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  • 『惜しみなくまき,豊かに刈り取りなさい』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1986
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1986
塔86 6/15 15–20ページ

『惜しみなくまき,豊かに刈り取りなさい』

「惜しみつつまく者は少なく刈り取り,惜しみなくまく者は豊かに刈り取る」― コリント第二 9:6。

1 エホバ神が宇宙で最も幸福な方であられるのはなぜですか。

わたしたちの神エホバは「幸福な神」です。その理由の一つは,エホバが非常に惜しみなく与える方であるからにほかなりません。み子イエス・キリストは,「受けるより与えるほうが幸福である」と説明されました。(テモテ第一 1:11。使徒 20:35)ご自分の独り子であるロゴス(言葉)を生み出された時から現在に至るまで,エホバほどに終始与えてきた方はおられません。ですから,エホバが全宇宙で最も幸福な方であることには,いささかの疑いもありません。

2,3 (イ)どのような意味で神は惜しみなくまいてこられましたか。(ロ)エホバがこれまで豊かに刈り取ってこられ,これからも刈り取られると言えるのはなぜですか。

2 ややこれに似た原則がコリント第二 9章6節に明示されています。「惜しみつつまく者は少なく刈り取り,惜しみなくまく者は豊かに刈り取るのです」。創造の業に関してエホバ神は何と惜しみなくまいてこられたのでしょう。そのみ言葉は幾億もの霊の被造物について述べています。(啓示 5:11)それぞれが幾十億もの恒星から成る,星空の無数の星雲にも注目してください。この地球に目を向けると,エホバはまさに無限の多様性を持つ生物と無生物を創造されました。確かに『地は産物で満ちています』。(詩編 104:24)さらに神はわたしたちに,思い,感覚,肉体を惜しみなく授けてくださいました。まさしくわたしたちは「くすしく造られて」います。―詩編 139:14。

3 エホバが惜しみなくまいてこられたことに疑問の余地はありません。創造の業においても,地上の創造物の扱い方においてもそう言えます。では神は豊かに刈り取ってこられたでしょうか。確かに豊かに刈り取ってこられました。どのような意味でそう言えますか。愛の動機でご自分に仕える理知ある被造物をこれまで非常に多く持ってこられ,今も持っておられ,将来もお持ちになるという意味においてです。理知ある被造物がそのように仕えることは,特に,嘲弄している悪魔が偽り者であることを証明することになるので,エホバの心を喜ばせます。―箴言 27:11。

4 コリント第二 9章6節の原則は,現代を含めて,いつの時代にもどのように当てはまってきましたか。

4 聖書の中には,ロゴスをはじめ,エホバ神の多くの忠実な僕たちが惜しみなくまき,豊かに刈り取ってきたことを示す証拠が豊富に収められています。それは当然です。エホバの原則はいつの時代にも,どんな人にも当てはまるからです。ですから,まくことに関する原則はあなたの生活にも適用されます。

5,6 (イ)惜しみなくまくことを難しくするどんな敵がいますか。(ロ)わたしたちは進んで何を行なわなければなりませんか。神聖な奉仕のどんな面でそうしなければなりませんか。

5 聖書には,惜しみなくまくべき理由と,その点における模範とが十分に示されていますが,惜しみなくまくのは決して簡単なことではありません。なぜでしょうか。そうすることを強力に阻む三つの敵がいるからです。第一に,利己的になりやすいわたしたち自身の受け継いだ傾向があります。創世記 8章21節には,「人の心の傾向はその年若い時から悪い」と記されています。神の言葉は,人間の心が不実であり,必死になることをも教えています。(エレミヤ 17:9)第二に,わたしたちは,邪悪な者の配下にある邪悪な世の圧力と闘わなければなりません。(ヨハネ第一 5:19)第三に,警戒を解こうものならわたしたちをむさぼり食おうと,悪魔自身が手ぐすねを引いています。―ペテロ第一 5:8。

6 これら三つの敵に絶えず警戒しておられますか。これらの敵対者のゆえに,わたしたちは真剣に「助言に聴き従い,懲らしめを受け入れ」なければなりません。『それは,将来,わたしたちが賢くなるためです』。(箴言 19:20)実際わたしたちは,最終的に闘いで負けてしまわないように,パウロと同じく『自分の体を打ちたたき,奴隷として引いて行』かなければなりません。(コリント第一 9:27)惜しみなくまけば豊かに刈り取るという原則は,エホバのクリスチャン証人すべてが携わる神聖な奉仕のさまざまな面のどれにも当てはまります。そうです,個人研究,集会への出席,祈り,公式および非公式の証言,家族関係など,どこを見てもこの原則の当てはまることが分かります。

聖書研究の面で惜しみなくまく

7,8 (イ)聖書の個人研究の面で惜しみなくまくため,何を持たなければなりませんか。(ロ)どんな目標を設けるべきですか。どうすればその目標に到達できますか。

7 エホバ神の効果的な奉仕者となるには,まず聖書の個人研究の面で惜しみなくまかなければなりません。自分が物質的な物だけで生きるのではないことを認識し,旺盛な霊的食欲を持つことを願うべきです。わたしたちにのしかかる日常生活のあらゆる煩い事や活動の中で,自分の霊的な必要を鋭く意識しているためには,意図的な努力を払うことが求められます。(マタイ 13:19)詩編作者は,「人が多くの分捕り物を見つけるときのように,わたしはあなたのみことばに歓喜しています」と書きましたが,神の言葉に対して詩編作者が抱いたような認識をわたしたち自身が抱くのは,確かにりっぱなことです。―詩編 119:162。

8 この点で明確な助けとなるのは,『自分の歩き方をしっかり見守って,それが賢くない者ではなく賢い者の歩き方であるようにし,よい時を買い取りなさい』という助言に注意を払うことです。(エフェソス 5:15,16)もしかすると,あなたはこの点で自分を点検する必要があるかもしれません。自分は「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌の各号が発行されるとき,それを読む時間を作るために自分の事情を調整するだろうか,と自問してください。また,「年鑑」に加え,大会で受け取る書籍や他の文書はどうでしょうか。必ずしも,そうした出版物を読むために1時間も2時間も費やすことはできないとしても,時をとらえる点で機敏であれば,わずか数分を割いて,聖書中の一つの章や,雑誌の一つの記事を読めるものです。最も頭が冴えている時間に読書をする目的で,毎日10分から15分早く起きることにしているクリスチャンは,かなりの数に上ります。公共の乗り物に乗っているときに読書が相当進むことに気づいている人もいます。あなたはいかがですか。

9 聖書の個人研究の面で,どのように豊かに刈り取ることができますか。

9 このようにして惜しみなくまくことにより,豊かに刈り取ることも期待できます。どのように刈り取るのでしょうか。より強い信仰,より鮮明な希望,幸福で積極的な思いを持つようになるという意味においてです。それだけではなく,他の人々に証言するためにより良い備えをすることもできます。機会が訪れたなら,有益な会話をしたり,兄弟たちを助けたりすることができます。その後にどんな結果が生じるか,テモテ第一 4章15節と16節を読んで注目なさってください。

集会への出席の面で惜しみなくまく

10 集会に関してわたしたちはどんな態度を持つべきですか。

10 惜しみなくまくなら豊かに刈り取るというこの原則は会衆の集会に出席することにも当てはまるのだろうか,と尋ねる方がおられるかもしれません。それが大いに当てはまるのです! わたしたちは,「人々がわたしに,『エホバの家に行こう』と言うとき,わたしは歓んだ」と述べた詩編作者ダビデのように感じるべきです。確かにわたしたちは,兄弟たちに会いたいという気持ちを持つべきです。―詩編 122:1。

11,12 集会に出席する面でどのように惜しみなくまき,豊かに刈り取ることができますか。

11 そのためには何が求められますか。多少天候が荒れていても,体の具合いが少し悪くても,それを家にいるための言い訳にしたりせず,定期的に,そして忠実に毎週の五つの集会に出席することです。暑さや寒さ,また雨が降るか降らないかといった天候のために,どれほど集会の出席を妨げられていますか。しかし,出席するために克服すべき障害が多ければ多いほど,エホバは一層豊かな祝福を与えてくださるようです。集会の前に励みとなる会話を交わすために早く来て,やはりそうした会話を交わすために集会後もその場に残ることによっても惜しみなくまくことができます。あなた自身としては,この点について自分をどのように評価していますか。一層惜しみなくまくようにしなければなりませんか。「ものみの塔」研究の集会や他の集会の準備を十分に行なうことも関係しています。そのように準備をするのは,機会あるごとに注解することによって惜しみなくまくためです。

12 そうすることによって,どんな面で豊かに刈り取ることを期待できますか。自分自身が励みを受けなければ,励みとなる注解を述べることはできません。自分自身の心を高揚させなければ,憂うつな魂を元気づけることはできません。そうです,自分が口にしている真理に対する自分自身の信仰を強めないで,集会の注解で自分自身を言い表わすことはできないのです。これは単純なことです。「寛大な魂は自分も肥え,他の者に惜しみなく水を注ぐ者は,自分もまた惜しみなく水を注がれる」のです。―箴言 11:25。

祈りの面で惜しみなくまく

13,14 祈りの面で,どのように(イ)惜しみなくまき,(ロ)豊かに刈り取ることができますか。

13 惜しみなくまくことに関する聖書の原則は,個人的な祈りにも当てはまります。わたしたちの祈りは決まりきった形の,機械的な,同じ言葉を繰り返すだけのものですか。それとも,本当に心から出ていますか。その祈りには,請願だけではなく,心からの賛美や感謝,また時には祈願が含まれていますか。祈りという貴重な特権を本当に真剣に受け止めていますか。自分の心を天のみ父に注ぎ出しますか。あるいは,祈りを急いですませること,時には忙しすぎて祈れないことさえありますか。クリスチャン・ギリシャ語聖書には,祈りがイエス・キリストと使徒パウロの生活において非常な重きをなしていたことが示されています。―ルカ 6:12,13。ヨハネ 17:1-26。マタイ 26:36-44。フィリピ 1:9-11。コロサイ 1:9-12。

14 祈りに関してどれほど惜しみなくまくかに応じて,どれほど豊かに刈り取ることを期待できるかが決まります。わたしたちが刈り取るものは,エホバが祈りに答えてくださること,またわたしたちがエホバとの良い関係を持てるようになることです。家族の祈りには,祈りをささげている人と家族の成員とを結びつける働きがあります。「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます」という,マタイ 7章7節のイエスの言葉も忘れないようにしましょう。

宣教の面で惜しみなくまく

15 特にどんな分野において,惜しみなくまいて豊かに刈り取ることができますか。

15 わたしたちの証しの業に関係した事柄以上に,この記事の主題が浮き彫りにされる分野はないでしょう。宣教に費やせる時間が多ければ多いほど,興味深い経験,効果的な再訪問,産出的な家庭聖書研究という形で刈り取り,生きた推薦の手紙を生み出す可能性が高まってくることは明らかです。―コリント第二 3:2。

16,17 (イ)野外宣教の面で惜しみなくまくためには何が求められますか。(ロ)そのようにすればどんな結果を期待できますか。

16 しかし,野外宣教に関して惜しみなくまくことは,量だけの問題ではなく,質の問題でもあります。宣教に参加する時には「霊に燃え」る必要があります。(ローマ 12:11)温かく優しいほほえみを浮かべて,はばかりのない言葉で人々に近づかなければなりません。それは,家から家を訪問しているときにも,街路での証言を行なっているときにも当てはまります。もし自国語で入手できるなら,証言のための新しい助け,「聖書から論じる」は,わたしたちすべてがより有能で効果的な者となり,宣教に費やす時間やエネルギーからより多くのものを刈り取れるよう助けてくれるはずです。

17 さらに,野外宣教の面で惜しみなくまくとは,どこで関心を持つ人々を見いだしたかに細心の注意を払うことを意味しているのではないでしょうか。その点と密接な関係にあるのが,再び訪問し,可能であれば家庭聖書研究を始められるまでに関心を高めるという責任を受け入れることです。それに加え,火に耐える資材で建てるように注意しなければなりません。それは,聖書研究生が聖書の原則についてどう感じているかを巧みに引き出しながら,確信を持って,なおかつ感情移入を行ないつつ,識別力を働かせて教えることを意味します。これらの点で惜しみなくまくことによって初めて,サタンとその事物の体制からの猛攻撃に抵抗できるクリスチャンの人格を作り上げる見込みが持てるのです。―コリント第一 3:12-15。

家族関係の面で惜しみなくまく

18 家族関係に関して,どんな助言を銘記すべきですか。

18 どのようにまくかに応じて刈り取ることになるという神権的な原則は,家族内でも同様に当てはまります。その場合,ルカ 6章38節にある次のイエスの言葉を心にとめることができます。「いつも与えなさい。そうすれば,人々はあなた方に与えてくれるでしょう。彼らは押し入れ,揺すり入れ,あふれるほどに量りをよくして,あなた方のひざに注ぎ込んでくれるでしょう。あなた方が量り出しているその量りで,今度は人々があなた方に量り出してくれるのです」。

19 どのように夫と妻は惜しみなくまき,それによって益を得ることができますか。

19 思慮深さと無私の精神の伴う愛情深い行為によって惜しみなくまく機会は,夫にも妻にも限りなく開かれています。使徒パウロはエフェソス 5章22節から33節で,優れた助言を与えています。それらの節を,どうすれば自分は一層惜しみなくまけるだろうかと考えながらお読みください。クリスチャンである妻の場合は,どれほど真の意味で従順と協力を示し,支えになっているかに応じて,どれほど豊かに刈り取ることになるかが決まると言えるでしょう。どのような意味でそう言えますか。夫は熱烈に,また感謝の伴う愛情をもって,自分の体のように妻を愛するよう動かされるのです。同様に,クリスチャンである夫の場合は,ペテロ第一 3章7節で勧められている思いやりと,エフェソス 5章28,29節で強調されている無私の愛を示すためにどれほど努力しているかに応じて,妻の従順と忠節な支えをどれほど刈り取ることを期待できるかが決まります。

20 惜しみなくまくことを,子供を育てることにどのように当てはめることができますか。それによってどんな結果が生まれますか。

20 エホバの懲らしめと精神の規整をもって子供たちを育ててゆく責任も無視すべきではありません。(エフェソス 6:4)実際のところ,それは他の神権的な務めや特権に優先されるべきものです。残念ながら,クリスチャンである一部の親たちはこの原則を無視してきました。その反対に,親は子供たちの感情的・霊的福祉のために快く自分の娯楽や楽しみ事を犠牲にし,それ相応の時間を子供たちと過ごし,子供たちに愛を注ぎ込まなければなりません。それと共に,親は毅然とした態度を示すべきです。「あなたの子を打ち懲らせ。そうすれば,彼はあなたに休みをもたらし,あなたの魂に多くの喜びを与えるであろう」という助言が与えられています。そのようにしてまくなら,親を敬い,親に親愛の情を抱く,忠誠を保つ子供たちを持つ結果となって,必ず豊かに刈り取ることになるでしょう。―箴言 29:17。

益を刈り取る者でありなさい

21,22 神聖な奉仕と家族関係の面で,どんなさまざまな仕方で惜しみなくまき,豊かに刈り取ることができますか。

21 ですから,どのようにまくかに応じて刈り取ることになるという原則は,クリスチャン生活のあらゆる面に当てはまることが分かります。聖書の個人研究の面で惜しみなくまくなら,強い信仰,鮮明な希望,宣教に対して備えのできた状態を刈り取ることになります。集会の面で惜しみなくまくなら,自分自身の信仰を強め,他の人の信仰も強めることができます。祈りの面で惜しみなくまくなら,天の父との良い関係を刈り取り,祈りを聞き届けていただけます。また,証しの業の面で惜しみなくまくなら,個人的に益を得ることになり,自分が努力を払った証しとなる,推薦の手紙を持つことを期待できます。

22 この原則が同様に家族関係にも当てはまることを決して忘れないようにしましょう。愛ある思いやりと無私の行為において惜しみなくまくことによって,わたしたちは夫,妻,親,子供として,報いの多い交わりと経験とに富む家族生活を刈り取ることを期待できます。それは,外部の人々にも良い証言となり,わたしたちの生き方を推薦するものとなります。

23 どんな助言に注意を払うのは良いことですか。

23 それでは,エホバのクリスチャン証人一人一人が,自分は一層惜しみなくまけるだろうか,と自問してみましょう。テサロニケ第一 4章1節にあるパウロの言葉はまさに至言です。「終わりに,兄弟たち,主イエスによってあなた方に願い,また勧めます。どのように歩んで神を喜ばせるべきかについてあなた方はわたしたちから指示を受け,またそのとおりに歩んでいますが,そのことをなおいっそう行なってゆきなさい」。そうです,より豊かに刈り取り,エホバの誉れとなり,わたしたち自身にも兄弟たちにも祝福となるよう,わたしたち皆で,一層惜しみなくまくように努めましょう。

復習の要点

□ エホバ神は,どのように,コリント第二 9章6節に記されている真理の実例となっておられますか

□ 聖書研究とクリスチャンの集会の面で一層豊かに刈り取るために,何ができますか

□ 野外奉仕の面で,どのように一層十分にまき,また刈り取ることができますか

□ 家族が一層惜しみなくまき,一層豊かに刈り取るために,どんな実際的な方法が助けになるかもしれませんか

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