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喪,嘆き悲しむ聖書に対する洞察,第2巻
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エホバの言葉に対する従順がなければ,嘆き悲しむことも断食も無益です。(ゼカ 7:2-7)しかし,「敬虔な悲しみは……救いに至る悔い改めを生じさせ」ます。そのような悲しみは,当人が悪行を神に対する罪とみなしていることの結果です。その悲しみは神の許しを求め,誤った道筋から身を転じるよう当人を動かします。「しかし,世の悲しみは死を生み出します」。当人は自分の悪が暴露されたことや,それが自分にとって損失を意味することを悲しむかもしれませんが,神の許しを得ようという願いは抱いていません。(コリ二 7:10,11)例えば,エサウの涙は自分の失った長子の権を取り戻そうという望みのもとに利己的に流されたもので,イサクにも神にも何の影響も及ぼしませんでした。―ヘブ 12:16,17。
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悔い改め聖書に対する洞察,第1巻
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エサウもまた,弟のヤコブが長子の祝福(エサウが平気でヤコブに売り渡していた一種の権利)を受けたのを知った時に世の悲しみを表わしました。(創 25:29-34)エサウは「非常な大声で,極めて苦々しげに」叫び,涙ながらに「悔い改め」(メタノイア)を求めましたが,それは彼自身の悔い改めではなく,父親の側に「考えの変化」を求めるものでした。(創 27:34; ヘブ 12:17,行間)彼が悔やんだのは自分の被った損失であり,『長子の権を軽んじる』原因となった自分の物質主義的な態度ではありませんでした。―創 25:34。
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