使徒 13:7,12)後にパウロはこう書きました。「兄弟たち,あなた方が自分たちに対する神の召しについて見ていることですが,肉的に賢い者は多くなく,強力な者も多くなく,高貴な生まれの者が多く召されたのでもありません」。(コリント第一 1:26)それでもセルギオ・パウロは,こたえ応じた強力な者たちの一人でした。この経験はすべての人々,特に宣教者が,政府の役人に証言することに関して積極的な態度を取るよう励ますはずです。ちょうどテモテ第一 2章1節から4節の部分でも,わたしたちはそうするよう勧められています。権威者は,時に,神の僕たちに大きな助けを与えてきました。―ネヘミヤ 2:4-8。

8 (イ)この時以降,パウロとバルナバの関係にどんな変化が生じますか。(ロ)バルナバはどのような点で立派な模範でしたか。

8 パウロはエホバの霊の影響のもとで,セルギオ・パウロの改宗に関して重要な役割を果たしました。(使徒 13:8-12)また,この時以降,パウロは指導的な立場に立ったようです。(使徒 13:7を使徒 13:15,16,43と比較してください。)この点は,パウロが改宗の時に与えられた神からの使命と調和していました。(使徒 9:15)恐らくこのような事態の進展は,バルナバの謙遜さを試すものとなったでしょう。しかしバルナバは,この変化を自分個人に対する侮辱と考えるのではなく,自分の名前の「慰めの子」という意味にふさわしく生き,宣教旅行中も,また,その後あるユダヤ人のクリスチャンたちが,割礼を受けていない異邦人に対する彼らの宣教に異議を唱えた時も,パウロを忠節な態度で支えたと考えられます。(使徒 15:1,2)宣教者の家やベテル・ホームに住む人たちを含め,わたしたちすべてにとって,何と立派な模範なのでしょう。わたしたちは常に,喜んで神権的な調整を受け入れ,わたしたちの間で指導の任に当たるよう任命された人たちを十分に支援すべきです。―ヘブライ 13:17。

小アジアの台地

9 パウロとバルナバが喜んでピシデアのアンティオキアまで旅をしたことから,わたしたちは何を学べますか。

9 パウロとバルナバはキプロスから北のアジア大陸に向けて出帆しました。これらの宣教者たちは,明らかにされていない何らかの理由により,海岸地方にはとどまらず,小アジア中央の台地にあるピシデアのアンティオキアまで,約180㌔の長い危険な旅をします。この旅には,山道を上り,海抜1,100㍍ほどの平地に下ることが含まれていました。聖書学者のJ・S・ホーソンはこう述べています。「この台地を……南海岸の平地から隔てているその山地の住人が,不法な略奪を働く習慣を持っていたことは,古代史のどんな時代においても有名だった」。それに加え,それらの宣教者たちは自然の力に起因する危険にも直面しました。ホーソンは続けてこう書いています。「小アジアの中で,ピシデアの山地ほど“洪水”が類例のない特色となった地域はほかにない。ピシデアの山地では,川が大きな崖の基部に噴出したり,狭い谷を荒々しく突進したりする」。こうした詳細な事柄は,宣教者たちが良いたよりを広めるために喜んで引き受けた旅がどんなものであったかを思い描くための助けとなります。(コリント第二 11:26)同様に今日でも,エホバの僕たちの多くは,人々のもとへ行き,彼らに良いたよりを分かつためなら,どんな障害物にも屈しません。

10,11 (イ)パウロはどのように聴衆との共通の土台を保ちましたか。(ロ)多くのユダヤ人が,メシアの苦しみについて聞いてがく然としたと思われるのはなぜですか。(ハ)パウロは話を聞いている人たちの前に,どんな救いを掲げましたか。

10 ピシデアのアンティオキアにはユダヤ人の会堂があったので,神の言葉に非常によく通じていたそれらの人たちに良いたよりを受け入れる機会を与えるため,宣教者たちは,手始めに会堂へ行きました。話をするよう求められたパウロは,立ち上がって見事な公の講話を行ないます。パウロは話の間中,聴衆の中にいるユダヤ人や改宗者たちとの共通の土台を保ちます。(使徒 13:13-16,26)紹介の言葉を述べた後に,ユダヤ人の輝かしい歴史を回顧し,エホバが彼らの父祖たちを選び,次いで彼らをエジプトから救出されたこと,それに約束の地の住民を征服するために彼らを助けられたいきさつを思い起こさせます。それからパウロは,エホバがどのようにダビデを扱われたかを強調します。1世紀のユダヤ人は,神がダビデの子孫を救い主として,また永遠の支配者として起こされることを期待していたので,そのような情報はそれらユダヤ人の関心事でした。その時,パウロは大胆にこう宣言します。「神はご自分の約束どおり,この人[ダビデ]の子孫からイスラエルに救い主,イエスをもたらされました」― 使徒 13:17-23。

11 しかし,多くのユダヤ人が期待していたタイプの救い主は,自分たちをローマの支配から救出し,ユダヤ国民を他のすべての人の上に高めてくれるような軍事的な英雄でした。したがって彼らは,メシアがユダヤ人自身の宗教指導者たちの手で処刑されるために引き渡されたというパウロの言葉を聞いて,がく然としたに違いありません。「しかし,神はこの方を死人の中からよみがえらせました」とパウロは大胆に宣言します。その話の終わりごろ,パウロは聴衆に対して,彼らはすばらしい救いを得ることができると言います。「このことを知ってください。すなわち,この方を通して罪の許しがあなた方に広められており,モーセの律法のもとであなた方が無罪と宣せられなかったすべてのことについても,信じる者は皆,この方によって無罪と宣せられるということです」とパウロは述べます。また,話の結びに,このすばらしい救いの備えを無視するであろうと神によって予告された大勢の人々の一人に数えられないよう,聴衆に勧めます。―使徒 13:30-41。

12 パウロの行なった講話からどんな結果が生じましたか。このことはどのようにわたしたちの励みとなるはずですか。

12 聖書に基づく何と優れた講話が行なわれたのでしょう。聴衆はどのようにこたえ応じましたか。「ユダヤ人および神を崇拝する改宗者の多くがパウロとバルナバのあとに付いて来た」のです。(使徒 13:43)今日のわたしたちにとって何と大きな励ましでしょう。わたしたちも同じように,公の宣教に携わっている時であれ,会衆の集会で注解や話をする時であれ,真理を効果的に示すために自分の最善を尽くすことができますように。―テモテ第一 4:13-16。

13 それらの宣教者たちがピシデアのアンティオキアを去らなければならなかったのはなぜですか。新しい弟子たちについて,どんな質問が生じますか。

13 ピシデアのアンティオキアに住む新たに関心を抱いた人たちは,この良いたよりを自分だけのものにしておくことはできませんでした。その結果,「次の安息日には,ほとんど全市の人々がエホバの言葉を聞きに集まった」とあり,音信は間もなく市外にも広まるようになりました。実際,「エホバの言葉はその地方全域に伝えられていった」のです。(使徒 13:44,49)ねたみを抱いたユダヤ人はこの事実を喜んで受け入れるどころか,それらの宣教者たちを首尾よく市の外に追い出します。(使徒 13:45,50)このことは新しい弟子たちにどんな影響を与えましたか。彼らは落胆してやめてしまいましたか。

14 反対者たちが,宣教者の始めた業を終わらせることができなかったのはなぜですか。わたしたちはこのことから何を学びますか。

14 そのようなことはありませんでした。それは神の業だったからです。それに,宣教者たちは,復活させられた主イエス・キリストに対する信仰という確かな土台をすでに据えていました。ですから,新しい弟子たちが自分たちの指導者とみなしたのは,宣教者たちではなく,キリストであったことは明らかです。それで,彼らは「引き続き喜びと聖霊とに満たされていた」と記されています。(使徒 13:52)このことは,今日の宣教者や,弟子を作る業にあずかっている他の人たちにとって,何と大きな励みとなるのでしょう。もしわたしたちが謙遜かつ熱心に自分の分を果たすなら,エホバ神とイエス・キリストはわたしたちの宣教を祝福してくださるでしょう。―コリント第一 3:9。

イコニオム,ルステラ,デルベ

15 宣教者たちはイコニオムでどんな手順に従いますか。その結果どうなりますか。

15 今やパウロとバルナバは,約140㌔南東にある次の都市,イコニオムに向けて旅立ちます。二人が迫害に対する恐れのゆえに,アンティオキアで採用した手順には従わない,ということはありませんでした。その結果,「ユダヤ人もギリシャ人も非常に大勢の人が信者となった」と聖書は述べています。(使徒 14:1)この時も,良いたよりを受け入れなかったユダヤ人が反対をあおり立てます。しかし宣教者たちは忍耐し,イコニオムでかなりの時を過ごし,新しい弟子たちを援助します。その後パウロとバルナバは,反対するユダヤ人たちが自分たちを石打ちにしようとしているのを知って,賢明にも次の区域,つまり「ルステラとデルベ,およびその周辺の地方」に逃れます。―使徒 14:2-6。

16,17 (イ)ルステラにいた時,パウロの身にどんなことが起きましたか。(ロ)神が使徒パウロをどのように扱われたかということは,ルステラ出身のある若者にどんな影響を与えましたか。

16 彼らは勇敢にも,その新しい処女地の区域で「良いたよりを宣明しつづけ」ます。(使徒 14:7)ピシデアのアンティオキアやイコニオムのユダヤ人たちはそれを聞き,ルステラまでやって来て,パウロを石打ちにするよう群衆を説き付けます。逃げる時間のなかったパウロは石で打たれ,そのためパウロに反対していた者たちは彼が死んだものと信じ込みます。彼らはパウロを市の外に引きずり出します。―使徒 14:19。

17 あなたは,この出来事のために新しい弟子たちが経験した苦しみを想像できますか。ところが,たいへん驚いたことに,弟子たちがパウロを取り囲んでいると,彼は起き上がります! その新しい弟子たちの中にテモテという名の若者が含まれていたかどうか,聖書は何も述べていません。確かに,神がパウロをどのように扱われたかということは,ある時テモテの知るところとなり,若いテモテの思いに強力な印象を与えたに違いありません。パウロはテモテへの第二の手紙の中でこう書きました。「あなたは,わたしの教え,生き方……に堅く従ってきました。アンティオキア,イコニオム,ルステラでわたしに起きたのと同じような事柄,またわたしが耐えてきたのと同じような迫害にも耐えてきました。それでも,主はそのすべてからわたしを救い出してくださいました」。(テモテ第二 3:10,11)石打ちに遭ってから一,二年ほどたった後,パウロはルステラへ戻り,若いテモテが模範的なクリスチャンであって,「ルステラとイコニオムの兄弟たちから良い評判を得て」いることを知ります。(使徒 16:1,2)それでパウロは旅行仲間としてテモテを選びます。テモテはこれによって霊的な丈の高さの点で成長するよう助けられ,やがて,様々な会衆を訪問するためパウロから遣わされる資格を得ることになります。(フィリピ 2:19,20。テモテ第一 1:3)今日でも同様に,神の熱心な僕たちは若い人たちにすばらしい影響を与えており,それらの若者たちの多くはテモテのように成長し,神の貴重な僕となります。

18 (イ)デルベでは宣教者たちにどんなことが生じましたか。(ロ)そこでどんな機会が彼らに開かれますか。しかし彼らはどんな道を選びましたか。

18 ルステラにおいて死を逃れた日の翌朝,パウロはバルナバと共にそこを去ってデルベに向かいます。今度は後を追ってくる反対者もおらず,聖書によれば,彼らは『かなり大勢の弟子を作り』ます。(使徒 14:20,21)パウロとバルナバはデルベに会衆を設立した後,一つの決定を下さなければなりませんでした。デルベからタルソスへ続く,ローマ人の作った往来の激しい道がありました。そこからシリアのアンティオキアに戻るのに大して時間はかかりません。その道は恐らくアンティオキアへ戻るのに最も便利な道だったことでしょう。それに,その宣教者たちとしては,いま自分たちは休息を取るに値すると考えることもできたはずです。しかし,パウロとバルナバは自分たちの主人に倣い,より大きな必要を感じ取りました。―マルコ 6:31-34。

神のみ業を十分に成し遂げる

19,20 (イ)エホバは,ルステラ,イコニオム,アンティオキアに戻った宣教者たちをどのように祝福されましたか。(ロ)そのことは,今日のエホバの民にとって,どんな教訓となっていますか。

19 宣教者たちは家に戻る近道を行くのではなく,勇敢にも,自分たちの命がかつて危険にさらされた幾つかの都市に戻り,そこを再び訪問しました。エホバは,新しい羊に対するこの無私の気遣いのゆえに,彼らを祝福されたでしょうか。確かに祝福されました。記録によれば,彼らは,「弟子たちの魂を強め,信仰にとどまるように励ま(す)」ことに成功を収めたからです。彼らがそれら新しい弟子たちに対して,「わたしたちは多くの患難を経て神の王国に入らなければならない」と告げたのはふさわしいことでした。(使徒 14:21,22)さらにパウロとバルナバは,それらの弟子たちが,来たるべき神の王国の共同の相続人としての召しを受けていることを彼らに思い起こさせました。今日,わたしたちも新しい弟子たちに対して同様の励ましを与えなければなりません。パウロとバルナバは神の王国について宣べ伝えましたが,わたしたちはその同じ王国の支配する地上における永遠の命の見込みを新しい弟子たちの前に掲げることにより,試練を耐えるよう彼らを強めることができます。

20 パウロとバルナバは各々の都市を去る前に,地元の会衆が一層よく組織されるよう援助しました。二人が,資格ある男子に訓練を施し,指導の任に当たるよう彼らを任命したことは明らかです。(使徒 14:23)これがさらに大きな拡大に貢献したことは間違いありません。同様に今日でも宣教者や他の人たちは,無経験な人たちが責任を担えるまで進歩するよう援助した後はそこを去り,必要の大きな他の場所で良い業を続けることがあります。

21,22 (イ)パウロとバルナバが自分たちの宣教旅行を終えた後,どんなことが生じましたか。(ロ)このことから,どんな質問が生じますか。

21 宣教者たちは最終的にシリアのアンティオキアに戻り,その時に深い満足を覚えることができました。実際,彼らは神から委ねられた業を「十分に成し遂げた」と聖書の記録は述べています。(使徒 14:26)彼らの経験について語ったことが,「すべての兄弟たちを大いに喜ばせ」たのも当然です。(使徒 15:3)しかし,その後のことについてはどうですか。彼らは傍観者となって,言い習わされた表現を用いれば,過去の成功の上にあぐらをかいてしまうでしょうか。決してそのようなことはありませんでした。二人は割礼の問題について決定を下してもらうためエルサレムの統治体を訪れた後,再び宣教旅行を始めました。この度の二人の目指す方向はそれぞれ異なっていました。バルナバはヨハネ・マルコを連れてキプロスへ行き,パウロはシラスという新しいパートナーを得て,シリアとキリキアを旅しました。(使徒 15:39-41)パウロが若いテモテを選び,テモテを連れて行ったのは,その旅でのことでした。

22 聖書は,バルナバの第2回宣教旅行の結果を明らかにしていません。パウロに関しては,その後も新しい区域に入り,フィリピ,ベレア,テサロニケ,コリント,エフェソスという少なくとも五つの都市に会衆を設立しました。パウロが際立った成功を収めた秘訣は何だったのでしょうか。その同じ原則は,弟子を作る今日のクリスチャンにとっても役立ちますか。

思い起こしますか

□ イエスが,見倣うべき際立った模範であるのはなぜですか

□ バルナバはどのような点で模範でしたか

□ ピシデアのアンティオキアにおけるパウロの講話から,何が学べますか

□ パウロとバルナバは,どのように自分たちの割り当てを十分に成し遂げましたか

[15ページの図版]

使徒パウロが迫害に遭っても忍耐したことは,若者テモテに忘れ難い印象を与えた

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする