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影,陰聖書に対する洞察,第1巻
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何かの表面に映るある物体の影もしくは黒い像は,実体をなすものではなく,現実の物ではありません。それでも,その影を見れば,影を落としている実体の大体の形や輪郭が分かります。ちなみにパウロの説明によると,様々な祭りや幕屋や種々の犠牲を含む律法は,来たるべきより偉大な事柄を表わす影を備えていました。「その実体はキリストに属している」と,パウロは書いています。―コロ 2:16,17; ヘブ 8:5; 9:23-28; 10:1。
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真理,真実聖書に対する洞察,第1巻
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ヨハネの言葉は,モーセを通して与えられた律法には誤りがあったという意味ではありません。律法も真理であり,神聖さや義や善良さなどに関する神の規準にかなっていました。(詩 119:151; ロマ 7:10-12)とはいえ,律法はキリストに導く養育係であって(ガラ 3:23-25),より偉大な実体の影,つまり預言的描写を備えたものでした。(ヘブ 8:4,5; 10:1-5)影を備えた律法は真実なものでしたが,完全な真理ではなかったため,律法が予表していた実体に道を譲らなければなりませんでした。使徒パウロはその点をコロサイ人への手紙の中で次のように強調しています。「あなた方は,食べることや飲むことで,また祭りや新月の習わしや安息日に関して,だれからも裁かれるべきではありません。それらの事は来たるべきものの影であって,その実体はキリストに属しているのです」。(コロ 2:16,17)したがって,律法によって予表されていた事柄をイエスが実際の真理の領域に移したという意味において,『真理はイエス・キリストを通して存するようになった』のです。イエスご自身は影ではなく実体であられたので,イエスは「真理」でした。さらにイエスは,『神の真実さのための奉仕者』となられました。それは,イエスが,割礼を受けたユダヤ人と改宗者たちに奉仕することによって,ユダヤ人の父祖たちに対してなされた神の約束を果たされたということです。―ロマ 15:8。「イエス・キリスト」(「真理について証しする」)を参照。
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