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ミカエル聖書に対する洞察,第2巻
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聖書的な証拠が示唆するところによれば,ミカエルという名前は,天を離れてイエス・キリストとなる前の神のみ子,および天に戻った後の神のみ子を指して用いられました。ミカエルは「み使いの長」もしくは「主要なみ使い」という意味の「み使いの頭」と呼ばれている唯一のみ使いです。この語は聖書中に単数形でしか出て来ません。このことは,神によりみ使いの軍勢の長もしくは頭に指名されているみ使いが一人しかいないことを暗示しているように思われます。テサロニケ第一 4章16節では,復活後の主イエス・キリストの声がみ使いの頭の声として描写されており,イエスご自身が実際にみ使いの頭であることが示唆されています。この聖句は,イエスが「号令」と共に天から下られると描写しています。ですから,キリスト・イエスが王の王また主の主として現在有しておられる偉大な権威を低めたり損なったりしないような語で,その号令をかける声が描写されているはずだというのは全く理にかなったことです。(マタ 28:18; 啓 17:14)もし「み使いの頭」という名称がイエス・キリストにではなく他のみ使いに当てはまるとすれば,「み使いの頭の声」という言葉は適切ではないでしょう。その場合,この言葉は神のみ子の声よりも権威の劣った声を描写していることになります。
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声聖書に対する洞察,第1巻
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使徒パウロは,神の油そそがれた聖なる者たちを集めることについてテサロニケ会衆に手紙を書いたとき,「主[イエス・キリスト]ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパと共に天から下られる」と述べました。(テサ一 4:16)「み使いの頭」という表現は,「み使いの長」もしくは「主要なみ使い」を意味します。「み使いの頭の声」というパウロの表現は,命令を下すイエスの声が持つ権威に注意を向けるものであるようです。イエスは地上におられた時,神から付与された権威を明らかにして,こう言われました。「父は,ご自身のうちに命を持っておられると同じように,子にもまた,自らのうちに命を持つことをお許しになったからです。そして,裁きを行なう権威を彼にお与えになりました。彼が,人の子であるからです。……記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです」― ヨハ 5:26-29。
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