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知識聖書に対する洞察,第2巻
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エホバがご自分の目的を成し遂げるためにイエスにお与えになった役割は非常に重要なので,イエスについては,「彼のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められている」と言うことができます。(コロ 2:3)人は神のみ子としてのイエス・キリストに信仰を働かせない限り,聖書の本当の意味を把握することはできず,神の目的がいかに神の予告された事柄と調和して成し遂げられつつあるかを理解することもできません。
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哲学聖書に対する洞察,第2巻
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「哲学」や「哲学者」に相当するギリシャ語はいずれも,クリスチャン・ギリシャ語聖書中に一度だけ出て来ます。(コロ 2:8; 使徒 17:18)パウロが小アジアのコロサイの会衆に手紙を書いた時,そこには「人間の伝統にしたが(った)哲学やむなしい欺き」に影響される危険のあった人たちがいたようです。当時はギリシャ哲学が非常に幅をきかせていました。しかし,コロサイ 2章8節の文脈を見ると,パウロが特に心配していたのはユダヤ主義者たちでした。彼らはクリスチャンを引き戻してモーセの律法を守らせようとしていました。その中には,割礼の要求や祭りの日やある種の食物を断つことなども含まれていました。(コロ 2:11,16,17)パウロは知識に反対したのではありません。というのは,クリスチャンが知識で満たされることを祈っていたからです。しかし,パウロが示したように,人は真の知恵と正確な知識を得るために,神の目的の完遂にかかわるイエス・キリストの役割を認識しなければなりません。(コロ 1:9,10; 2:2,3)コロサイ人たちは,巧みな論議を示すだれかの人間的な考え方や見方によってえじきとして連れ去られることがないように気をつけなければなりませんでした。そのような哲学は,「世の基礎的な事柄[ストイケイア]」,すなわち世の原理もしくは根本要素また動因の一部で,「キリストにしたがわない」ものでした。―コロ 2:4,8。
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預言聖書に対する洞察,第2巻
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使徒ヨハネは自分の見た幻の中で,み使いから,「イエスについて証しすることが預言に霊感を与えるもの[字義,「預言することの霊」]なのです」と告げられました。(啓 19:10)使徒パウロはキリストのことを「神の神聖な奥義」と呼び,「彼のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められている」と述べています。(コロ 2:2,3)それはエホバ神が,ご自分のみ名を神聖なものにし,地とその住民をご自身の物事の取り決めにおける正しい位置に回復させるというご自分の壮大な目的を達成する点で,主要な役割をみ子に割り当てられたからです。その目的は,「定められた時の満了したときにおける管理」によって達成されるものであって,「すなわちそれは,すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び集めることで(した)」。(エフェ 1:9,10。コリ一 15:24,25と比較。)神の偉大な目的の成就はすべてイエスと切り離せない関係にあるので(コロ 1:19,20と比較),すべての預言,すなわち霊感により神から与えられ,神の僕たちによってふれ告げられた音信すべては,そのみ子を指し示していました。したがって,啓示 19章10節が述べているように,預言の「霊」全体(傾向,意図,および目的の全体)は,イエスについて証しするためのものでした。エホバはこの方を『道,真理,命』にしようとしておられたのです。(ヨハ 14:6)このことは,イエスが地上で奉仕の務めに携わられた時以前の預言だけでなく,それ以後の預言についても当てはまりました。―使徒 2:16-36。
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ヨハネへの啓示聖書に対する洞察,第2巻
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預言がイエスについて証しするものであると言えるのは,イエスこそ,神がご自分のみ名を神聖なものとし,悪を滅ぼし,人類を祝福するというご自身の目的を成し遂げるための手だてとなる方だからです。「彼[キリスト]のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められているのです」。(コロ 2:3)キリストは約束の胤です。この方のうちに神聖な奥義は明らかにされています。神は,アダムの反逆のあと人間を扱われたまさにその当初から,キリストのことが予告また予表されるようにし,人々に,み子の手中にある神の王国を指し示してこられました。―創 3:15; 22:18; ガラ 3:16; サム二 7:12-16; 詩 2:6-12; 110:1-7; エゼ 21:27; 使徒 2:29,36; 3:19-26; テモ一 3:16。
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知恵聖書に対する洞察,第2巻
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「神聖な奥義の中の神の知恵」 エデンで起こった反逆は,神の知恵に対する挑戦となりました。その反逆を終わらせるため,つまりそれが残した影響を一掃し,神の宇宙的な家族の中に平和と調和と健全な秩序を回復するために,神がお取りになる賢明な措置は,「神聖な奥義……,隠された知恵……,事物の諸体制[つまり,エデンの外において人間の歴史が展開してゆく中で形作られた様々な体制]の前に神があらかじめ定めたもの」の一部となりました。(コリ一 2:7)その措置についての概要は,神が何世紀にもわたってご自分の忠実な僕たちを扱ってこられた方法やそれらの僕たちに対する約束の中に包含されました。それは,祭司職や種々の犠牲を含む,イスラエルとの律法契約の中に予表され,象徴されており,数多くの預言や幻の中で指摘されました。
その神聖な奥義の知恵は,4,000年余の後,ついにイエス・キリストという形で明らかにされました。(コロ 1:26-28)神はこのイエスによって,『定められた時の満了したときにおける管理,すなわち,すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び集めること』を意図されたのです。(エフェ 1:8-11)神が従順な人間を救うための贖いを備えられたこと,またご自分のみ子を頭とする,すべての悪を終わらせることのできる王国政府を設立するつもりでおられることが明らかにされました。神の壮大な目的はみ子を基とし,み子を中心とするものであるゆえに,キリスト・イエスは「わたしたち[クリスチャン]にとって,神からの知恵……となられた」と言えます。(コリ一 1:30)「彼のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められているのです」。(コロ 2:3)救いと命は,神がお立てになった「命の主要な代理者」イエスを通してでなければ,またそのイエスに対する信仰によらなければ,得られません。(使徒 3:15; ヨハ 14:6; テモ二 3:15)したがって,イエス・キリストを考慮に入れない,つまり判断や決定がイエス・キリストという形で明らかにされた神の目的にしっかり基づいていない真の知恵などというものはありません。―「イエス・キリスト」(神の目的におけるイエスの肝要な立場)を参照。
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