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不実な心に気をつけるわたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
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7 クリスチャンは,自分はエレミヤの時代の多くの人のように自らの心に欺かれたりはしない,という考え違いをするおそれがあります。例えば,こう考えるとしましょう。『家族を養うために仕事を続けなければならない』。そう思うのはもっともなことです。では,一歩進んでこう考えるならどうでしょうか。『そこそこの仕事を確保するには,もっと教育を受ける必要がある』。これも筋が通っているように思えて,ついには次のように結論するかもしれません。『時代は変わった。今の時代を生き抜くには,仕事を失わないように大学教育が必要だ』。こうして,付加的な教育に関する忠実で思慮深い奴隷級の賢明で平衡の取れた忠告を軽視し始め,集会を休むようになるのです。この分野で世の考え方や見方に徐々に形作られてしまった人たちがいます。(エフェ 2:2,3)だからこそ,聖書はこう警告しています。「周囲の世そのものの型に押し込まれてはなりません」。―ロマ 12:2,フィリップス訳(英語)。a
自分の心に欺かれて集会を休むことがありますか
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不実な心に気をつけるわたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
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a 「新英語訳」(NET Bible,2005年版)はこう訳しています。「この現在の世に順応させられてはなりません」。脚注にはこうあります。「現在の世への『順応』が受動的概念として取り上げられていることは注目に値する。それが幾らか無意識のうちに生じることを示唆しているのかもしれない。同時に,……順応しつつあることを多少意識している場合がある……のかもしれない。おそらく,その両方の組み合わせなのであろう」。
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