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光聖書に対する洞察,第2巻
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キリストの追随者たちは光となる 「世の光」としてのキリスト・イエスに信仰を働かせ,その追随者となった人々は,自分たちも「光の子ら」になりました。(ヨハ 3:21; 8:12; 12:35,36,46)彼らは神の恵みと命を得るための必要条件を他の人々に知らせ,しかも「光の中で」,つまり公にそうしました。(マタ 10:27)同様に,バプテスマを施す人ヨハネは,「悔い改めの象徴としてのバプテスマを宣べ伝え」,メシアの到来を事前に指し示した時,光としての役割を果たしていました。(ルカ 3:3,15-17; ヨハ 5:35)また,キリストの追随者たちはりっぱな業により,さらには言葉と模範により,自分たちの光を輝かせました。(マタ 5:14,16。ロマ 2:17-24と比較。)「光の実はあらゆる善良さと義と真実さとから成ってい(ます)」。ですから光は,「不従順の子ら」が行なう闇に属する恥ずべき業(淫行,あらゆる種類の汚れ,貪欲など)の卑しさを暴露します。その結果,それらの恥ずべき業はありのままに見えるようになり,神によって非とされた事柄として明らかにされるという意味で,それ自体光となります。(エフェ 5:3-18。テサ一 5:4-9と比較。)クリスチャンは,「光の武器」,すなわち神からの霊的な武具で身を固め,「もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対する」戦いを行ない,そのようにして,神の是認された僕としてしっかりと立つことができるようになります。―ロマ 13:12-14; エフェ 6:11-18。
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夜聖書に対する洞察,第2巻
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ローマ 13章11,12節の「夜」という言葉は明らかに,神の大敵対者が引き起こす闇の期間に言及しています。その期間はキリスト・イエスとその統治によって終了することになっています。(エフェ 6:12,13; コロ 1:13,14を参照。)テサロニケ第一 5章1-11節では,神の真理によって啓発された神の僕たちが,そうでない世の人々と対比されています。彼らの生き方は,彼らが「光の子であり,昼の子(である)」こと,また「[彼らが]夜にも闇にも属して(いない)」ことを明らかにします。(ヨハ 8:12; 12:36,46; ペテ一 2:9; コリ二 6:14を参照。)同様の用法がミカ 3章6節に見られます。そこで預言者ミカは,神からの真の導きを退ける者たちにこう言っています。「このゆえに,あなた方には夜が来て,幻はなくなる。闇が来て,占いをすることはできなくなる。そして,太陽はこれら預言者たちに対してはまさに沈み,昼も彼らに対しては必ず暗くなる」。―ヨハ 3:19-21と比較。
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