ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔89 7/15 21–23ページ
  • 『でも,エホバを愛してはいません!』

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 『でも,エホバを愛してはいません!』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 心,良心,そして信仰
  • 回復は可能
  • 他の人はどのように助けになれるか
  • 人間の心は不信実です
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
  • あなたの心をエホバに立ち返らせなさい
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1983
  • 全き心をもってエホバに仕える
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1971
  • エホバに喜ばれる心を得る
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2001
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1989
塔89 7/15 21–23ページ

『でも,エホバを愛してはいません!』

母親がエホバの証人になったのは,ボブがまだ年端のいかない少年の時でした。ボブはバプテスマこそ受けませんでしたが,母親に付いて何年も王国会館に通い,宣べ伝える業にもあずかりました。ところが,十代後半になって,証人たちと交わるのをやめてしまいました。そのあと,次々と悪い状況に巻き込まれて,生活が台なしになりました。ボブは自分ではまだ,聖書から学んだ事柄の多くを信じていると言っていますが,それでも,エホバの組織に戻りたいという気にはなっていません。ボブがそのように感じるのはなぜでしょうか。

別の例を考えてみましょう。デービッドは長年全時間宣教を行なってきました。たまに聖書の教えに関する幾つかの疑問が思いをよぎることもありましたが,ジグソーパズルに取り組んでいる時,最初1枚か2枚のはめ絵が合わないように思えてもあきらめたりはしないと考えて,いつも問題を解決しました。デービッドはエホバの説明を待つことで満足していたのです。しかし,ふとしたことから,もうそのような方法では満足できないと言い出しました。そして,奉仕の特権から退き,程なくして真理を捨てました。何がデービッドの考え方を変えたのでしょうか。

確かに,愛する人たちが命を得るための競走を放棄するのを見るのは悲しいことです。わたしたちはどんなことをしてでも,そのような人を助けたいと思うに違いありません。(コリント第二 12:15。ガラテア 5:7)しかし,実際に何が原因で人は真理から離れ落ちるのでしょうか。どうすれば競走に戻るようそのような人を援助できるでしょうか。また,そのような傾向が自分のうちに表われ始めたならどうすべきですか。

心,良心,そして信仰

真理を捨てた人たちには,一つの注目すべき特徴があります。彼らのほとんどは,もはや真理が信じられなくなったという理由で真理を捨てたのではないのです。むしろ,「これが真理であることは分かっていますが……」とか,「もし真理があるとすれば,これがそうだと思います」と言う人が少なくありません。心の奥では,聖書から学んできた事柄は真理であるとまだ信じている人が多いのです。しかし,どういうわけか手を緩めて熱意をなくしていました。ヤコブは,「業のない信仰(は)死んだものなのです」と述べています。―ヤコブ 2:26。

真の信仰には,単に知識があるとか,ある事を真実であると信じているというだけでなく,それ以上の事柄が関係しています。信仰は単なる頭脳の作用ではなく,比喩的な心臓<ハート>が関係しています。聖書は,「人は,義のために心<ハート>で信仰を働かせ(る)」と述べているからです。(ローマ 10:10)それで,人が離れ始める問題の原因として聖書が心に言及しているのも当然です。パウロは,「兄弟たち,あなた方のうちのだれも,生ける神から離れて,信仰の欠けた邪悪な心を育てることがないように気をつけなさい」と警告しました。―ヘブライ 3:12。

心が深く関係している証拠として,離れ落ちたことのあるダイアンの話に耳を傾けてみましょう。仲間のクリスチャンたちが彼女を援助しようとした時,ダイアンは,「エホバのもとに戻ることなどできません。エホバを愛してはいないのですから!」とはっきり答えました。ダイアンは,エホバ神との親しい状態を保つのに役立つ唯一のものが,人格神としての,また献身に値する方としてのエホバに対する愛であることを知っていました。実際,彼女が最初にエホバに献身したのはその種の愛に動かされたからでした。しかし,どういうわけか,もうそのような愛を抱かなくなりました。ダイアンは,そのような愛がなければ,戻ったところで,上辺だけのものになることを知っていたのです。それにしても,人はどうして,一度は非常に深く抱いていた愛を失うのでしょうか。

パウロは「信仰の欠けた邪悪な心」に言及しています。ある場合,そのような信仰の欠如は,心が,エホバ神の禁じておられる事柄を欲したり,神の命令に反抗したりするのを許すことから生じます。したがって,心は分かたれ,エホバに対して全きものではなくなります。その後,自分の行ないがエホバから是認されないものであることに気づき,それ以上の対立を避ける安易な方法として,『生ける神から離れる』ようになります。(創世記 3:8-10と比較してください。)「邪悪な心」は,悔い改めさせるどころか,生活の中からエホバとその目的をぬぐい去るよう人を動かします。こうして,信仰のない人は真理を捨てるのです。

さらに,自分のある行ないに対して良心の呵責に苦しむよりも,不実な心に動かされるままに,疑い,あら捜し,さらには背教にさえ訴えて知的な逃避を求める場合があります。もし自分の信仰の枠組み全体が間違っていることを確信できれば,その人はもうその範囲の中で生活する責務を感じません。そのような人は正しい良心をわきへ追いやり,「自分の信仰に関して破船を経験」します。―テモテ第一 1:19。

もちろん,他の何かの理由で真理を捨てる人がいるかもしれませんが,どんな理由であれ,ほとんどいつも心が関係しています。したがって,「守るべき他のすべてのものに勝ってあなたの心を守れ。命はそこに源を発しているからである」という助言は本当に時宜にかなったものと言えます。―箴言 4:23。

回復は可能

自分自身の悪い傾向が信仰の喪失に根ざしていることを認めるには勇気が必要です。しかし,そうするのは,エホバとのしっかりとした関係を取り戻すための第一段階です。英国で開拓奉仕を行なっているスティーブの経験は,この点をよく例証しています。

スティーブは真理から離れ落ちはしませんでしたが,心が空虚で確信がないのを感じていた時期がありました。他の人に宣べ伝えていても,自分の言葉が自分の耳にむなしく響き,霊的な兄弟姉妹の中にいても,自分はその一員でないかのように思え,場違いな感じがしました。

しかしスティーブは幸いにも,問題が自分自身にあることを認めました。「私は,正しい答えを与えてくれる何らかの霊感の源が不完全な肉の中にあるかのように,結論が出るまで考えようとして孤立するという間違いを犯しませんでした」と,スティーブは述懐しています。(ローマ 7:18と比較してください。)むしろスティーブは,自分の心を探り,真理から離れさせようとする欺きの欲望を根絶しなければならないことに気づきました。そして,本当に基礎的な事柄から始めて,神への愛と神の言葉に対する信仰を再確認する努力を払いました。今日スティーブは,宣教者として楽しく奉仕しています。

他の人はどのように助けになれるか

真理に対する熱意を失った人や失いかけている人がみな,スティーブのように問題をはっきりと見るわけではありません。事実,明確な霊的視力の喪失こそ最終的な転落につながる場合が少なくないのです。仲間のクリスチャンが援助の手を差し伸べられるのはそこです。(ローマ 15:1。ガラテア 6:1)しかし,どうすれば最善の援助ができるでしょうか。

言うまでもなく,戻ってくるように誘ったり励ましたりするだけでは不十分です。障害となっているものが何であるかを見極めて取り除く必要があります。弱くなった人や不活発な人の心に訴える努力をすることが大切です。テモテ第一 1章19節,ヘブライ 3章12節,エレミヤ 17章9節と10節といった聖句を用いるなら,心の中を深く探り,『生ける神から離れる』原因となっている事柄を知る助けになるかもしれません。

原因が分かったなら,それに対処する努力を払います。病気になった文字通りの心臓の場合,患者が生き延びるためには,世話や,場合によっては痛みの伴う手術が必要です。病める比喩的な心臓の場合も同じです。心の反応を再び敏感なものにしたいのであれば,心を不安定にさせる間違った欲望や独立的な傾向などの要素を取り除かねばなりません。活発なクリスチャンが不活発な人と共に祈るのはよいことです。長老たちがふさわしいとみなせば,聖書研究を行なうことさえできるでしょう。このような方法によってのみ,心は生気を取り戻し,その人はエホバを愛せるようになるのです。―箴言 2:1-5。

ダイアンの場合がそのよい例です。円熟したクリスチャンとの話し合いから,エホバへの愛を再び燃え上がらせるためには何をしなければならないかを理解するよう助けられました。ダイアンは,もう一度エホバを親しく知るようになる必要を認めたので,差し伸べられた援助に応じました。1年ほど聖書を研究した後,ダイアンとその夫は再びエホバの活発な賛美者になりました。

愛には行動が関係しているので,多くの場合最も効果的なのは,エホバの言われる事柄を行ない,エホバの愛ある助けを経験することです。確かに,行動はかつて心の動機となっていた愛を取り戻すのに役立ちます。(詩編 34:8)これは,間違った欲望と闘い,よくない心の傾向を正すために積極的な方法を講じることから始められるかもしれません。この闘いで勝利を得るたびに,心は着実にエホバのもとに戻って行きます。(箴言 23:26。ペテロ第一 2:1-3)心が引き寄せられるにつれて,心の中にあるものを他の人に語りたいという願いが強まります。したがって,以前不活発だった王国伝道者が資格を得たならすぐに,宣べ伝える業にあずかるよう援助すべきです。「人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです」― ローマ 10:10。

もうエホバを愛してはいないと感じる人にとって,敬虔な生活に戻る道は長くて困難な道かもしれません。しかし,スティーブやダイアンが霊的に回復したことは,心の変化が起こり得る証拠です。そうです,エホバの霊の働きやみ言葉の適用,さらにエホバの組織と再び協力することにより戻ることができるのです。わたしたちの心からの願いまた祈りは,エホバを全き心で愛する人々と同じように,エホバの崇拝と神聖な奉仕に再び歓びを見いだせるようそのような人々を助けることです。―マルコ 12:30。コリント第一 13:8。ヨハネ第三 1-4。

    日本語出版物(1954-2025)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする