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パン種,酵母聖書に対する洞察,第2巻
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使徒パウロはコリントのクリスチャン会衆に対してある不道徳な男の人を会衆から追放するよう命じた際,同様の象徴的な表現を用いて,「あなた方は,少しのパン種が固まり全体を発酵させることを知らないのですか。古いパン種を除き去りなさい。あなた方は酵母を持たない者なのですから,それにふさわしく新しい固まりとなるためです。実際,わたしたちの過ぎ越しであるキリストは犠牲にされたのです」と述べました。その後,「パン種」とはどういうことかを明示し,「ですから,古いパン種や悪と邪悪のパン種を用いず,誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行なおうではありませんか」と述べました。(コリ一 5:6-8)パウロはここで,過ぎ越しの祝いの直後に行なわれた,ユダヤ人の無酵母パンの祭りの描画的な意味を引き合いに出しています。ちょうど少しの酸い練り粉がパンの固まり全体,つまり一かま分全体をたちまち発酵させるように,一団としての会衆も,その不道徳な男の腐敗的な影響を除き去らなければエホバの目に汚れたものとなったでしょう。ちょうどイスラエル人が祭りの最中に家の中にパン種を置くことができなかったように,会衆も自分たちの中からその「パン種」を出すために行動しなければなりませんでした。
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真理,真実聖書に対する洞察,第1巻
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クリスチャン会衆が「真理の柱また支え」となるために,その会衆の成員は自分たちの生活における立派な行状によって真理を表わさなければなりません。(エフェ 5:9)彼らはちょうど『真理を帯として巻いて』いるかのように首尾一貫して正しい行状を示し,それからそれてしまうことがないようにすべきです。(エフェ 6:14)クリスチャンは個人として浄さを保つことに加え,会衆の浄さにも関心を持たなければなりません。使徒パウロはクリスチャン会衆を清く保って不法な人々に汚されないようにする必要性を強調した際,このように書きました。「古いパン種を除き去りなさい。あなた方は酵母を持たない者なのですから,それにふさわしく新しい固まりとなるためです。実際,わたしたちの過ぎ越しであるキリストは犠牲にされたのです。ですから,古いパン種や悪と邪悪のパン種を用いず,誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行なおうではありませんか」。(コリ一 5:7,8)イエス・キリストは過ぎ越しの子羊の実体としてただ一度だけ犠牲にされたので(ヘブ 9:25-28と比較),無酵母パンの祭りに匹敵するクリスチャンの生き方全体は,有害な事柄や邪悪な事柄を含んでいてはなりません。個人や会衆の浄さを保ち,そのようにして『誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行なう』ためには,罪深い事柄を進んで取り除く態度がなければなりません。
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