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神の王国聖書に対する洞察,第1巻
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千年統治の期間中,地に対するキリストの支配には,従順な人類に対する祭司としての働きも含まれます。(啓 5:9,10; 20:6; 21:1-3)その働きにより,罪と死の“律法”に服させられてきた従順な人類に対する罪と死の王としての支配は終わりを告げ,過分のご親切と義が支配的な要素となります。(ロマ 5:14,17,21)罪と死は地上の住民から完全に取り除かれることになるので,イエスが不完全な人間の罪のためになだめの業を行なうという意味で『父のもとで助け手』として仕える必要もなくなります。(ヨハ一 2:1,2)こうして,人類は完全な人間アダムがエデンにいた時に享受していた最初の状態に引き戻されます。完全だった時のアダムには,自分と神との間に立ってなだめを行なう人など全く必要ではありませんでした。ですから,イエスの千年支配が終了する時,地上の住民は,法的な仲保者,もしくは助け手となってくれるだれかに訴えることなく,最高の裁き主であられるエホバ神のみ前で自分たちの行動の仕方に関して申し開きをする立場に立つと共に,そうする責任を負うことにもなります。こうして,主権者なる権力者であられるエホバは,「だれに対してもすべてのもの」となられます。これは,「すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び集める」という神の目的が完全に実現することを意味しています。―コリ一 15:28; エフェ 1:9,10。
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神聖な奥義聖書に対する洞察,第1巻
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メシアの王国 パウロは自分の書の中で,キリストの神聖な奥義に関する啓示の全貌を示しています。そして,エフェソス 1章9-11節で,神がご自分の意志に関する「神聖な奥義」をお知らせになったことに言及し,こう述べています。「それは,定められた時の満了したときにおける管理のためにご自身のうちに意図された意向によるものであり,すなわちそれは,すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び集めることです。そうです,キリストにおいて,この方との結びつきにおいて,わたしたちはまた相続人として選定されたのです。ご意志の計るところに応じてすべてのものを作用させる方の目的のもとに,わたしたちがあらかじめ定められていたからで(す)」。この「神聖な奥義」には,政府,すなわちメシアによる神の王国が関係しています。パウロが言及している「天にあるもの」とは,キリストと共に天の王国の相続人となる見込みを持つ人々です。また,「地にあるもの」はその王国の地上の臣民です。イエスは,神聖な奥義には王国が関係していることを弟子たちに指摘して,「あなた方には神の王国の神聖な奥義が与えられています」と言われました。―マル 4:11。
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