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ダルマティア聖書に対する洞察,第2巻
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ダルマティア
(Dalmatia)
アドリア海の東の山地で,バルカン半島にある地域。ダルマティアはローマの属州イルリコの最南部を指す名として使われました。その地域が別の州になった西暦9年以降しばらく,ダルマティアはイルリコと交換可能な名としてよく用いられ,やがてはその新しい州の名称になりました。パウロの仲間のテトスは,西暦65年ごろと推定される同使徒の処刑の少し前にダルマティアへ出かけました。(テモ二 4:6-10)デマスがパウロを『見捨てた』と述べられているその同じ節の中で,テトスはダルマティアに行ったと述べられています。しかし,ダルマティアに行ったテトスの任務の目的に関してはっきり述べた言葉がないとはいえ,彼はパウロの承認のもとに出発したようです。パウロはそれより9年ほど前,3回目の宣教旅行が終わりに近づいたころに,自分の巡回が北はイルリコにまで及んでいたことを述べているので(ロマ 15:19),テトスはこの時,その地方の会衆に関する諸事を整え,宣教活動に携わるためにその地方に派遣されたのだと考える学者たちもいます。そうであるとすると,彼はクレタで行使したのと同様の資格で行動していたことになります。(テト 1:5)パウロはテトスにあてた手紙の中でクレタを離れるようテトスに求めているので(テト 3:12),テトスはダルマティアに任命されるまではパウロと共にいたことが十分考えられます。
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デマス聖書に対する洞察,第2巻
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デマス
(Demas)[恐らく,「デメテルの(デメテルに属する)」を意味する「デメテリオ」の短縮形]
使徒パウロのかつての同労者。デマスは,パウロがローマで最初に投獄されていた間,同使徒と共にローマにおり,デマスのあいさつはコロサイ人への手紙とフィレモンへの手紙の中に含められています。(コロ 4:14; フィレ 24)パウロが2度目の投獄の間にテモテに手紙を書き送った時,デマスはすでに同使徒を見捨て,郷里と思われるテサロニケへ向かっていました。―テモ二 4:10。
デマスが『今の事物の体制に対する愛のために』パウロを見捨てたことの真相は明らかにされていません。使徒パウロは,デマスが背教者や反対者になったとは述べていません。物質的な事柄やこの世の快楽に対するデマスの愛が霊的な事柄に対する愛よりも強くなったのかもしれません。あるいは,パウロと共に殉教することを恐れて,デマスはより安全な場所を求めるようになり,当時存在していた事物の体制の中で自分の命を守ろうとしたとも考えられます。いずれにせよ,状況が不利になった時,デマスは自分の兄弟パウロを強めるというすばらしい機会を活用しませんでした。
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